もうひとつの空。
ということで、3/24にやったアナザースカイごっこの報告書です。ロケ地はもちろん上田市です。勉強のために本家を見ましたが(柴田理恵さん回)、一回見た程度じゃ大してきちんと勉強できませんね。
まぁそういうことなので、それっぽい雰囲気でやろう!という意識の低い目標のもとだらだらと書いていきます、お付き合いいただけましたら幸いです。
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最初はやっぱりここしかない。
#長野県 #上田市#信州大学繊維学部
正門。そもそも上田市に縁ができたきっかけの場所ですし、外せない要素です。
が、実を言うと、わたしが繊維学部を受験すると決めたのはセンター試験後の話です。2014年を迎えた時点では、全く志望してませんでした。
もともとわたしは「化学って魔法を学ぶ学問では!?」とお花畑を全開にして高校で理系クラスに進んだので、その流れで化学を勉強できる学部に行きたいと思ってはいたものの、具体的にあれがしたいとかこうなりたいとか、職業的な目標は何も持っていませんでした。
だから受験大学選びで気にしていたのは「下宿が前提であること」「化学ができそうなところ」くらいです。下宿前提がよかったのは、実家から通える国公立だとどうがんばっても通学に2時間取られるからそれが嫌だったのと、一人暮らしがしてみたかったからでした。
まあ、近所の国公立の受験難易度的にも、外に出ていく方が身の丈に合っていると思っていたのもありますが、当時の担任の先生には地元の国公立受けてみればいいじゃないか、と思われていたようで、わりと説得されましたし(どうしても下宿がしたいと突っぱねました)。
その条件で、かつ「暮らすなら寒いところがいい!」と当時から思っていたので、最終的に願書を取り寄せたのは山形大学、福井大学、富山大学、信州大学。そして、第一志望は信州大学工学部物質化学科に決めました。これが高校3年生、秋ごろの話です。
そしてセンター試験を終えて、まあ信州大学を受けるには足りるだろうという点数が自己採点上は取れていたので、そのまま第一志望の学科を受けようと思っていたのですが、そんな時に父からひとこと「繊維学部の方が面白いと思うよ」などと意見が飛んできまして。
これが運命の分岐点でした。
なぜ父がこんな意見を飛ばしてきたかというと、そこの教授と知り合いだからってだけなんですけど、ここで初めて繊維学部というものを認識したわたしは、まず繊維学部というものについて調べました。
すると、繊維学部にも化学ができる学科はあるので自分の需要は満たせそうだということが判明。さらに嬉しいことに、その学科の二次試験(前期)は化学筆記のみでした。(物質化学科は数学と化学だったはず)
理系に進んでおきながら言うのもあれですが、わたしは数学と絶望的に仲が悪いので、できれば数学の筆記試験なんてしたくなかったわけです。
高校生わたし「よっしゃ繊維学部にしーよう!!!!」
てことで繊維学部を受験して合格し、上田市に縁が生まれたのです。ポートメッセ名古屋で受験したの懐かしいな。どうでもいいけど、当時の試験問題は上田から実家に戻るときに処分するまでずっと持っていました。記念。
さて、そんな繊維学部です。
登録有形文化財な講堂。例年はここで卒業式をやるわけですが、世界がこんなことになっているので、式典そのものは縮小されて、代表者のみが参加する式になりました。もちろんわたしは代表に選ばれてないので式典は不参加です☆
代わりに日中は講堂がフリー開放されていたので、普段は勝手に入れない2階席に行くなどはさせていただきました。
2階席~!!
天井。
いやー、この時代の建築は好きですねぇ(松本のバイト先もできた年代が同じの登録有形文化財だったため馴染みがある)。
そして、繊維学部生として生きた5年間で、いちばんたくさん時間を過ごしたであろうF棟。(卒業学科がバレる発言)
F棟。の入り口ドア。
わたしは休日出勤も夜間・早朝出勤もほとんどしていなかったので、中央の自動ドアから普通に入れたんだけれども、自動ドアの開くタイミングがあまり好きでなくて毎日この横のドアから登校してました。グリップの上側の金属部分を引いて開けるっていうのも毎日固定で。本来は施錠されてる時間帯用の出入り口なんですけどね(要ID)。
研究室配属前から学生実験、レポート提出、チューター面談で用事のある場所でしたが、研究室配属後はすべてがここにあったから、ここへ行くことが登校でした。
やっぱり思い出深いのは学生室ですね。研究室生活3年間の居場所でしたし、自分の癒しのためにピカチュウのぬいぐるみティッシュカバーを机に置いて使っていたら、先輩や後輩からピカチュウグッズを恵まれるなんてことも発生しました。好きなものを好きと公言しておくとたまにいいことあるよ、だからみんなどんどん発信しよう(?)。
F棟の裏には梅の木があるので、その下でお花見ランチをしたこともありました。世間が(というか東京が)お花見してる時期には、長野県では当然ながら桜は咲いていませんが、花見シーズンやでー!!とテレビでめっちゃ言われるから花見したくなっちゃうんですよね。笑
梅の木です。ここに写り込んでる石がベンチとしてちょうどよくて、ここに座って膝にお弁当広げてランチしました。南向きなので真昼間なら日当たり100%で暖かいです。(この写真の撮影は15時ごろなので影が割とさしてしまっている)
次は学内ですごくすごく大事だった場所。
生協2階の談話スペース。
研究室配属前にいちばんたくさん時間を過ごした場所がたぶんここ。同じ学科で専攻課程が違う(=取ってる授業が違う)友人とひたすらだらだらしていました。
とくに約束もしていないのに、お昼とか授業後とかに行くと誰かがいた。そこで合流したからといってどこかに遊びに行こうと算段を立てるわけでもなく、お互いにやりたいことをやっていた。それこそ無言で、ひとりはスマホゲーム、ひとりは小説を書き、ひとりは絵を描き、ひとりはニコ動見てる、みたいな、はたから見たら奇妙な図が出来上がっていた。
でもそれでよかった。それがよかったんだ。
研究室に入ってしまうとなかなかそういう時間が取れなくなって、取れなくなってから、その時間がどれほど贅沢だったか、ということに気が付きました。無駄を無駄として消費できる贅沢さというか。当時一緒にだらだらした友人と、ことあるごとに「あの時間は贅沢だったよね」って振り返ったりなんかしてね。大切な時間です、今でも。
わたし的な大学の門。
家の方向的にここから構内入ってたんですけど、まあ裏門みたいなものなのでこんな感じです。北側なので、冬に雪が積もろうものなら凍り付いて解けなくて登下校が怖かったですね。学校の方が融雪剤を撒いてはくれますが、それでも凍るときは凍るので。
一応信州大学繊維学部って彫ってあるんだけど可読性がほぼないという。
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さて、次は街に繰り出します。
#上田市 #海野町商店街
(の交差点の信号)
なにかにつけてよく行きました。友人がここにあるマンションに住んでいたから遊びに行くとか(もう引っ越したけど)、カラオケに行くとか、富士アイスに行くとか、お城へ行った帰りに歩くとか。ほんとよく訪れた場所です。
富士アイスとはこちらのお店です。
真田丸が放送されていたころにやったアド街上田編でも紹介されていましたし、地元でも大人気のお店。わりといつも数人並んでる。
志まん焼き(じまんやき)というお菓子が看板商品。これは言ってしまえば今川焼なんですけど、志まん焼きなんです。はい。カスタードとあんこがあって、わたしはカスタードばっかり食べてました。カスタード好きです。80円!
冬の寒い日の夜に、志まん焼きを買って食べながら帰るのがすごく好きで。寒いのに寒くない気がしたし、すごく1日が充実したなって思える夜になった。
アナザースカイごっこしたのは火曜日で、富士アイスさんが定休日だったので、志まん焼きの写真はないですが、退居した日(3/4)に志まん焼き食べ納めはしてあるので、とりあえずはね、寂しくないよ。うん。
#上田市 #ツルヤ上田中央店
人の写り込みを減らそうとした結果、主役がお空になってしまった。←
ツルヤは後半3年間で行く機会がぐんと増えました。なんでって、自転車に乗るようになって可動範囲が広くなったからです。
自転車は上田に越してすぐ買ったんですけど、わたしがよく使う道路の歩道がずっと工事中だったので、自転車に乗る気になれなかったんですね。だから徒歩を基本に暮らしてたんですけど、2017年後半にようやく工事があらかた終わって道路が綺麗になって、自転車に乗りやすくなったので解禁しました。
ツルヤは家から徒歩だと微妙に距離があるなと感じるのだけど、自転車だと15分くらいだし、坂もキツくないので(重要)、自転車で行きやすいスーパーでした。しかも安くて物が良いので、いつのまにかメインがツルヤになっていました(自転車復活前はAコープを主軸に暮らしていた)。
毎週日曜日の午前中に買い物に行くと決めていて、前日や当日の朝にチラシを見て買い物メモを作り自転車を走らせてツルヤに行き、週の食費予算が3,500円だったからそれを下回れると嬉しくてガッツポーズしたりしながら買い物して、リュックと保冷バッグに物を詰めて帰ったら昼ごはんを食べて一息ついて、という日曜日でした。
そんで午後は買った物をひたすら料理して作り置きにしてタッパーに詰めては冷まして冷蔵を繰り返して、それが終わるとちょうど夕方になるから、DASHに間に合うように作り置きの半端ものでその日のご飯を作って食べて、そこで日曜日の仕事がようやく終了と相成ります。
材料そのままだと冷蔵庫に入らなくても、料理にするとか加工してタッパーに詰めて冷蔵庫にぶち込むとちゃんと冷蔵庫に収まるようになると気がついて、それ以来作り置きするのがめちゃくちゃ楽しくなりました。「これ無理でしょ……」って思った量でも入るのだ!!冷蔵庫に!!(テンション迷子)
さらに、作り置きには、平日の食生活的QOLが爆上がりする効果や、帰宅後10分で一汁三菜を用意できるからめちゃくちゃ早く寝支度が済むみたいな効果もあって。修士に上がってもなお毎日7~8時間の睡眠を確保できていたのは、日曜日のわたしが料理を頑張ってくれていたおかげです。料理してる時間はストレス発散できているのか、わたしが「生きてる〜!」って実感できる大事な時間だし、そのおかげで平日のわたしの生活が良くなるというとても良いサイクルを築いていました。
特に修士の2年間はツルヤに胃袋支えられていました。ありがとう。ツルヤ大好きです。
#上田市 #信濃国分寺駅#しなの鉄道#115系
こちらはバイト通勤に使っていた駅です。職場は中軽井沢でしたが、いつも信濃追分で社員さんの車に拾われていました。
だから信濃追分もできれば行きたかったんだけど、行って帰るだけで3時間くらいはかかる気がしたからやめました。(電車乗車時間は往復合わせても90分程度です)(田舎なので)
信濃国分寺は簡易委託駅で、朝7時から改札が有人になるので、その時間を待ってスタンプをもらい、ホームへ行っていました。
通勤に使っていたのは07:05発小諸行きです。小諸行きは5両編成でやって来て、小諸で2両編成軽井沢行き(07:30発)に乗り換えるという通勤でした。小諸発軽井沢行きは下り列車の折り返しで、こっちが小諸についたときにはまだ小諸駅には到着してなくて、ホームで待たなきゃいけないから、寝たいのに寝れなくてちくしょうこのやろう!!と思ってました。(しなの鉄道は悪くない)
電車を待っていた場所を向かい側から撮ったものです。No.10くらいにいると、小諸で乗り換えるときに都合がいいのでここにいましたが、雨の日は傘が面倒くさかったですね。(ホームの屋根のある場所で乗ると後方車両になるので、小諸での乗り換え待ち列形成に出遅れる)
小諸駅の乗り換え待ちにはコツがあって、それは2両編成乗車位置付近をすぐ陣取れるように、小諸行きの段階で前方車両に乗っておくこともそうですが、ホームに貼ってある【2両編成乗車位置】ってやつからずれたところに並んでおく、ということ。素直に乗車位置表示の上に並ぶと損します。(知ってる人はみんなずれて並んでるからそっちが優先されて、乗車位置に並んでた人は並んでない人扱いになる)
図解するとこういう感じ。
小諸の時点では並ばずに乗っても座れないことにはならないんですけど、だいたいボックス席に座るしかなくなります。そして御代田のあたりから乗車率が高まってくるので、ボックス席の奥の方にいると降りるのがちょっと面倒だったりするんですよ。追分なんて他に誰も降りないし余計に面倒。←おい
だから、ドア横のボックスじゃない席を取るために並んで待たなくちゃいけなくて、それには位置表示を守らないというコツが必要になるのです。毎回絶対乗車位置から同じだけずれて電車が停まるのに、なぜ乗車位置表示を動かさないんだろう。←
帰りは17:42信濃追分発長野行き、18:19信濃国分寺着の電車でした。帰りのは乗り換えがない列車なので、乗った時点で座れたら気を抜いて眠れますが、まぁ大抵御代田までは座れないし、下手すれば小諸まで立ちっぱなしだったりもして、なんだかんだ寝れないことの方が多かったです。
夕陽が綺麗な時間帯に電車を降りるので、駅の高架を渡りながら、上田駅に走っていく電車を眺めるのが好きでした。
この下を115系が走っていくのですよ。わたしの足元を走っていくのですよ。乗客の数だけ物語を乗せて。美しくないですか。
#上田市 #国道18号
家から信濃国分寺駅に向かうのに通った道です。6時台に自転車で爆走していました。その時間は車もほぼいないので、車道の横を走っていても人権を得られた。偉いので車道の逆走はしませんでした。(当たり前なので偉くはない)
若干上ってめっちゃ下って最後ちょっと上るのが行き(南下)で、その逆が帰り。イヤホンを落として拾ったのも18号でした。途中の三叉路にあるガソリンスタンドです。
信濃国分寺駅前のセブンイレブン。
バイトも9連勤とかしてるとご飯を考えるのが嫌になってくるときがあって、そんな時にお世話になっていました。あと水分補給とかね。
そして、連勤が終わった時にはご褒美として必ず寄っていた気がする丸亀製麺。
ここでかしわ天にはまってしまったがゆえに、鶏肉を揚げるブームが起きてとり天レシピを確立するに至りました。てへ。
かけうどんと半熟玉子天が基本スタイルです。
#上田市 #上田駅#北陸新幹線
上田駅!! 夜まで待つと六文銭が浮かび上がる、「うまくやったなぁ」と感心させられてしまう設計です。
長野方面のしなの鉄道使う時はこっちを使っていました。家からの距離は上田も信濃国分寺も同じくらいだから、行き先に応じて使う方変えてたんですね。このひと駅をけちるか否かで電車賃が60円変わるんです。上田駅の自転車置き場の1日券よりも高い(学生は50円)。
ただ、いちばんよくお世話になったのは、やっぱり北陸新幹線。
馴染みが深い紫色表記。
東京方面。ライブ遠征行くのにめちゃくちゃ乗った。あさまを選んで乗りまくった。
長野方面。主に金沢に行きまくりましたが、時々しなのの特急券を半額にすべく長野まで乗るという、ひと駅だけの新幹線というブルジョアなことをしたりもしました。
金沢行く時は必ず指定席でした。はくたかは自由席車両があさまより少ないし、上田って中間あたりだから、自由席が既にわりと埋まっていて、だからギスギスしたくなくて指定席取ってたし、上田からあさまで長野、乗り換えてかがやきっていうのをやることもあって、それだとかがやきで必ず指定を取るので、じゃあもうあさまも指定しちゃおって感じで。学割パイセンにめちゃくちゃ救われましたね。なんのかんので修士時代は20枚/年で使ってました。
E7とW7で車内放送の音楽が違っていて、W7系だと「いい日旅立ち」だから、そこはかとなく暗くないかい? という気持ちになりながら乗っていたこととか、JR東西の運行になるからトランヴェールと西Naviが車内に備わっていて暇つぶしに事欠かなかったとか(両方読むのが恒例行事)、スゴクカタイアイスの五郎島金時味(北陸新幹線限定)を食べたとか、アニメ声だと話題になった車掌さんのアナウンスをこの耳で聴くことができたとか、4歳の女の子とお友達になったとか、思い返すと北陸新幹線とは沢山の思い出があります。北陸新幹線は唯一つるぎに乗れていないので、いつか乗れたらいいなぁ。(使用車両が変わるわけではないのだけど、なんとなくコンプしたい)
それから、徒歩で行かれないところだから写真はないけど、浅間サンラインや上田小諸線もかなり馴染みの深い景色です。B4の時に週2で友人とドライブをしていた時期があって(運転手は友人)、東に車を転がして佐久や御代田あたりまで走ってコンビニ行って帰るっていうのを繰り返していて、それでよくサンライン走ったんです。主に創作と沼の話をしました。
あれもすごく大事な時間だったなー。大抵わたしが学校終わってから友人の家に遊びに行ってピアノを弾かせてもらって、夜になってからドライブする、っていう感じでした。だから夜景や星がすごく綺麗で、長野県ってポテンシャル高えなぁ、とその時も思っていたし、振り返っている今もそう思います。
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上田で暮らした5年間は、ほんとうにかけがえのないものだったな、と思います、やっぱり。自分が知らなかった自分に出会えたと以前にも言ったけれど、自分が自分でいられる条件みたいなものを強く自覚した場所で、心の故郷でもあって。
上田で暮らしたから出会えたひとも、大学で出会えたひとたちも、わたしにたくさんのものをくれました。
いろんな気づきをくれました。
わたしにとって上田市は、“わたし”を思い出す街になりそうです。予感だけど。
ということで! アナザースカイごっこ総括でした!
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