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169・170 まぼろし
169
善行を修め、悪行を修めぬよう。善行を修めるものは今世も来世も安楽のもとにある。
170
世はうたかた、世はかげろう。このように世を見ること叶う者に死の恐怖は訪れない。
Dhammaṁ care sucaritaṁ,
法 行 善行
na naṁ duccaritaṁ care.
不 那個 惡行 行
Dhammacārī sukhaṁ seti,
行於法 樂 臥
asmiṁ loke paramhi ca.
此 世間 下一 及
Yathā bubbuḷakaṁ passe,
像 泡沫 看到
yathā passe marīcikaṁ;
像 看到 海市蜃樓
evaṁ lokaṁ avekkhantaṁ,
如是 世間 觀察
maccurājā na passati.
死天之王 看不到
Follow the law of virtue; do not follow that of sin. The virtuous rests in bliss in this world and in the next.
Look upon the world as a bubble, look upon it as a mirage: the king of death does not see him who thus looks down upon the world.
行正法善行。勿行於惡行。依正法行者,此世他世樂。
視如水上浮漚,視如海市蜃樓,若人觀世如是,死王不得見他。
良き法と悪き法については、もういちいち言うまでもない世界なので。それにしても昨日は日記のあとに、自分の遺伝子のモデルが改めてゴミ人格ぶりを発揮していて、俺もこれと同じ遺伝子を引き継いでんだなーと思うとぞっとした。いや、アレと違って自己省察は徹底的に深めてるからあれほどのメタ認識のなさは発揮しないで済むとは思うけど、それにしても一つ転げ落ちればアレになるんだよなー。というかめた認識を深めたいと思ったのはつくづくアレのおかげなんだと、改めて思えた。ありがとう、父。お前については嫌悪と侮蔑しか抱いていないが、反面教師としては大いに役立てたい。
世はうたかた、世はかげろう。これはよく言われるのだが、正直よくわからん。あまりにも死が非日常すぎるのがいけないのだろう。歴史でこれだけ死を見据えているはずなのに、身近に実感としての「死」が転がっていないのが、こうまで世を、と言うよりも人生を盤石のものとして見てしまっているのだな、と思う。そんなわきゃねえでしょうにねえ。なのでもちろん死は恐い。のはずなのに昨日も酒は飲んだ。「くそ親父への嫌悪」というトリガーはあったけど、ねえ。
Chat GPT に禁酒の一般的手法を諮問してみて、昨日一日のセルフモニタリングをしてみた。だいたい十八時くらいにスイッチが入った。基本11-20勤務なことを思うと、ほんとに「仕事がまもなく終わる」ところなんだよなあ。それでも仕事中にまで飲みたいと思えないのはえらい(普通だろって? お前の基準で考えるな!)んだけど、そのぶん抑圧されていたものが噴き出している、のだろう。こうした省察を深め、決定的トリガを見出し、それを何に置き換えられるか、を考える。
スマートウォッチで、昨日は一日、てきめんに比較的ストレスの大きい日であったとわかった(それでも十分低ストレス状態と評価はされているんだが)。ほんに一日くそ親父のくそ発言にイライラしっぱなしだったものなあ。劇的に作業効率も落ちていて、「えっこの程度の心理負荷下で!?」と驚くくらいにひどい一日であった、と思わずにおれない。高ストレス環境にも定期的に浸らないのいけないのか、あるいは通常なら高ストレスがかかるような環境でも低ストレスで荒れるように心を鍛錬できるのがいいのか。まあよくわからん。理想は後者ですけどねー。