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Dhammapada 129・130
129
我らみな、杖打たるを恐れ、死に至るを恐れる。ならば我らが背を見せ、殺さず殺させぬようにせよ。
130
我らみな、杖打たるを恐れ、命の永らうを求む。ならば我らが背を見せ、殺さず殺させぬようにせよ。
Sabbe tasanti daṇḍassa,
一切 戰慄 杖
sabbe bhāyanti maccuno,
一切 恐懼 死天
attānaṁ upamaṁ katvā
自我 譬如 作
na haneyya na ghātaye.
不 擊殺 不 殺
Sabbe tasanti daṇḍassa,
一切 戰慄 杖
sabbesaṁ jīvitaṁ piyaṁ;
一切 壽命 可愛
attānaṁ upamaṁ katvā
自我 譬如 作
na haneyya na ghātaye.
不 擊殺 不 殺
All men tremble at punishment, all men fear death; remember that you are like unto them, and do not kill, nor cause slaughter.
All men tremble at punishment, all men love life; remember that thou art like unto them, and do not kill, nor cause slaughter.
一切懼刀杖,一切皆畏死,
以自度他情,莫殺教他殺。
一切懼刀杖,一切皆愛生,
以自度他情,莫殺教他殺。
刀杖品がストレートすぎて笑う。ていうかこれが原書仏典に書かれてんのが笑う。人間さま、進歩しなさすぎでは……?
いうて暴力に対抗するのはより大きな暴力だし、現代日本が暴力に支配されずに済んでんのも、結局のところ「警察」「自衛隊」っていう余りにも強大な暴力装置が働いてるからだしなあ。こう言うところの恩恵に対して無自覚なまま「暴力はクソ」とかいってもわりとどうしようもないんですよね。暴力のおかげで俺らは暴力から無縁になれている。「当たり前に暴力があった世界」とは、この言葉の重みが明らかに違う。いや、今こそこの言葉を重んじなきゃいけないのか。だって「現代」に今、現在進行形の暴力があまりに多すぎる。
しかし難しいんだよなあ。警察にせよ自衛隊にせよ、それが暴力装置という機能を持つ以上暴力的な要素がないことには組織として機能しない面がある。それを肯定したくはないのだけれども、暴力を否定するためには暴力について受け入れねばならないのだ。まーこれはあらゆるものについてもそうですね。否定したいものを否定するには、否定すべき対象をちゃんと知らねばならない。そしてその対象にある意味でのリスペクトを忘れないようにして、断固として戦うようにしないとならない。
改めて、この言葉を掲げておかねばである。
信奉も、敵対も、無知のままで行えば隷属である。