虚構日記「踊子と踊り子号」
週末の踊り子号は昼から賑わい、至る所で気前よく缶が開く音がする。
8号車9列目D席を昨晩恋人がわたしのために取っておいてくれた。
東京駅で「座れました」と一報を入れる。わたしは文庫本をひらいて、横浜駅から乗ってくる恋人を待つ。
ミーハーなわたしらしく、今日持ってきたのは『伊豆の踊子』である。
康成は何冊か読んだが『雪国』や『古都』と比べ、『伊豆の踊子』は理解が追いついていない作品のひとつだった。
おはようと横から声がかかる。
目が覚めると横浜駅だった。いつの間にか寝てしまっていた。
恋人と会うのはいつぶりだったろうか。
忙しくて全然連絡も取れていなかったため、近況を報告しあう。
さっきまで騒がしかった車内も、静謐に感じる。周りの音が消える。恋人の声だけに溺れる。
ひと通り近況を伝え終えると、恋人が鞄のなかから文庫本を取り出した。
ブックカバーを付けており、何の作品かはわからない。作品名を訊ねようと思ったが既に読み始めた者の邪魔をするのも気が引けたため自分も手元の踊子に目を落とした。
主人公が最後に流した涙の意味を考えていたはずが、また眠っており気づけば踊り子号は伊豆高原駅へと到着した。今日は寝てばっかりだなと呟くと横から疲れていただろうし無理もないねと笑われた。
孤独に苦しむ主人公は踊子との交流を経て、
生への活路を見出す。
わたしは一人で生きられるとたまに感じるけれど、それは他者の交流の過程で無意識のうちに生への活路、希望を与えられているからなのだろう。そして恋人も勿論わたしにとっては踊子のひとりだ。
忙しかったここ数ヶ月。
会ってはなかったが、恋人のおかげで乗り越えられた。不意にそう思った。無性に抱きしめたくなった。
ねえ、何の本読んでいたの?
そう言いながら手を繋いだ。