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【第2部10章】戦乙女は、深淵を覗く (6/13)【試練】

【目次】

【隔絶】

──ヒュオオォォォ……

 凍原の上空を、からっ風が吹き抜けていく。雪は止んでおり、雲の裂け目から陽光が注ぐ。城勤めの魔術師が、『託宣』の魔法<マギア>で慎重に日取りを決定した。

 アンナリーヤは一人でヒポグリフにまたがり、手綱をにぎっている。その表情は、硬い。周囲に側近や護衛の戦乙女の姿はない。

 身にまとう実戦さながらのミスリル<魔銀>製の兜と胸当てが、陽光を反射して蒼碧の輝きを反射する。

「……戦士とは、単騎であっても勝利をつかむことが求められるからだ」

 ヴァルキュリアの王女は、独りごちる。今日は、アンナリーヤの成人の儀式が執りおこなわれる。いや、すでに典礼は始まっている。

 戦乙女の妹姫は、凍原の指定された地点にヒポグリフの頭を向ける。地面の起伏の乏しい、雪の積もった平地となっている場所だ。

 そこには、すでに多数のヴァルキュリアたちが集まっている。アンナリーヤから見て姉に当たる戦乙女らは、大きな円形の陣を組んでいる。

「王女の立場にふさわしい実力を示す。そのために、今日まで鍛錬を積んできたからだ」

 戦乙女の妹姫は同朋たちが形作るサークルの内側、外縁部の近くにヒポグリフを着陸させる。すぐさま、側近のヴァルキュリアが駆けよってくる。

「お待ちしておりました、姫さま」

 アンナリーヤは小さくうなずくと、鞍のうえから凍原に飛び降りる。口のなかに乾きを感じる。

 側近の差し出した大盾と突撃槍<ランス>を、戦乙女の妹姫は手に取る。いずれも訓練で使う木製のものではなく、魔銀<ミスリル>を鍛造した実戦用だ。

 いままで経験してきた模擬戦とは異なる武器の感触を手で確かめながら、アンナリーヤは視線をあげる。

 円陣を組む姉たちの中央に、なにかがいる。グリフィン──ヒポグリフの野生種である魔獣が、不機嫌そうにうなり声をあげている。

 鷲の上半身と獅子の下半身をあわせ持つ怪物は、後ろ足の片方に魔銀<ミスリル>製の鎖を巻かれ、それは凍原に深々と突き刺された杭につながっている。

 連環は逃げ出すには不十分だが、行動を制限することはない程度の長さだ。アンナリーヤは同朋たちの見守るなか、このグリフィンを独力で狩らねばならない。

 戦乙女の妹姫は大盾を全面にかかげ、槍の柄をわきで支え、じりじりと鷲獅子との間合いを詰める。魔獣が気がつき、顔を向ける。

 ふたたび吹雪が荒れ始めれば、儀式はそこで終わる。成人として認められるには、タイムリミットまでに眼前のグリフィンを単騎でしとめる必要がある。

(この程度の試練を乗り越えられぬようでは……エル姉さまを支えることなど、とうてい叶わないからだ!)

 アンナリーヤは、少しずつ歩を進めていく。臨戦態勢となった鷲獅子は、低い姿勢でうなり声をこぼす。野生の殺気が、戦乙女の妹姫の士気をくじこうとする。

 そもそもヴァルキュリアの成人の儀式には、いくつかの種類がある。その大半は形骸化した慣例としての式典にすぎず、大した困難はともなわない。

 そのなかで、アンナリーヤはもっとも歴史が古く、過酷な試練を選択した。姉に、母に、ほかならぬ自分自身に、己の実力を証明するためだ。

「──ふえっ!?」

 戦乙女の妹姫の予想したよりもはるかに離れた距離から、グリフィンが飛びかかる。一瞬でせまり来る前脚のかぎ爪を、アンナリーヤはとっさに大盾で受け止める。

「ぅぐ……ッ!」

 じゃらじゃらと魔銀<ミスリル>の鎖のこすれる音が聞こえる。姫君は、腰を落として衝撃に耐える。魔獣は盾の表面を蹴って、上空へ飛翔する。

「ほかならぬ自分の弱さが、未熟さが──悲憤慷慨だからだ!」

 空から自分を狙う鷲獅子に対して、アンナリーヤも地面を蹴り、垂直に飛びあがる。全面に突き出すのは盾ではなく、大槍の穂先だ。

「うぉああぁぁぁーッ!!」

 グリフィンのくちばしと、魔銀<ミスリル>製の突撃槍<ランス>がぶつかりあう。双方、手傷を負わせることはできず、空中で間合いをとる。

「……くうッ!?」

 戦乙女の妹姫が体勢を立てなおすよりも早く、翼持つ魔獣は急旋回して、短剣のように鋭いかぎ爪を突き立てる。

──ガキンッ!

 凍原の空に、鈍い音が響く。魔銀<ミスリル>製の胸当てが、アンナリーヤの肉体を守ってくれた。それでも衝撃を削ぐことはできず、姫君の身体は宙を空転する。

 捕食者の眼光を輝かせる鷲獅子は、まわりこみながらアンナリーヤの急所を狙う。姫騎士はやみくもに大槍を振りまわし、グリフィンを追い払おうとする。

 ふと顔をあげると、視界をおおうほどの至近距離に魔獣の姿があった。鷲獅子は前脚のかぎ爪を、アンナリーヤの両肩に喰いこませる。

 腕の付け根の痛みに耐える間もなく、空中の姫騎士の身体を押しこむような、地面に向かう強い力を感じる。

 グリフィンは捕らえた獲物を上空から凍原に叩きつけて、とどめを刺す──昔、聞いたそんな話が、アンナリーヤの脳裏をよぎる。

 姫騎士は激しくもがき、翼を羽ばたかせる。倍以上の体躯を持つ鷲獅子の膂力のまえには、無駄な抵抗だ。背中越しに、ぐんぐん地面の近づく気配を感じる。

「悲憤、慷慨──だからだッ!」

 アンナリーヤが咆哮する。その身は、ついに凍原へと叩きつけられる。雪煙が舞いあがり、周囲のヴァルキュリアたちが息を呑む。

 鮮血が周囲に飛び散り、雪のうえに赤い染みを作る。姫騎士の身体からこぼれたものではない。魔銀<ミスリル>の穂先が、深々とグリフィンののどを貫いていた。

 衝突の瞬間、アンナリーヤは槍の柄の突端を地面に対して突き立てた。急降下の運動エネルギーは、そのまま大槍の貫通力に転化され、魔獣の身を刺し穿った。

 突撃槍<ランス>によって串刺しとなった鷲獅子は、ゆっくりと雪のうえに倒れこんでいく。背中と双翼に激痛を覚えながら、姫騎士はひざ立ちとなる。

「……姫さまッ! 大事ありませんか!?」

「まだだ……ごほッ! まだ、儀式を完遂していないからだ!!」

 あわてて駆けよってくる側近の魔術師を制し、アンナリーヤはせきこみつつも立ちあがる。大盾を投げ捨て、腰に差した片手剣を引き抜く。

「悪く思うな……これも運命<さだめ>だからだ」

 うらめしげな視線を向けるグリフィンに対して姫騎士は言い放つと、魔銀<ミスリル>の刃を一閃する。赤い血を噴出しながら、魔獣の首が凍原に落ちる。

 一瞬の静寂のあと、周囲を囲む姉妹たちが歓声をあげる。剣を握りしめたまま、アンナリーヤはよろめく。その身を側近の戦乙女が支え、『治癒』の魔法<マギア>をかける。

 凍原に粉雪が舞い始める。すぐに吹雪となるだろう。ぜえぜえ、と荒い息をつきながら、アンナリーヤは視線を上空に向ける。

 厚い灰色の雲の裂け目から、一人のヴァルキュリアがゆっくりと降りてくる。近づくにつれ、それは母たる女王の側近の一人だとわかる。

「お見事にございました、王女殿下。つきましてはオリヴィネーアさまより、儀式を無事に完遂したおりには、ご案内するようおおせつかっております」

「……お母さまが?」

 翼と背中の痛みはいまだ残り、せきは止まらず、平衡感覚すらままならない。それでもアンナリーヤは、女王の近衛をつとめる戦乙女の差し出した手を取った。

【禁呪】

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