紫の夜を越えた先にあるものは。
コロナ禍で生活のほとんどが変えられてしまった。
唯一、変わってないと言えるのは職場と家を往復するというルーティーンだ。
スピッツのアリーナツアーはコロナが流行し始める直前に幕を閉じたが、昨年4月に参戦予定だったスピッツのホールツアーは例にもれず延期された。
後日、再延期の日程が11月と発表されたものの、それも再延期になってしまった。
スピッツだけではなく、色々なバンドのライブに通い詰めていた私はライブが軒並み延期や中止になり、私生活がうまく行っていないことも重なって失意の中にいた。
そんな折、年末に嬉しいニュースが届いた。スピッツの新曲にタイアップがついたと。オンエアは2021年1月4日から。
年が明け、1月4日。
スピッツの新曲が聴けることだけがこの日のモチベーションとなった。
タイアップとはいえ、曲が丸々流れるわけではないことはわかっていたが、テレビの前でその瞬間を待ち構えた。
そして、待ちに待っていた『紫の夜を越えて』が流れ始めた……。
実は初めて聴いたとき、あまりピンと来なかった。良い曲であることには間違いないが、そんなにハマらないかもしれないとさえ思った。
そしてスピッツのデビュー30周年という記念すべき日でもある3月25日の0時。曲の全貌が詳らかにされた。
イントロのギターの美しいアルペジオを聞いた瞬間、体に電流が走った。よく漫画で見る、雷に打たれた人が骨の形で描かれるあのシーンのように。
初めて聴いたときハマらないと思った自分を殴ってやりたい衝動に駆られた。
草野マサムネのソングライティングの才能にまた脱帽するしかなかった。
かつて草野マサムネはとあるインタビューで「孤独に色があるなら?」と聞かれ、「うすい紫」と答えていた。『紫の夜を越えて』の「紫」が孤独を意味しているのかどうかは本人にしかわからないが、コロナ禍でソーシャルディスタンスを求められるようになった昨今、聞き手としてはそれを意味していると感じざるをえない。
「いくつもの光の粒 僕らも小さなひとつずつ」というフレーズの「いくつもの光の粒」とは何かしらの希望のことではないかと思う。粒のように小さいが、これから先も希望はたくさんあるということを伝えたかったのではないだろうか。そして、「僕らも小さなひとつずつ」というフレーズは、草野マサムネがライブの終わりに言う感謝の言葉を彷彿とさせた。自己肯定感が低い私もこの世界の一員でいいと思わせてくれた。
「紫の夜」というフレーズも、まだ夜になり始めたばかりの頃なのか、それとも夜明けの頃なのかなどと勝手に想像を巡らせる。
夜になり始めた頃の紫の夜ならば、時間はかかるが朝は来る。
夜明け頃の紫の夜ならば、近いうちに朝が来る。
何通りも歌詞の解釈ができてしまうことも草野マサムネの歌詞の醍醐味である。
私生活も上手く行ってない自分に、暗い夜もいつかは明ける――――。そう言って背中を押してくれているようにも感じた。かすかな希望が見えた気がした。
美しい惑星に私も住みたい。そして、紫の夜を越えたその先には何が待っているのだろうか。
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