【第4章】彼は誰時、明けぬ帳の常夜京 (14/19)【貪喰】
【元凶】←
アサイラが、ミナズキの前に立ちふさがる。瑠璃の円筒の陰から、三本の矢が飛んでくる。
「ウラァ!」
風切り音を響かせて、アサイラの手刀がすべての矢をたたき落とす。
「どれ。おれぁ、かくれんぼが苦手ってわけじゃあないんだぜ。ただ、これだけのデカブツと一緒にかくれるわけにはなあ」
ゆらり、と姿を現した武官束帯の偉丈夫は、シジズだった。アサイラは、拳を構え、いつでも駈け出せるように腰を落とす。
シジズは、にたにたと笑いながら手にしていた長弓を投げ捨てると、ぼりぼりと鼻の頭をかく。
「長期の潜伏ミッションだからな。銃器の類は、持ち込みが許可されなかった。まさか、こんな原始的な武器の使い方を、いちから訓練するとは思わなかったぜ」
殺気を張りつめたアサイラとは対照的に、シジズは悠然とした様子で、円筒の構造物の根本に歩み寄る。
「どれ。ここで殺し合うなら、偽装工作の手間がはぶけるぜ。得物なんかも、関係なくなるしな……ッ!」
シジズは、構造物に取り付けられた車輪状の部品を両手でつかむ。アサイラが、走り出す。シジズは構うことなく、輪を回す。
──ぬるり。
円筒から少し離れた管の先端から、蛭の怪物が五匹、這いだしてくる。極彩色の妖魔は、アサイラの進撃をさえぎるように身をのたうつ。
「来い……ッ!」
シジズが、叫ぶ。毒々しい巨蛭は、声の主に従い、身を這わせる。
ミナズキの長くとがった耳は、耳障りな羽音を聞き止める。シジズの振るう太刀の音とは、違う。奇妙な羽音は、シジズの全身から響いている。
やがて、奇怪な軟体生物は、シジズの全身にまとわりつき、鎧のように密着する。根源的な嫌悪感をもよおす不気味な姿に、アサイラもその場で足を止めた。
「どれ、着心地は最悪だぜ。だが……『鳴動操置<ウィスパーベイビー>』 は、十全に機能しているッ!」
顔だけを外部に出して、それ以外は蛭の魔人とでも言うべき姿となったシジズは、にたりと笑う。
シジズは、自分の腰のあった場所に軟体生物の腕を突っ込むと、粘液まみれとなった太刀を引き抜く。
「ここには、次元世界<パラダイム>のエネルギーを吸収する生物が棲みついていてな。希少な存在だぜ。セフィロト社は、その培養と制御の研究をしていたわけだ」
したり顔で講釈するシジズに対して、アサイラが踏み込む。
「……ウラアッ!」
シジズの腹部をえぐるように、アサイラの鉄拳がたたきつけられる。打撃音が……響かない。アサイラの手首まで、軟体生物に呑み込まれている。
「ググ……ヌギギギッ!」
アサイラは目を見開き、額に脂汗を浮かべて、苦悶の声をこぼす。対するシジズは泰然とした表情で、眼前の男を見下ろしている。
「抜けねえだろ。おれぁ、痛くもかゆくもないんだぜ?」
シジズの瞳に、侮蔑の色が浮かぶ。
「次元世界<パラダイム>のエネルギーは、生命のエネルギー。当然、他の生命体から吸収することも……できるんだぜッ!」
アサイラは、蛭巨人の腹部から、必死に拳を引き抜こうとする。粘液にまみれた手首が外気に触れるが、その速度は遅い。
「このまま、干からびるのを待つのも面白そうだが、後顧の憂いがないように……首を斬り落とすことにするぜ!!」
振り上げられたシジズの太刀が、甲高い羽音を立てる。刃の輪郭が、揺らめく。アサイラは、焦りの表情で人型の蛭を見上げる。
「──征けッ!」
ミナズキの鋭い声が、渓谷に響きわたる。白くしなやかな指先から、五枚の呪符が投げ放たられる。
呪符は、五匹の鷹へと変じ、シジズへと飛びかかる。翼を、爪を、くちばしを刃に叩きつけ、羽音の太刀に引き裂かれながらも、必死に斬撃を阻害する。
「チイッ! しゃらくさい真似をしてくれる、ぜッ!!」
蛭につつまれたシジズの逆腕が、空中をなぎ払う。わずかにかすめただけで、式神たちは霊力を喪失し、たちまち鷹としての姿を消失する。
「ギヌヌヌウゥ──グアッ!!」
そのわずかな隙をついて、アサイラは両足を踏んばり、左手で右ひじをつかみ、渾身の力で右拳を引き抜こうとする。
気味悪い燐光をともなった粘液ををまき散らしながら、軟体巨人の腹部より、アサイラの右手が解放される。
アサイラは、勢い余って後方に回転する。間一髪、アサイラがいた場所に、シジズの太刀が遅れて振り抜かれる。
「どれ。命拾いしたようだぜ、小僧?」
「クソが……ッ」
シジズは挑発的に笑い、アサイラは悪態をつきながら、右手を抑える。アサイラの右手は、死体のように血の気が引いて蒼白になり、けいれんしていた。
「徒手空拳が、てめえの武器か? 片方、使えなくなっちまったぜぇ?」
巨蛭の鎧に守られたシジズは、太刀を振り上げ、勝ち誇る。アサイラは、右手をかばいながら、間合いを取ろうと後退する。
「逃げても、無駄ってやつだぜ! お目こぼしがあると思うな……ん。待て、どうした……おい。やめろ」
アサイラを追いつめようと、悠然と歩を進めていたシジズが、突如、足を止める。
「なんだ、これは。なにが、起きた……『鳴動操置<ウィスパーベイビー>』 のコントロールが? まさか、脇腹を殴られたときに……ッ!?」
シジズをおおう蛭状の妖魔たちが、びくびくと身を震わせる。唯一、外気に触れていたシジズの顔面が、巨蛭の粘液と肉のなかに呑み込まれていく。
「やめ、や、あ、あぁ、アアァァァ──ッ」
ミナズキは、異様な光景を目の当たりにして、あらためて身の毛を逆立てる。先ほどまで霊感で関知できていた、シジズの霊力が、一瞬のうちに消滅した。
「──喰われた」
ミナズキは、シジズの身に起こった結末を直感する。
→【落下】
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