【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (17/24)【十分】
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「グオラッ」
「ウラア!」
小惑星帯を思わせる浮遊がれきのなかを縫って、グラー帝は左フックを放つ。対するアサイラは、張り巡らせたワイヤーのうち1本を巻き取り、己を引っ張って三次元方向に回避する。
「なんだ……無重力状態になって、かえって避けやすくなったんじゃないか?」
「飽きもせず、無意味なことを……一言以ておおうならば、不快の極みである」
「つまり、嫌がらせにはなっているということか。無意味じゃなくて、なによりだ」
挑発するような笑みを浮かべる黒髪の青年は、慣性に流されぬよう、また別の糸を手繰り寄せる。
偉丈夫の急接近を、くるくると宙を舞いながらかわしつつ、アサイラは耳にはめこんだ導子通信機へ意識を向ける。
導子乱流にとまなうノイズに混じって、黒髪の青年の鼓膜に直接、次元巡航艦のブリッジの喧噪と、キーボートの激しい打鍵音が聞こえてくる。
『なんとなればすなわち……このワタシは何故、帰投して早々、キーボードと格闘するハメになっているのかナ!?』
『たたっよたったた! いまはまだ、ララが船長代理なんだから、おじいちゃんは言うことを聞いて、ということね!!』
『ララが、キャプテンハットを返してくれないだけではないかナ!!』
『あー、あー、聞こえなーい! フロルくん、センサーで導子変動のリアルタイム観測を継続ということね!!』
『やっているんだよ、ララ!』
『自分にも、なにかやらせてくれ。アサイラが戦っているのに、じっとしているなどできないからだ……そうだ! 援護のために、再出撃を……!!』
『それはダメということね! 下手に人を出しても、アサイラお兄ちゃんの足手まといにしかならない……お姫さま、導子機器も操作できないし……船長命令、その場で待機!!』
『ふえーッ!?』
浮遊するがれきを蹴って、グラー帝とつかず離れずの間合いを保とうとするアサイラは、あまりの騒々しさに躊躇しつつも、通信機の向こうのララに対して口を開く。
「そちらが、どんな状況になっているのかは想像できないが……裸の王さまは、完全に勝ったつもりだ。ララ、どうにか一泡吹かせてやることは、できないか?」
『たたっよたったた! いままさに、そのための準備をしていたということね……いい? お兄ちゃん、よく聞いて……』
傍受される心配もないだろうに、艦長代理を務める少女は通信機越しの声量を潜める。黒髪の青年は、周囲に浮かぶ石材を素早く飛び渡り、少しでも偉丈夫を攪乱しようとする。
専制君主の拳が、浮遊するがれきのひとつを粉砕する。無数の破片が、大口径銃弾のごとき勢いで飛来し、アサイラの額をかすめる。その間も、黒髪の青年は、ララの言葉に耳をそばだて続ける。
『……以上が、作戦内容ということね! 正直、突貫工事であることは否定できないけど……たぶん、これが現状、ララたちのできるベスト!!』
「了解した……俺も、うかうかしていられないってことか」
『アサイラお兄ちゃん側の準備も必要だから……それじゃあ、決行は10分後に! 今度こそ、本当の阻止限界点ということね!!』
「ああ……お互いに、健闘を!」
通信が切れる。グラー帝の姿が、正面から迫る。やや前のめりの体勢で、まっすぐ拳を伸ばしてくる。無重力状態にあるアサイラは、宙でブリッジするような動きをとって回避する。
「ウラアッ!」
「ぐ……ッ」
黒髪の青年のつま先が、半円を描くような軌跡で、偉丈夫の顎先を蹴りあげる。ダメージはおろか、専制君主の体幹が乱れることすらない。反動を利用して、アサイラは飛び退く。
苛立ちを隠さないグラー帝が、虚空を踏みしめ、瞬間的移動で追ってくる。黒髪の青年は、張り巡らしたワイヤーを手繰り、即座に体勢を整え、待ち受ける。
「グオオラアァァーッ!」
地獄の底から響くような雄叫びとともに、傷ひとつない偉丈夫は無数の拳を放つ。ボクシングの構えから、ジャブ、ストレート、フック、アッパーが、アサイラを襲う。
「ウラアアアァァーッ!」
黒髪の青年もまた、声を張り上げながら、専制君主の拳撃を迎えうつ。両手のひらを開き、大小無数の円と螺旋を描き、そのなかに相手の腕を巻きこみ、軌道をそらす。
「ぐ……ッ」
グラー帝の目元が、いぶかしむように歪む。人間の動態視力を超えた動きで、限りなく無限に近い拳を放っても、命中させるイメージを描けないのだろう。ここまでの戦いでも、同様の所作で致命傷を回避してきた。
アサイラは、内的世界<インナーパラダイム>で出会った老師と交わした組み手を思い出す。ほんの刹那、それでいて永遠のような教示。いま、あのときの動きを再現している実感がある。だからこそ、命がつながっている。
へその下を機転に、全身の微細な動きから導き出される、黒髪の青年の体さばき。次第に心身の機序が一体化し、アサイラの脳裏から焦りも危機感も消え、凪いだ海原のごとき明晰な心理状態へと到達する。
「愚者、蛮人の分際で……なぜ余の拳が当たらぬ……ッ!」
グラー帝の口角から、明確な苛立ちの言葉がこぼれでる。黒髪の青年は、アルカイックスマイルを浮かべる。
「……なにもかも力任せのおまえには、一生、理解できないか。裸の王さま?」
かつて、暴走するままに多元宇宙をさまよった俺のように……アサイラが、そう言おうとした後半は、言葉とならない。
諸肌をさらす偉丈夫は、憤怒のままに大振りの右ストレートを撃ち放つ。黒髪の青年は、スプリングのように両腕を動かして拳を受け止めると、相手の勢いを利用して大きく後方へ飛び退く。
ララの指定したタイムリミットまで、残り5分。なさねばならない、仕込みがある。延々と組み手を続けて、時間を浪費するわけにはいかない。
アサイラは微細な粒子となって漂うがれきの欠片を煙幕代わりに使って、グラー帝の視界から身を隠す。全身の感覚を研ぎ澄まし、偉丈夫の動きを探り続ける。
「さて……裸の王さまは、どう出てくるか?」
黒髪の青年の疑問に対する答えは、即座に実力行使で返ってくる。専制君主が直接に突っこんでくるのとは違う、奇妙な振動をワイヤーが拾う。
「グヌ……ッ!?」
質量体が高速で接近し、アサイラは真横へ飛んで回避する。がれきの塊だ。グラー帝は、石材の破片を弾丸のごとき勢いで蹴り飛ばすことで、遠隔攻撃してきた。
偉丈夫が、すぐさま第2射を放つ。正面から、砲撃が迫る。黒髪の青年は、張り巡らせた糸を即座にネット状に編みなおし、飛翔体を受け止める。
蒼銀の輝きを放つ網がたわみ、運動エネルギーを張力に変換し、相手の圧倒的パワーを逆に利用して、質量体を砲撃者へと跳ね返す。
がれきの海のなかを、沈黙が満たす。第3射は、飛んでこない。ネットで反射した砲撃が、専制君主に命中したかもわからない。
「……遠距離戦は、あきらめたか?」
「グオラッ」
戦況を確認するように独りごちたアサイラの眼前に、グラー帝の姿が現れる。さきほどの砲撃戦は、おとりか。視界の悪さも、今回ばかりは黒髪の青年にとってマイナスに働いた。
偉丈夫は、すでに片足を大きく振りあげている。かかと落としの予備動作だ。アサイラは、反応が遅れた。回避運動をとる余裕は、ない。とっさに頭上で両手首を交差し、防御体勢をとる。
専制君主の双眸に、捕食者の輝きが宿る。グラー帝とアサイラの身体<フィジカ>能力の差は、文字通り、桁が違う。いなすならともかく、正面から受け止められるものではない。
必殺を確信し、諸肌をさらす偉丈夫は、断頭台のごとく脚を振りおろす。足首が、黒髪の青年の腕にぶつかる。防御ごと、相手の肉体は砕け、千切れ、両断する……はずだった。
──パアンッ!
破裂音が、がれきの宙域に響く。にも関わらず、アサイラの肉体は健在だ。代わりに、きらきらと蒼銀の輝きを放つ断片のようなものが、無数に舞い散る。
「なにが起こったか……わからない、といった様子か?」
黒髪の青年は、荒く息をつきながら、にやりと口元を歪めつつ、専制君主をにらみつける。ララの提示したタイムリミットまで、残り3分。
「神さま気取りの、裸の王さまと違って……人間ってのは、ミスをするものだ。俺だって、当然、おまえの攻撃を全部さばききれるとは、最初から思っていない……か」
アサイラは、あらかじめ『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』の糸を全身に巻きてけて、そちらへと受け止めた衝撃を逃がした。グラー帝相手でも、1回だけは使える安全装置だ。
残り2分。呆然とする偉丈夫が我に返るよりも早く、黒髪の青年は両手首で受け止めた足を捕まえる。肉体を支持するワイヤーの力を借りて、その場で右向きに回転し始める。
「──ウラアッ!」
不完全ながらジャイアントスイングの要領で、アサイラはグラー帝を浮遊する岩の塊に向かって投げつける。
「汝の行為、存在は、余に対する愚弄である。一言以ておおうならば、完全否定……すなわち、万死に値するッ!」
諸肌をさらす偉丈夫は、全身に力をこめる。重力が超自然に歪み、投げ飛ばされた専制君主の身体が、空中で静止する。そのまま反撃に転じようとしたとき、異常に気がつく。
「これで、かっきり残り1分か……どうだ、ララ?」
『完璧ということね、アサイラお兄ちゃん!』
黒髪の青年は、悠然とグラー帝をにらみつけながら、導子通信機と会話する。いくら力をこめようとも、圧倒的な身体<フィジカ>能力を持つはずの偉丈夫の肉体は、ぴくりとも動かなかった。
→【天地】
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