【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (15/16)【焼尽】
【血河】←
「うおおぁぁぁ──ッ!!」
アンナリーヤの絶叫が、灼熱の大地に響きわたる。開いてしまった地獄の釜のふたを閉じようとするがごとく、きらめく防御フィールドを四方に展開しつつ、魔銀<ミスリル>の大盾を下方へ向かって押しつける。
「因果応報というやつだ! 民ごと地を焼却するという暴挙は……ほかならぬ貴様自身の仕業だからだ……己の業火に、裁かれるがいいッ!!」
盾と魔力障壁の向こうには、さきほどまでフロルが斬り結んでいたグラトニア征騎士序列1位のトリュウザがいる。抵抗は、未だ健在だ。燃え尽きていない。それどころか、盾を押し返そうとすらしている。
戦乙女の姫騎士と少年騎士は、大地からの輻射熱を直接、浴びずに済む位置にいるが、それでもまわりこんできた熱波に苛まれている。ヴァルキュリアの王女は、いぶかしむ。
「妙だ……自分たちが煽られれば、ひとたまりもない灼熱の地面に落下して……あの男は、なぜ、いまだに抵抗の力を失わない!?」
「見て……刀を、地面に突き刺している……」
アンナリーヤの疑念に対して、かたわらのフロル士が息も絶え絶えの、か細い声でつぶやく。自身の魔力を、双翼の推力と防御フィールドの展開に全力で注ぎこみつつ、戦乙女の姫騎士は、おそるおそる盾の端から顔を出して、向こう側をみる。
「──ッ!」
トリュウザと目があった。地獄の魔物のごとく、らんらんと輝く瞳に、思わず身がすくみそうになる。ヴァルキュリアの王女は、己の心を叱咤して、状況を観察する。
フロルの言ったとおり、初老の剣士は長尺の刀を深々と足元に突き刺している。自身の得物の柄を足場として、熱源となっている地面からわずかに浮いて、直接の接触を避けている。
そのうえで万歳でもするかのように両腕をあげ、十本の指を防御フィールドに突き立て、無理矢理に押し返そうとしている。
「だとしても……! 魔銀<ミスリル>の溶鉱炉の熱に、おのが身をさらされているようなものだからだ!!」
どこかおびえるような絶叫を、アンナリーヤがあげる。維持されているかぎりはあらゆる害と衝撃を遮断する魔力障壁の向こう側で、トリュウザの身を包む衣が、ぼうっ、と燃えあがる。
全身が火だるまになりながら、なおも初老の剣士の闘気は衰えず、むしろ勢いを増して、大盾を挟んだふたりを威圧する。
「ただ眼前の相手を斬り殺すためだけに、これだけの執念……自分には、とうてい理解できない。もはや人間ではなく、獄卒、怨霊、悪鬼羅刹のたぐいと呼ぶほうがふさわしいからだ……」
「……この人は、グラトニアの征騎士たちのあいだでは、『剣鬼』とも呼ばれていた」
戦乙女の姫騎士の呆然としたつぶやきに、フロルはささやくように答える。
「それ以上に、信じられないのは……自分の『神盾拒絶<イージス・リジェクト>』を、両腕の膂力のみで押しとどめているからだ! あらゆる衝撃を防ぎ、はじき返す力のはずなのにッ!!」
「導子抵抗だよ。それだけ、構成導子量が……トリュウザという『存在』の力が、規格外なんだ……!」
ヴァルキュリアの王女は、ぎりっと歯ぎしりする。焼け焦げた双翼に、どれだけ魔力を循環させて前進しようとしても、これ以上、現在地点から押しこむことができない。
盾を支える両手の指が、震えはじめる。貧血にも似た、魔力切れのめまいを感じはじめる。単純に、肉体の疲労も蓄積している。かたわらの少年など、文字通り虫の息だ。
アンナリーヤは、焼け落ちる寸前の死に体の相手をまえにして、自分たちのほうが粘り負けしてしまう可能性に現実感を覚える。
「悲憤慷慨だが……この高熱化の能力を解除されて、仕切り直しでもされたら……自分たちのほうが不利だ。あの剣撃をさばき切れる、自信も余力もないからだ……」
「いや、この人は……トリュウザは、そんなことはしない。むしろ……僕たちが、いま警戒すべきなのは……」
戦乙女の姫騎士が抱いた焦りの感情から生じた弱気な言葉に対して、意識も絶え絶えなフロルが、何事かを指摘しようとする。魔力によって生じた光の壁越しに、もはや炎の魔霊といった姿と化した初老の剣士の影が、顎を動かすのが見える。
「──のたうて、『焦熱禍蛇<しょうねつかだ>』」
ヴァルキュリアの王女と少年騎士の耳に、はっきりと『剣鬼』の言葉が届く。次の瞬間、ふたりの頭上が巨大な影におおわれる。とっさにアンナリーヤは背後をあおぎ見て、己の目を疑う。
焦熱地獄と化した大地のうえで唯一の足場となっていた鉛色の巨蛭が身をもたげ、こちらへ向かって圧倒的質量の体躯が倒れこんでくる。
戦乙女の姫騎士は、初老の剣士を抑えつけることに全魔力を振り向けている。鉛色の塊が落ちてくれば、圧壊するであろう範囲が広すぎて、とっさの回避運動では間にあわない。
だからといって、上下反転して『神盾拒絶<イージス・リジェクト>』で受け止めるなど、もってのほかだ。眼下の『剣鬼』は、これ幸いと背中から斬りかかってくるだろう。
「刃を交えているうちに、わかった……これが、トリュウザという人だよ。守る、という発想が欠落している。なんなら、自分が死んでも相手を斬り伏せようとする。だけど……きみが時間を稼いでくれたから、どうすればいいか、考えることができた……」
フロルは大盾の内側で、よろよろと立ちあがる。落ちてくる巨大質量体をまっすぐ見据えると、己の『龍剣』を構える。くるりと手首をまわし、自分のほうへ切っ先を向ける。
「組み立てろ……『機改天使<ファクトリエル>』」
「少年──ッ!」
アンナリーヤが制止する間もなく、フロルは自分の剣で自身の心臓を深々と突き刺す。血が噴き出すことはなく、異形の刀身から伸びるたてがみのごとき鋼線が使い手の身体に巻きついていく。
戦乙女の姫騎士は、少年騎士の意図するところを察し、苦虫をかみ砕いたような顔を浮かべながら、とっさに『神盾拒絶<イージス・リジェクト>』の展開を狭く絞る。
ぐにゃり、とフロルの肉体がゆがみ、巨大な防災車輌──はしご車に造り替えられて、赤熱する大地へと降りる。じゅうじゅうとタイヤの焦げる音を響かせながら、折りたたまれていたはしごが、真上へ向かって勢いよく伸びていく。
鉛色の巨蛭の腹に、はしごが衝突する。はしごは、ぽっきりと半ほどから折れるが、同時に巨大質量体の落下方向も横へそれる。ヴァルキュリアの王女を押しつぶすことなく、わずかに離れた地点で熱砂が巻きあがる。
刹那の一部始終に目を奪われていた戦乙女の姫騎士は、我に返り、魔力障壁越しの地面へと視線を向ける。
「花は桜木、人は武士……これもひとつの、剣の心……にて、御座候……」
トリュウザの両腕が、ぼろりと崩れ落ちる。初老の剣士の髪と衣装は灰と化して飛び散り、その身体は消し炭となって砕け散った。
→【消沈】
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