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愛を放つとき。

こんばんは。
めちゃくちゃ深夜です。

お熱をぶり返しております。
己をぶっ放せーー!!!と容赦ないです。

記事を読んでいただき、ありがとうございます。

今日は『愛を放つとき』というお話をしてみようかなと思います。

ここを経由された方は、『うふふ懐かしいなぁ、私(僕)にもそんな時期があったなぁ』と懐かしみながら読んでいただけたら嬉しいです。

イーグルズゲート期間、蠍座シーズン、蠍座新月、と怒涛のイベント目白押しですね〜
いよいよ自分をぶっ放す時が来たのだなとビシビシ感じます。

お前は誰だ。何者だ。と散々問われたこの3年。いや、41年間だったなと思います。

思えば、多くの時間を何者かになろうとしたり、自分を捨てたり、散々繰り返して来た日々だったなぁと振り返ってみて思います。
そうして来たからこそ、自分とは何か、生きるとは何か、人生とは何か、と絶望しながら、もがき苦しみながらでも生きて来た経緯があるのだなとも思えます。

腹を決めろよ?😎と囁かれ続け、ステージを用意されました。

前置きが長くなりましたが、本題へ。

愛を放つときがやってきました。
もう隠れる必要はないのです。
あなたはこの時を待っていました。
あなたの準備が調うことを私達も待っていました。

愛を知ること、愛を放つことというのは、I(私)を知ること、I(私)を放つことです。

愛を思い出すということは、I(私)を思い出すことです。

一昨年前。火山に呼ばれて行って来ました。
そこで、地底からのメッセージを受け取っていたものの、どう解釈したらいいのか…と思っていました。

そしてこの期間にようやく、繋がりました。
太古からのメッセージ。
地底からの熱い熱いメッセージ。
まだうまく言葉には出来ないですが、【この時を待っていた】とのこと。

心身が能力に追いついた時、それは起こるということ。

私が私である理由は、そのように作ったからだということ。

そのように作られたものを、それ以外の用途では使えないのだと。

だから、私=I=愛なのだということ。

それ以外にはなれない

これは、私だけへのメッセージではなく。
世界共通なのだということ。

たくさんの人が話していることだから、もうあちこちで言われていることだから、既出でしょうがと、私がわざわざ言わんでも…と隠れようとしていたのだけれど、それはもうしてはならないのだと。

だからなんだ!!!!

ということなのだそうで笑
結構強烈にビシビシ来てます。(それが私なのですね〜笑)

リーダーになれと言われた夏。
生命を張ってメッセージを伝えに来てくれた女王が居ました。地底からのメッセージを届けに来てくれたのだなと。

ただただ無性に、この“わかる”という感覚だけが自信を持てない部分であったことも確かで。

この“わかる”を誰とも共有出来ずにもどかしかったのも事実で、自分の頭がお花畑なのかしら…と思っていたのも事実です。

ただ以前からある、この“わかる”についてのことは、祖母がずっとずっと私を気にかけてくれていたことと繋がってくるものでもあると思います。

先日の神との祈りの時間で知った多くのこと。
今起こっていること。今立ち上がること。(まだ全てを文章にするのが恥ずかしい所がある様子)

自分でこう書いてはいても、『なんつーファンタジー世界www』なんて思うし、これが正解か不正解かはもうこの際どうでもいいか。とようやく思えたものでもあります。

だってそう思うんだからそうなんだもの。と。

聞こえてくるままに聞きなさい。
見えるままに見なさい。
感じるままに感じなさい。

と、ビシビシ指導をしていただいていた理由もようやくここで繋がりました。

正直に言うと、ここまでの道のり…激しく辛かったです笑
誰も理解してくれず、理解してもらおうともせず、たったひとり、孤独な日々だったこと。

それでも、理解されなくてもいいんだということをようやく、本来の意味で、認めることができたような気もします。

実は昨日、母に本音を伝えました。
応援してほしかったこと。迷惑をかけたいと思ったことはないこと。ただただ私をみてほしかっただけだということ。恨んでもいないし憎んでもいない、これまでも父や母から十分に愛されていたことは頭では理解しているということ。だけど、どうしても涙が溢れて止まりませんでした。

母にとっても、変わった子供で大変だったのだろうなと思います。
そうして、自分の気持ちではなく誰かの状況や気持ちを優先して来たことが、この感覚を作っている要因のひとつだともわかってはいるんですよね。

そこをひとつひとつ、丁寧に自分に寄り添うことをして来た2年だったなとも思います。

夜空からはひとしきり、金星と木星がピカピカと猛烈にエールを送ってくれていて、背中を押してくれました。

星の意味を調べたりと、星に目を向けるキッカケにもなったと思います。

本題からはかなり逸れましたが。
自分を知るということは、自分の思う『愛とは何か』を知ることでもあり、『愛とは生命そのもの』であり、『愛とは自分を生きること』なのだとも思うのです。

愛を知ること。これはひとりひとり違うものです。

起爆剤は『ワクワク』『喜び』だということ。

それは、他の誰かにはわからないことです。
誰かに教えてもらうことのできないもの。
自分で知る以外に見つけられないものでもあります。

何が言いたかったかと言うと
結局この↓

『これが私だ!』

と、堂々と胸を張って生きていいのだよ。ということです。

迷い、悩み、苦しむこともあるでしょう。

だけど、選択はいつもいつもあなたがしていることなのだということ。

そして、その選択は、いつもその時その瞬間のあなたの最善の選択であるということ。です。

今日もめっちゃくちゃ長くなりましたが。

愛を込めて…✨
奇跡を起こす!どさんこシャーマン ぴーまい より

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