見出し画像

ただ食べるだけの男性たち-2

僕は男だから

その男性は、なにげなくこう話した。

「二十代のとき、転勤で「とある離島」に赴任したんですよ。僕は男だから、地元の人たちと宴会でお酒をいっぱい飲んだり、一緒に釣りに連れて行ってもらったりして、楽しかったしいい思い出ばっかりなんだけど、女性が赴任した場合は、裏で料理の準備とか下働きしかさせられないもんだから、心を病んで途中で帰っちゃうケースが結構あるんですよね」

あーーー。日本中のあちこちで、規模の大小はあれど、同じような風景が繰り広げられているのでしょう。

男性は食べて飲んで楽しむ人。女性は作ってもてなして片付ける人。女性が男性のお世話をする。それがあたりまえ、と思っているカルチャーは昔はもっと根強くて、いまでもやっぱり変わらずにあることでしょう。

私作る人、僕食べる人

むかしむかし「私作る人、僕食べる人」というCMコピーがありました。

企画や演出の担当者によれば、「家では私がみんなにつくってあげる」という小学校4・5年生女子の回答がヒントになったとのこと。「女の子が男の子に、ラーメンをつくってあげる優しさを表現」し、「つくる人の愛情が加わると、ラーメンがよりおいしくなる」というメッセージを込めた。視聴者からのリアクションも「かわいい」「ユーモアがある」などなど概ね好評とのこと。

1975年に放送されたテレビCMで、CM内の台詞が性別役割分担の固定化につながるとして婦人団体から抗議を受け、約2か月で放送中止となった。

「私作る人、僕食べる人」wikipedia

なるほどーーー。リンク先を読むだけでもお腹いっぱいになりますが、ものすごくだいじな話だ。

世の中では広く「え?女が作って男が食べるなんて、あたりまえ。そういうものでしょ?」と思っている人がたくさんいるのに(もちろん世代や環境の差はあるにせよ)、誰もがアクセスできる公共の電波でそれを堂々と放送するのはダメでしょ?みたいなダブルスタンダードはいまでもそのままでしょう?

待っているだけでご飯が出てくる人たち

前回のお話、まだご覧になっていない方はぜひ覗いてみてください。

ご飯の時間になるとヘタクソパーカッションリサイタルをする祖父の話です。

この祖父ですが、1987年にすい臓がんで亡くなりました。ちょうどその頃、昭和天皇がすい臓がんに罹っていることがニュースになっていたのを覚えています。

で、ですね。きょうは祖父の話ではないんです。

その祖父のお見舞いに、わたしは父と一緒に行きました。信濃町の慶應病院に入院していたのですが、当時わたしの家は八王子にあって、帰ってくるのに1時間半くらいかかるわけです。帰宅時間が遅くなるのはわかっていたので、あらかじめ信濃町の駅前のパン屋さんでパンを買って帰りました。

自宅に着いて、わたしはコートを脱いで手を洗って、制服を着替えてから(まだ高校生だったのよ)、台所の食卓に向かいました。するとそこでみた衝撃の光景とは…

買ってきて持ってきたそのまんま、パン屋さんから買ってきたそのまんまのパンの袋をテーブルの上に乗せただけで、その真ん前に座ったまま待っている父の姿でした。

えーーー???
それって、どうなの?

別に手が不自由とか、目が見えないとか、そういう理由はひとつもないんですよ。それなのに、どこをどうやったらそうなるわけ?

うちの家訓は「口はタダだから」

それでいて外では「僕は単身赴任を何度もしているから、自分でなんでもできるんですよ。はっはっはー」とか言ってるわけ。わけわかめ。いみわからん。できるならやれよ。こちらからは以上です。

なにせうちの家訓は「口はタダだから」ですからね。他人の言うことなんか鵜呑みにして信じちゃダメですよ。お外ではかっこいいこと言ってても、家では実は…みたいな話は腐るほどたくさん聞いています。

その習性はいまだに変わらない

その父はいまも健在ですが、ほぼ変わってないです。ただ、いまはもうちょっとだけマシになりました。どのくらいかといいますとですね。

台所からお盆を運んだり、食べ終わったら皿を集めて洗ったりはします。でも、皿を洗うだけ。ざっつおーる。流しは使いっぱなしで生ゴミも放置です。ゴミ出しなんてもちろんやったことないので、ゴミの日の曜日は知りません。お風呂の浴槽はときどき洗いますが、排水溝や壁は掃除しないのでカビだらけです。ときどき洗濯機を回して干して取り込んで畳むことはしますが、洗濯機にフィルターがあって掃除しなきゃならないことは、積もり積もった綿ぼこりを私が目の前で見せたで、初めて知ったそうです。

とにかくひとりでご飯を食べられない。ひとりの食事は「悪」なんだそうです。「飢え死にするのと、自力でなんとかするのとどっちがいいの?」と日々尋ねていますが、その話題になると耳が聞こえなくなります。

日々の食事は命を守るまさに生命線のようなもの。そんなにご大層なものでなくてもいい。自分で自分が食べたいものを調達したり、自分で作ったり準備できなければ、なにかのはずみで生命の危機に瀕するかもしれませんよね?

これはもちろん高齢男性に限らないのでしょうけれど、でもきっと世代的に上の人には特に多いことでしょう。わたしは治療師だったので「なぜ俺が食事の支度なんかしなきゃいけないんだ」と威張ってひらきなおる高齢男性には数えきれないくらいお目にかかっています。(その話をすると10ページくらい必要になるな)

と思えば「奥さんが病弱なので、僕がぜんぶやるよ。上手だよ!」という方もいらっしゃってとても魅力的でした。「ひとりで食事の支度ができない」のは、別に威張って言えることじゃないですよね。はずかしい。

逆に「食事の権限を握るものは権力者」という考え方もできるわけですが、それはまた次の機会に。

占い世界でのあなたの探検が、よりよい旅路となりますように!