【第2部10章】戦乙女は、深淵を覗く (2/13)【行動】
【歓待】←
「あー、食べた食べたのだわ。胃袋が破裂しちゃいそう……!」
晩餐を終えて客間に案内されたリーリスは、ベッドに腰をおろしつつ下腹部をさすりながら、満足げに天井をあおぐ。
「おまえの胃袋には、無限に食べ物が入るのか? それはそうと……」
自身も重い腹を抱えたアサイラは、あきれたため息をつきながら背後を振りかえる。すると、同行者は唇のまえに人差し指を立てている。
現在の状況を話しあおうと思っていた黒髪の青年は、リーリスのジェスチャーのとおりに口をつむぐ。ゴシックロリータドレスの女は、立ちあがり、壁に向かう。
(部屋に『監視』の魔法<マギア>がかけられているのだわ)
壁に手を当てたリーリスは、声に出さず念話で返事をする。アサイラは、部屋に置かれたいすに背を預けながら、うなずきを返す。
(グリン……少し待っていて。『幻覚』の魔法<マギア>で上書きするのだわ)
リーリスは右手の人差し指を立てると舌を長く伸して、れろぉ、となめる。唾液にまみれた指先で、部屋の壁に魔法文字<マギグラム>を書きこんでいく。
(相変わらずというか、なんというか。おまえは、いやらしいやり方でないと魔法<マギア>をかけられないのか?)
(ぬふっ。なんなら、下のお口のよだれを使ってもいいのだわ)
指の腹を壁に這わせながら、リーリスは部屋を一周して、ようやく口を開く。
「これで、だいじょうぶだわ。監視している魔術師には、都合のよい幻影しか見えていないはず……で、なにかしら。アサイラ?」
「俺たちが、ここで、これからどうするか……まさか、食って寝て帰る、というわけにはいかないだろう?」
黒髪の青年の問いに対して、ゴシックロリータドレスの女は深くうなずく。贅を尽くした戦乙女のもてなしに反して、現在、二人は複雑な状態に置かれている。
そもそもの発端は、アサイラたち一行がヴァルキュリアたちに対して、次元跳躍邸『シルバーコア』の修理材料を手に入れるため、ドヴェルグ族との交渉を要求したことにある。
戦乙女と並んでこの次元世界<パラダイム>の現住種族であるドヴェルグは、地下に住まい、鉱石の発掘を生業としている。
しかし、ヴァルキュリアの一族との関係は決して良好とは言えないのか、アサイラたちの接触の要求に対する返答には時間がかかった。
そして、ようやく許可が降りたと思ったら、戦乙女たちは交渉の日程とかぶせるように天空城への招待を申し出てきた。友好的な歓待、となれば断りがたい。
「……つまり私たちは、体のいい人質、というわけ。修理材料の調達は、地底に向かったナオミやシルヴィアが上手いことやってくれる、と祈るしかないのだわ」
「俺たちは、どうするか? このまま接待漬けで待つのなら、それほど楽なことはないが……」
「グリン! もちろん、いまここでしかできないことをするのだわ!!」
リーリスはくびれた腰に手をあて、豊満な乳房の実る胸を張って見せる。アサイラは、いや予感を覚えてため息をつく。
「……具体的には、なにを?」
「あの王女どのの寝所に夜這いをしかける絶好のチャンスだわ!」
黒髪の青年は、あきれはてた表情で頭を抑える。
「どこをどうつなげれば、そういう解答になるのか……」
「もっと詳しく説明するなら、王女どのの精神に潜って、私たちに対する考えを読みとらせてもらうのだわ。なにか隠しごとしているみたいだし」
「ふつう、そっちを先に言わないか?」
「グリン。方針が定まったら、さっそく行動に移すのだわ。夜は短し、善は急げ!」
ゴシックロリータドレスの女は、部屋の窓を開く。吹きこむ冷たい夜風を受けてウェーブのかかった髪を揺らしつつ、女の背中からコウモリのような黒翼が生える。
「なにを、ぼーっとしているのだわ。アサイラも早く来なさい?」
窓枠に足をかけながら、リーリスは背後を振りかえる。黒髪の青年は、右手でぼりぼりと後頭部をかき、左手で腹をすさりながら立ちあがる。
「俺も、一緒に行く必要があるのか?」
「グリン。アサイラ、いたいけな乙女を独りで放り出す気?」
「いたいけかどうかは、ともかくとして……このバカみたいにでかい城のどこにアンナリーヤどのがいるか、わかっているのか?」
「一番高い尖塔のてっぺんの部屋……客間に案内されるときに、メイドさんの表層意識から読みとったのだわ」
窓のすぐ外でホバリングしながら、ゴシックロリータドレスの女は天空城の頂点を指さす。アサイラはあきらめをつけて、自分も窓枠をくぐる。
「それなりに距離があるか。どうやって向かえばいい。リーリス、俺をつかんで飛べるか?」
「私の翼のパワーでは、無理だわ。アサイラ、あなたは壁をよじ登りなさい。ちょうどいい腹ごなしになるでしょう?」
「こんなハードワークが控えているとわかっていたら、ここまで胃袋を満杯にはしなかったか……」
「今夜はこんなにも満月が輝いていて、その光が得難い情報へと昇華するのだわ。あの王女どのから、当然、もらえるものだと思っている」
アサイラのグチを無視して、リーリスは壁面沿いにゆっくりと浮上していく。黒髪の青年も岩壁のわずかなすきまに指を引っかけ、ボルダリングの要領で登っていく。
陽光の照りつける昼間ならいざ知らず、いまの白亜の壁は氷のように冷たい。二人の足下には、滑落すれば死をまぬがれ得ない高さが宵闇のなかに沈んでいる。
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「む……?」
ヴァルキュリアの姫君、アンナリーヤの居室のまえで護衛についていた戦乙女は、風の流れにわずかな違和感を感じとる。
二枚の白翼を持つ近衛兵は、壁に立てかけていた槍を手にとり、感覚を研ぎ澄ます。どこからか、冷たい夜風が流れこんでいる。
近衛兵は、頭をあげる。天井の高い廊下の天窓のひとつが、いつの間にか開かれている。
「……留め金が、壊れでもしたか?」
戦乙女は天窓の状態を確かめるために、飛びあがろうとする。その瞬間、背後で何者かの気配が動く。
「こんばんは」
「何奴……むぐうッ!?」
振りかえった近衛兵の頬を、しなやかな指が這う。息がかかるほど間近の場所に、紫がかったウェーブヘアの女の顔がある。
「むちゅう……」
「んーッ! んン──!?」
女同士の柔唇がふれあい、戦乙女の咥内へ蛇のように長い舌が侵入する。近衛兵は、電流のような甘味感を味わいながら、びくびくと身を震わせ、やがて倒れこむ。
「ぬふ、ごちそうさま。そして、おやすみなさい。よい夢を……アサイラ、入ってきていいのだわ」
舌なめずりをしたリーリスは、天窓のほうに顔を向けて、声をかける。開けはなたれた明かり窓から、黒髪の青年が音もなく飛び降りて、廊下のうえに着地する。
「ここで間違いないのだわ。いま、この娘の精神から情報を読みとった」
ゴシックロリータドレスの女はハイヒールのつま先で、床に横たわれる戦乙女の肩をつんつんとつつく。女近衛兵は幸せな夢を見るように、静かな寝息を立てている。
「よし……手短に済ますとするか」
アサイラとリーリスは城主の居室のまえに立ち、その扉を勢いよく開け放った。
→【夜這】
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