【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (3/16)【出生】
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「あんたには辛い話かもしれないが……隣村の連中は、正直、全滅したとばかり思っていたんだ。一人でも生き残りがいたのは、めでたいことだよ」
若いエルフの男が、たき火に薪をくべながら言う。ミナズキの素性がわかったこともあり、一行は滞在を許され、村の集会場に案内された。
「いえ……此方は、まったく覚えていませんでしたから……」
「だろうなあ。あんたも、三十年まえなら赤ん坊だ……うちの村の先代族長も、助けに行ったとき『落涙』の犠牲になって、いまじゃ柄にもなく俺が族長だ」
長耳の巫女を元気づけるように、エルフの若き族長は陽気に笑ってみせる。ミナズキのかたわらでは、メロが不思議なものを見るように旅の仲間を見つめる。
「ミナズキさん、倍くらい年上だったのね……メロは、てっきり同年代とばかり……」
「うふふふ。それなら、メロ。わたくしはどうなるのですか? カルタも言ったとおり、百倍は年上ですわ」
「鯖を読むな、クラウディアーナ。二百倍の間違いじゃ」
囲炉裏の焚き火にあたりながら、カルタヴィアーナが悪態をつく、龍皇女は本心の読めぬ微笑みを浮かべて、聞き流す。
「それは、スケールが違いすぎて逆に実感がわかないというか……ディアナさまは、ミナズキさんのこと、最初からわかっていたのね?」
「『淫魔』の真似をして、アドレスとやらを読みとっていましたから、ミナズキがこの次元世界<パラダイム>の出身であることはわかっておりましたわ。さすがに仔細までは把握できませんでしたが……」
「いえ。見事にございます、皇女陛下。そこまでの慧眼とは……」
ミナズキは、すぐとなりのクラウディアーナに対して深々と頭を下げる。龍皇女を挟んだ向こう側で、カルタヴィアーナは鼻を鳴らす。
「ふん。利用されておるだけじゃ、エルフの小娘。見てくれと真逆の腹黒を信用しておっては、いずれ痛い目を見るわ」
妹龍の憎まれ口は、ぐう、という間の抜けた音によってさえぎられる。音の発生源は、カルタヴィアーナ本人の曲がったへそをさらけだした腹部からだった。
気がつけば、焚き火から美味そうな匂いがたちこめ、集会場のなかに満ち満ちている。
「ははは、嬢ちゃんの胃袋は正直だな。安心しろ、そろそろ食べ頃だぞ」
「かしましいわ! どいつもこいつも我を童扱いしおって、気に喰わん!!」
両腕を振りまわしながら抗議の声をあげる妹龍を気に止めることなく、囲炉裏のなかに放りこんでいた葉の包みを火箸で引き寄せる。
茎の結び目をほどいて包みを開くと、湯気とともに食欲をそそる香りがあふれ出す。大きな葉の内側では、肉と茸と香草が蒸し焼きになっている。
「猟りたての翼竜肉の包み焼きだ。火傷しないように気をつけてな……ここ最近、精霊の機嫌がよいのか豊猟でね。遠慮せずに、腹いっぱい食べてくれ」
若いエルフの族長は、客人たちに焚き火から引きあげたばかりの包みをまわしていく。大きな葉を広げると、それを皿代わりにエルフの女たちが、木の実をすりつぶして焼いたパンと餅の中間のようなものを置いていく。
メロとミナズキは、きょろきょろと周囲を見まわしたあと、互いに顔をつきあわせる。二人にとってあたりまえの食器である箸やフォークが、まわってこない。
「郷に入れば、郷に従え……ですわ」
クラウディアーナは、周囲へ視線を巡らせるよう二人に促す。住民のエルフたちは、手づかみで包み焼きの中身を口に運んでいた。
龍皇女はあたりまえのように周囲のテーブルマナーにあわせて翼竜肉の切り身を指先でつかみ、舌のうえに乗せる。少し戸惑いながら、メロとミナズキもそれにならう。
カルタヴィアーナは、はじめから周囲の目など気にも止めず、両手で食物をわしづかみにしながら、口のなかに放りこんでいく。
「なぜかしら? 食べたことはないはずなのに、懐かしい味がする……」
「うん、メロも初めての料理なのね。でも……これ、けっこう好きかも!」
オーバーオールの金髪少女は味わうように噛みしめ、黒髪のエルフ巫女は肉を小さく千切りつまんでいく。
翼竜肉の強いクセが、包み葉と香草、茸の持つ森の匂いで中和され、濃厚な旨味が脂とともに染み出してくる。
「ときに族長どの。ミナズキ……この娘の産まれた村ですが、どのような一族が暮らしていたのですか?」
黒髪のエルフ巫女も村長も、どこか言い出しにくそうにしていた事柄をクラウディアーナは直截に尋ねる。
「あー、言っていいものか……」
「聞かせていただけないかしら? 此方も、ぜひ知りたい」
ミナズキ本人が、身を乗り出して声を重ねる。当事者の希望とあっては、若き族長も断る理由がなくなる。妹龍の瞳が、狡猾な蛇のように光る。
「……守人だったんだよ。この森の、『聖地』の」
「『聖地』……」
村長が口にした言葉を、黒髪のエルフ巫女は噛みしめるように反芻する。かたわらの龍皇女は、はじめからわかっていたかのように深くうなずく。
「『聖地』ってものは、エルフはもちろん、オークどもや魔獣ですら敬意を払う場所。そこの守人だって、同じだ。だが……『落涙』は別だ。あれは、一切合切の区別なく喰らい尽くす」
「その『落涙』っていうのは……なんなのね?」
きょとん、とした表情のメロが、手を挙げて質問する。若きエルフの族長が、苦笑いする。
「あんたたち、『落涙』を知らないとはな。生き残りの嬢ちゃんも、ずいぶんと遠くの土地まで逃げたもんだ。俺たちも、移り住みたいくらいだよ」
「ふん……我が逃げろと言っても聞かないくせに、よく言うわ。守人の連中だって、『聖地』を守る、と言い張って最後まで動かなんだ」
早々に夕餉を平らげたカルタヴィアーナが、小さなゲップをこぼしつつ村長の言葉をさえぎる。
「最初は、六百年ほどまえじゃ。月が欠け、そこに瞳が開き、文字通り巨大な『涙』が落ちてきた。そいつは地に落ちるとのたうちまわり、まわりを荒らしまわったわ」
少女の姿の妹龍は得意げに胸を張り、上位龍<エルダードラゴン>の長い寿命のなかで見てきた光景を流暢に語る。
「百年に一度ほどだった『落涙』は、二百年ほどまえから次第に回数が増えてきた……いまでは十年に一度くらいじゃ。これではエルフもオークも、文明の広げようがないわ」
「驚いたな……嬢ちゃん、まるで全部の『落涙』を見てきたみたいじゃないか」
「当然じゃ! なんといっても、我は……ぶあッ!?」
これ見よがしに己の素性を明かそうとしたカルタヴィアーナの口を、純白のドレスを身にまとった姉龍がとっさに両手でふさいだ。
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