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ある冬の散歩

週末の朝や夕食の後、僕とアクセルはよく二人で散歩にいった。

僕らの散歩コースはだいたいいつも決まっていた。家の裏の農道をまっすぐ進む。右手には広い丘が広がって、いつも胸がすくような風が吹いている。大きな犬が2頭いる大きな家の角をひだりに曲がる。左手に森をみながら公園に出る。一面草が生えたひろい場所で、公園というよりも草原といったほうがイメージしやすいような場所だ。公園をとおって住宅街に戻ってくる。丘や草原の緑に囲まれて、人間らしさを思い出せるようなゆったりとした時間が流れていた。

この日は雪がふった次の日で、自然に生えてくる芝生の上にうっすら雪がのこる寒い日だった。空気は乾いていて冷たかったが、不思議と嫌な寒さではなかった。写真に映る光の感じからして、多分日の暮れる頃だったと思う。

いつも歩く農道からは一面の緑の丘がみえて、一番高い丘へとつづく道のむこうから長い影を落とす太陽が、優しく光っていた。丘に続く道のわきに並ぶ木の影は長くのびていた。

雪を残した景色にうつる西陽や長い影が綺麗で、僕はいつもの散歩道を気の向くままに写真に収めていた。

アクセルはその様子を見て「君はちいさなものに美しさを見つけるのが上手だね。」と言った。ただ感想を述べただけの、意図や目的をあまり感じさせない穏やかでやさしい言葉だった。

僕は「ありがとう」と言って、僕が撮った写真には美しいものが写っているのだろうかと思った。もしそうだとしたら、僕がきれいだなと思ったものやことが、どんな形でもいいから大切な人と共有できるといいなあと思った。8000キロ離れて暮らす家族のことが頭にうかんだ。

今の僕は、音楽を作っていなくて、ライブも一年以上していない。しばらく歌っていないから、歌うのがだんだん難しくなってきている。でも、音楽をやっているものですと名乗ることが、まだある。それは、その時のアクセルの言葉が、まだ聞こえているからだと思う。たとえ歌を歌っていなくても、もうアクセルと雪がのこる草原を散歩することができなくても、自分の小さなものに美しさを見つける力を、僕は諦められないんだと思う。

あの日アクセルが何気なく言ったその言葉をまだ大事に信じているなんて、ナイーブすぎて攻撃されてしまいそうだ。でも、僕にはそういうところがある。そういう部分をなんとか大切にするために、いまこうして、書き残している。繊細でいい。太陽の光に感動していい。大切な人の些細な言葉を、大切に持ち続けていい。そう思う。

ささいなことはその些細さゆえに、見過ごされてしまう。でも、ささやかなものをそっと受け取ってみたい。ささやかなものの美しさを愛でて、近くにいるひとり、ふたりだけでも共有してみたい。この文章も、ひとり、ふたりくらいには、届けられたらいいなと思う。


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