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209-211 愛別離苦

209
道理の通じぬものにばかりかまけ、道理を見て見ぬ振りする者は、また目先の愛に溺れながらも、我が道を進む者を羨むものである。

210
愛を求めるな、憎しみを抱くな。愛を失えば苦、憎しみを抱けば苦である。

211
何かを愛好してはならぬ、失うことが災いとなる。愛も憎しみも抱かねば、心は逼塞せぬものである。

Ayoge yuñjaṁ attānaṁ,
無致力 致力 自我
yogasmiñca ayojayaṁ,
致力 並且 未 使...致力
atthaṁ hitvā piyaggāhī,
義利 捨棄 可愛 握持
pihet' attānuyoginaṁ.
羨慕 自我 隨致力

Mā piyehi samāgañchi,
不要 可愛 一起來
appiyehi kudācanaṁ.
不可愛 在任何時候
Piyānaṁ adassanaṁ dukkhaṁ,
可愛 不見 苦
appiyānañca dassanaṁ.
不可愛 並且 見

Tasmā piyaṁ na kayirātha,
由於它 可愛 不 作
piyāpāyo hi pāpako;
可愛 離去 因為 惡
ganthā tesaṁ na vijjanti,
繫縛 他們 不 被知
yesaṁ natthi piyāppiyaṁ.
他們 不存在 可愛 不可愛

He who gives himself to vanity, and does not give himself to meditation, forgetting the real aim (of life) and grasping at pleasure, will in time envy him who has exerted himself in meditation.

Let no man ever look for what is pleasant, or what is unpleasant. Not to see what is pleasant is pain, and it is pain to see what is unpleasant.

Let, therefore, no man love anything; loss of the beloved is evil. Those who love nothing and hate nothing, have no fetters.

專事不當事,不事於應修,棄善趨愛欲,卻羨自勉者。

莫結交愛人,莫結不愛人。不見愛人苦,見憎人亦苦。

是故莫愛著,愛別離為苦。若無愛與憎,彼即無羈縛。

 この先のダンマパダに切れるかもしれないので先にちょっと追ってみたけど、またしばらくは「俺のこと」にかまけてくれそうなので助かった。ただもっと後のほうに「まー仏陀の教えこそが至上だけどね?」とか言われてピキった。どうどうぼく。スルースキル覚えようぜ。見憎人亦苦、見憎人亦苦。

 人に対するこだわりは、もう基本なくなった、のかなあ。いや。たぶんそれはないな。それでも「誰か」を求める気持ちはあったりするんでしょう。誰かは知らんけど。まぁとは言えそうした相手を変に求めるよりは、自分にできるもん、作れるもんを作ってできた世界の先のことを考えたほうがいい。自分が手掛けているものは、間違いなく俺の遊んでる時代の遊びの質をねじ曲げる。そのつもりで作ってる。そうした先に誰がいるのか。誰がいてもいいのだ。誰がいても面白いのだ。ただ、そこをやりきれてないのにあーだこーだ言うのが無意味なのだ。

 愛別離苦。この言葉は仏典の基層にいる言葉のようである。まぁ人間別れが淋しく、キツいのも、それはそう。自分が抱えていたものを捨て去らねばならない痛みはどうにも代えがたく、振り返るダニこれをどうしても長く引きずりがちな俺は、そこに囚われるとずいぶんと長いこと沈み込まずにおれなくなる。この時間は、端的に言って非生産的ではあるのだが、それはそれとしてそう言う、何と言うのかな、心に荒波が立つ期間というのもまたあったほうがいい、のかもしれない。いやぁ今の段階で言うとあってほしくないんだけど。

 人とは別れがあるけれど、俺は毎日心の中の言葉と別れてもいる。ならば俺はお別れの達人なのかもしれない。知らんけど。

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