【第2部5章】戦乙女は、侵略にまみえる (12/16)【再起】
【光明】←
「ウラアッ!」
「ほいさっ!」
アサイラは老人の側頭部を狙い、ハイキックを繰り出す。白ひげの老師は合わせ鏡のような動作で、黒髪の青年に蹴りを放つ。両者のすねが、宙で衝突する。
「……グヌギイッ!?」
青年の軸足が、接地面を離れる。その身体は老人の脚を支柱にしたかのように、くるりと一回転する。アサイラは、背中からコンクリートに向かって落下する。
「あがはっ!!」
大の字に建物の屋上に転がる青年の口から、呼気があふれ出す。まるで、十メートル近い高さから地面に叩きつけられたような衝撃だ。
身悶え、立ちあがることもできないアサイラのもとに、裸足の老人が歩み寄ってくる。青年のかたわらに片ひざをつくと、右腕を振りあげる。
「ほれっ!」
「ヌギィア……ッ!!」
白ひげの老師の掌底が、黒髪の青年のみぞおちに打ちこまれる。アサイラは、ぞうきんのように肺を絞られる感触に身をよじる。
老人は、青年の横隔膜に右手のひらをすえ続ける。たださえ残り少なかった体内の酸素が、余すところなく吐き出させられる。
「ヌギギ……ギハガ……ッ!?」
アサイラは呼吸困難状態のまま、背筋をのけぞらせて全身をけいれんさせる。その様を見下ろしていた白ひげの老師は、黒髪の青年の腹部から手を離す。
「……オゴオッ!?」
極限までねじしぼられたアサイラの肺腑が逆回転し、急速に空気を吸いこんでいく。酸素が血液に溶けこみ、頭頂から足の指先にまでめぐっていく。
黒髪の青年の身体は、自身の意思か肉体の反射かわからないまま、バネ仕掛けのように勢いよく起きあがる。白ひげの老師は、それを見てゆっくりと立ちあがる。
「御身、よいか? 肺腑に空気が満ちていれば、息は吸えぬ。逆もまたしかりじゃて。息を吐くまえに、吸う。腕を伸ばすまえに、引く。それが、あたりまえ」
老人は目を細めてアサイラに語りかける。青年の思考は、はるかにクリアとなり、まるで全身の細胞をひとつひとつ認識できるような感覚を味わう。
「なにをあたりまえのことを、と思うたか? だが人は、あたりまえのことほど見失う。肺腑が空になろうとも、いつまでも息を吐き続けられるものと思いこむ」
黒髪の青年は、白ひげの老師の言葉に耳を傾ける。その教えの奥にあるものまでは、まだつかめない。だが、『鍵』のようなものだと理解する。
「あたりまえのことじゃて。息を吐き尽くしたのならば、吸うがよい。いままで以上の空気を吸えるじゃろう。さて……」
老人は左腕を背にまわし、右腕をまえに出す。腰を落とし、構えをとり、青年を見すえる。
「……御身。もう少し、続けるか?」
アサイラは老師に対して無言でうなずき返しつつ、徒手空拳を構えなおす。老人は、にい、と笑う。
次の瞬間、両者の激しい組み手が再開される。アサイラの目には、老師の繰り出す一本の腕が千本にも増したかのように見える。
「ほれ、ほれ、ほれ!」
黒髪の青年は両腕を使って、迫り来る無数の掌打をどうにかさばく。打撃の嵐が吹き抜けたかと思うと、死角に潜りこむような足払いが飛んでくる。
「ほいさ!」
「ウラア!」
アサイラは、膝蹴りで老人の脚の軌道をそらす。白ひげの老師は、にやりと口角をゆがめると利き足を引く。拳撃のわずかな合間に、黒髪の青年は息継ぎする。
ここに来てアサイラは、老師の一打一打もまた『鍵』であると気がつく。この奇妙な老人は単なる組み手を超えて、なにかを青年に『見せて』いる。
「ほれ、もう一度!」
「……ウラアァァ!!」
黒髪の青年は、白ひげの老師との中間地点を基点として、点対称となるように相手の動きをなぞる。
暴風のような拳の打ちあいは、やがて演舞のような流麗な律動へ変わっていく。
老人の掌打を受け流し、自分の拳を突き出す。蹴り同士がぶつかり、次の踏みこみへとつながる。壮大な流れのなかに身を置いているような感覚を味わう。
「ウラア──ッ!」
アサイラは彼我のリズムに導かれるまま、腕を引き、拳を突き出す。はじめから障害などなかったかのように、正拳突きが無数の掌打をくぐり抜けていく。
「そうじゃ。『それ』じゃて……御身、ようやく基本の『き』の一文字めにたどりついたか」
白ひげの老師は、黒髪の青年に満足げに微笑みかける。瞬間、アサイラの視界が暗転する。気がつけば青年は、吹雪のすさむ渓谷で甲冑男と相対していた。
「あぎ──ッ!?」
フルフェイスヘルムに隠され表情をうかがうことのできない男が、驚愕に満ちた声をもらす。
大きくのけぞった黒髪の青年は、まるで首を差し出すかのように前傾姿勢となった。しかし、ヒートブレードが首をかき切るどころか、身に触れることはなかった。
体勢を崩したかのように見えた青年は、踏みこみとともに白熱した刃をくぐり抜け、いまや、どっしりと腰を落としてまっすぐ拳を突き出さんとする。
ずどんっ、と重く、鈍く、弾けるような衝撃がアサイラの右腕に伝わってくる。流れるような動きで放った正拳突きは、甲冑男のみぞおちを違えることなく捕えていた。
→【逆転】
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