【第5章】剛敵は、深淵にひそむ (1/4)【野伏】
赤茶けた荒野の所々に、濃い緑色の下草が群生している。控えめな彩りの花々を飾る茂みも、それなりの頻度で見られる。
大地は、岩山が起伏を刻み、地下水脈が頭をもたげた場所には樹々が背を伸ばして、林を形成する。
一見すると荒々しい自然におおわれたように見える次元世界<パラダイム>は、しかし、化学物質によって汚染されている。
無人の荒野には、錆びて朽ち果てた機械……かつては、土煙とともに大地を駆け抜けた戦車や装甲車たちが、無造作に転がっている。
人間の相棒だった鋼鉄の牛馬たちは、エンジントラブルや原住民同士の小競り合いの末に動けなくなると、その場で遺棄されることも少なくない。
かつて、この次元世界<パラダイム>には、高度な科学文明が存在していた。絶頂を極めた国家も力を失い、やがて緩やかな衰退期を経て、現在に至る。
住人たちは、もはや自分たちの手では作り出せなくなった遺物を地の底から掘り出し、修繕のうえで利用して、たくましく生きている。
人間を含めた生物全般も、長い時間をかけて、汚染物質への耐性を獲得していた。
荒野の安息地のように樹々が葉を茂らせる小さな林を、微風がなでる。
細い樹木の根本に穴を掘り、迷彩シートかぶせた内に潜りこむ男の鼻に、錆びた臭いが届く。塹壕のなかに身をひそめる男は、少し残念に顔をゆがめる。
「故郷によく似ている土地なんだな。汚染がなければ、ちょうどいい隠居先だが」
迷彩コートのフードの奥から、木漏れ日がのぞく樹冠を仰ぐ。長く伸ばした髪を、三つ編みにまとめた男だ。
三つ編みの男……グレッグ・コクソンは、セフィロトエージェントであり、現在、ミッションを遂行中だ。手元には、無骨なスナイパーライフルが横たわっている。
多くのエージェントがそうであるように、他の次元世界<パラダイム>から派遣されたグレッグは、当然、この環境に染み渡った汚染への耐性を持ち合わせていない。
現地の水や食べ物の摂取はコンディションへの悪影響が懸念されているため、代わりに自社製の携行食糧<レーション>を口にする。
パックに密封されたゼリー状のタイプで、必要十分な栄養素が含まれ、短時間で簡単に食べられるが、味気はない。
さらに、グレッグの携行食糧<レーション>には、少量の向精神薬が混ぜられいている。長期のスニーキング・ミッションにおけるストレスを軽減するためだ。
フラットな精神状態は、ミッションの成功を導く大きな要素のひとつだ。少なくとも、グレッグはそう考えている。
樹上では、蜜をしたたらせる果実に羽虫がたかっている。迷彩コートのエージェントは、簡易陣地のなかで身じろぎすると、多機能ゴーグルを目元に装着する。
ゴーグルの遠視機能を、倍率いっぱいで起動する。視界に映し出されるのは、蒼みがかった黒髪の青年の姿──今回のミッションにおけるターゲットだ。
「さて……どんなものなんだな」
拡大倍率を少しばかり下げて、青年の周囲まで視界に捉える。黒髪の若者のすぐとなりには、バギーに乗った現地人らしき男の姿がある。
「ほぉーう。思ったよりも、社交的な男なんだな」
当然、会話の内容など聞こえるわけのない距離だ。多機能ゴーグルの拡大倍率を最大まであげたとして、読唇術も難しい。
ただ、なんらかの交渉をしていることはわかる。しばしの会話の末、ターゲットは原住民からなにかしらの小さな物品を受け取り、二人は別れる。
「食料でも買ったか? 気楽なものなんだな。寿命を縮めるぞ」
青年が、食中毒でも起こして、ばったり倒れてくれれば話は早いが、化学物質による汚染はたいてい遅効性だ。
ターゲットの位置が、そろそろ、多機能ゴーグルとスナイパーライフルの有効範囲の外に出る。グレッグは、簡易陣地から這いだし、身を屈めつつ荒野に踏み出す。
つかず離れずの遠距離から、何時間でも、必要であれば何日でも追跡し、ターゲットが決定的な隙を見せるのを待ち、確実にしとめる。それが、グレッグのやり方だ。
「さぁーて。どこに向かうものなんだな」
折りたたみ<フォールディング>機構のスナイパーライフルをふたつ折りにし、かついだエージェントは、迷彩コートのフードをかぶりなおす。
ターゲットからでは視認できない距離を保ちつつ、どこまでも尾行する。荒野の起伏と茂みは、グレッグの味方だ。エージェントは身をかがめて、歩き出す。
「なかなかに体力のある男なんだな。もう、10時間は経過しているぞ」
グレッグは、小さくつぶやく。ターゲットを捕捉し、追跡を開始したのが、今朝の陽が昇る前。太陽は、頭上のもっとも高い位置にさしかかりつつある。
黒髪の青年は、ジャケットを羽織っただけの軽装で、まるでオフィス街からなじみのカフェに散歩に行くかのような風貌だ。
にもかかわらず、疲労の色を感じさせることなく、錆びた臭いの吹き抜ける荒野を淡々と歩き続けている。
「……ヌヌッ」
追跡対象の行動の変化を察知したグレッグは、茂みに身を隠し、うめく。多機能ゴーグルの拡大倍率をあげて、ターゲットの様子を確認する。
若い男は、断崖のまえに立ち、ぽっかりと口を開けた洞窟を見つめている。やがて青年は、岩窟のなかに足を踏み入れていく。
「天然物じゃない。これは……坑道なんだな」
この次元世界<パラダイム>の坑道は、鉱物資源の採掘ではなく、科学文明の遺物発掘のために造られる。この洞窟も、おそらくそのようなものだろう。
もっとも、この横穴はめぼしい獲物を掘り尽くしたあとの廃坑のように見える。
「なにが目的なんだな……追跡が、バレていたか?」
そう言いつつも、グレッグは岩陰に慣れた手つきで簡易の偽装陣地を造り、潜りこむ。たたんでいたスナイパーライフルを伸ばし、照準を洞窟の入り口に合わせる。
「根比べなら、小生も望むところなんだな」
エージェントは、ゼリー状の携帯食料<レーション>をすすり、栄養補給する。
ターゲットの足取りに迷いはなかった。おそらく、現地人と接触したときに、この坑道の情報を得たのだろう。
この次元世界<パラダイム>の住人のなかには、遺物の堀り残しを目当てとして廃坑に潜るものもいると聞いたことがある。
ターゲットに限って、それはない。そんなことをする理由がないし、なにより、着の身着のままで発掘作業など、できやしない。
「まーあ、罠なんだな。ふつうに考えれば」
スニーキングの気配を察知しつつも、グレッグがどこにいるかまでは見抜けなかったターゲットは、閉鎖環境に誘いこむことで反撃に出ようという算段だろう。
「無論、小生とて、ぼんやりと相手が出てくるのを待つ気はないものなんだな」
簡易陣地に潜りこむグレッグの手元に、小鳥が飛来する。至近距離でよく見れば、生きた鳥ではないことがわかる。精巧に造られた小型ロボットだ。
これこそが、グレッグの今回のミッションに際して『ドクター』から貸与された試作兵器『機械化鳥隊<バード・カンパニー>』だ。
数十匹の鳥型マシンには、高精度カメラが内蔵され、グレッグの装備する多機能ゴーグルと情報を同期する。
さらには、各個体には、ニードルガン搭載の射撃型、高振動ブレード装備の格闘型、高性能炸薬内蔵の自爆型がそれぞれ存在し、用途に応じて使い分けができる。
グレッグが、この次元世界<パラダイム>に派遣されてから、スムーズにターゲットを発見し、追跡を開始できたのも、この装備によるところが大きい。
「よし……行けッ!」
グレッグは、『機械化鳥隊<バード・カンパニー>』の三機を一個小隊として編成し、洞窟のなかに侵入させる。
ターゲットの動向はもちろん、坑道の全容把握が目的だ。鳥型マシンは、断崖に口を開く大穴に向かって、一直線に滑空していく。
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「敵もやるものなんだな。なめてかかれない相手……ということか」
グレッグは、陣地のなかでうめく。とうの昔に陽は沈み、人家のひとつも存在しない荒野は、夜の闇に包まれている。
本日三度目、遅めの夕食となる携行食糧<レーション>をエージェントは口にする。ついでに、覚醒作用のある錠剤を一粒、飲みこむ。
一定のインターバルを置きつつ、グレッグは『機械化鳥隊<バード・カンパニー>』の小隊を坑道内部へ送りこんでいる。
しかし、わずかな探索の後に、ターゲットからの妨害とおぼしき攻撃を受け、すべからく撃墜されている。そのため、洞窟の全容把握は思うほどに進んでいない。
「坑道に、他の出入り口があると厄介なんだな」
グレッグは、当初から危惧していた懸念を口にする。だからこそ、まずは坑道の全体像を掌握することを第一目標とした。
「だが、まだ、なかにいるはずなんだな。ターゲットは……」
つい先刻に送りこみ、通信途絶した『機械化鳥隊<バード・カンパニー>』こそが、ターゲットが坑道内にいる証拠だった。
「とはいえ、『機械化鳥隊<バード・カンパニー>』の数も有限なんだな。これ以上、数は減らしたくない、か……」
ターゲットが、すでに他の脱出口を確保したうえで、待ち受けているのが、グレッグにとって最悪のパターンだ。ここまでの苦労と消費が、無駄になる。
エージェントというものは常に、最悪を想定して動かねばならない。
「……踏みこむか」
虎穴に赴く決意を固め、グレッグは立ち上がる。
閉鎖空間での取り回しに難があるスナイパーライフルは、陣地においていく。代わりに、サブウェポンのオートマチックピストルを抜く。
残りの『機械化鳥隊<バード・カンパニー>』を呼び集め、周囲に展開しつつ、グレッグは断崖に顎を開く黒い口のなかに自ら、踏みこんでいく。
多機能ゴーグルの暗視機能を起動し、拳銃を構えつつ、慎重を期して10メートルほど歩を進めたところ……
──ピンッ。
つま先に何か触れて、ワイヤーらしき物体が引きちぎれる音が聞こえる。
「しまったッ! ブービートラップ……!!」
グレッグの背後で、崩落音が響く。坑道の天井が砕け散り、岩盤が瓦解して、土煙を立てながら入り口をふさぐ。
「ヌヌ……ッ。小生も、お株を奪われたものなんだな」
迷彩コートのエージェントは、苦々しく表情をゆがめた。
→【坑道】
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