【第□章】メビウスの輪を巡り (4/4)【終点】
【抵抗】←
「絶対に逃がすな! 仲間を呼ばれるぞッ!!」
かつて下水道だった地下通路のなかで、五人の人間と一体の異形がにらみあっている。そのうち、一人はルーク青年だ。
正面に立ちふさがるパンドラの怪物は、大人の身長の三倍ほどもあるイナゴ型の個体だ。通常は群れて行動するが、はぐれたのか周囲に仲間らしき姿は見あたらない。
ルークも含めた五人の男たちは、ライフル、サブマシンガン、ショットガン、リボルバー拳銃……それぞればらばらの銃器を、一斉にかまえる。
銃弾の手持ちはいつだって心もとないが、それでも出し惜しみすれば死あるのみだ。全員が、それを理解している。
パンドラの怪物がたてる耳障りな羽音に、複数の銃声が重なる。イナゴ型の異形が甲高い悲鳴をあげ、銃創からどどめ色の体液が吹き出す。
「とどめだ! 食らいやがれッ!!」
年長の男が、弾を撃ちつくしたリボルバー拳銃を投げ捨て、腰にぶらさげた手斧を両手で握りしめ、異形の首へ刃を叩きつける。
ルークは、制止しようとする。パンドラの怪物の体液にまみれながら、モンスターの頭部を切断し、年長の男は勝利を確信して笑みを浮かべる。
次の瞬間、頭をなくした巨大イナゴの前脚が鉄串のごとく男の胸を貫く。二本め、三本めの脚が、胴体に突き刺さっていく。体液を吸収され、男の身体がみるみる干からびていく。
「くそ……ッ!」
ルークはとっさにライフルで、敵の胴体正中線やや下を狙い、撃ち抜く。はぐれのパンドラの怪物が、けいれんしたように身を震わせながら倒れ、動かなくなる。
青年に行動を促したのは、『前回』の経験から得られた知識だった。パンドラの怪物は、たとえ既存の生物と似た姿をしていても、急所の位置や生態としての機能はまったくの別物だ。
「ちくしょう、ちくしょう……ッ! もう、こんな暮らしはたくさんだ!!」
仲間の死を目撃した男の一人が、その場でかかみこみ、がくがくと震えはじめる。別の同僚が、ぽんぽんと肩をたたく。
「おい、落ちつけよ。早く戻らないと、化け物の仲間が寄ってくるぞ……」
「俺は、もうごめんだ! 外に出たい……地上に果てはなくて、どこまでも青い空が広がっているんだ……そうだろう、ルーク!?」
「それは……」
「おい、止めろ! ルーク、おまえも耳を貸すな!!」
「空だ! こんな穴蔵暮らしは、もうごめんだ!!」
男は、仲間の制止を振り切り、地上へ続く階段へ駆けていく。他のメンバーはため息をつくと、死んだ年長者の持っていた武器と物資を回収する。
「あいつは、もうだめだ……行くぞ、ルーク」
「……はい」
地下通路の奥へ向かっていく生存者の男たちのあとに、ルークも続く。
外へ向かった男は、地面から頭を出した瞬間、パンドラの怪物たちに骨の髄までむさぼり喰われるだろう。地上には、もはや人類の暮らす場所はない。
地下シェルター都市での暮らしは、過酷だ。異形の跋扈する地上に出ることはできず、それ故、農業のような生産活動はおこなえない。
日々の糧は、パンドラの怪物が現れるまえの文明が残してくれた遺物を漁って手に入れるほかない。それとて有限で、人々は慢性的な欠乏状態に悩まされている。
地下の穴蔵を這いまわり、モンスターと遭遇すれば命がけで戦い。確実にしとめる。逃げることは、許されない。連中を、集落まで案内することになるからだ。
雨水の流れこんだ地下道を進むことしばし、大きな機密扉に行き当たる。先頭の男が、モールス信号の要領でノックして、合い言葉を内部へ伝える。
少しばかりの間をおいて、重苦しい音を立てながら扉がゆっくりと開かれる。じめじめとした不衛生で薄暗い地下空間に、老若男女がびっしりとひしめきあっている。
帰ってこなかった男のことを、住人が問うことはない。ここでは死と隣あわせだし、外に出た人間が命を落とす理由などわかりきっているからだ。
「おなかすいたよー! 食べ物、食べ物おくれよー!!」
「待て、待て待て! 順番に並べ、平等に分配だ!!」
探索行からの帰還者に子供らが群がり、大人たちはそれを律する。ここでは誰もが腹を空かせ、明日への希望もなく、惨たらしい死の恐怖に震えている。
「……ねえ、ルーク。浄水施設の具合がよくないんだ。見ておくれよ」
缶詰を分配する列を遠目に見ていた青年のそでを、背を丸めた老婆がひかえめに引っ張る。ルークは、強がりの笑みを浮かべて、うなずきかえす。
「ああ、もちろんだ。誰か、工具を持ってきてくれ……発電器の調子も悪かったな、ついでに調べておこう」
「おう、ルーク。帰ったばかりだってのに、精が出るな!」
「せめて水ぐらいは、きれいなものを飲みたいからね」
青年は、探索行用の装備を同年代の仲間に預けると、子供の一人が持ってきた工具箱を受け取って機械室へと向かう。
地下シェルター都市の心臓ともいえる小部屋には、最低限を少しばかり下まわるレベルの生活をかろうじて担保するため装置類が、ところ狭しと詰めこまれている。
ルークは手袋をはめ、レンチを手にして、浄水槽から伸びるパイプ群の下に潜りこむ。水漏れを起こしている箇所を見つけて、慎重にボルトを締めなおす。
どうにか、漏水は止まった。心なしか、機械の駆動音も静かになった気がする。とはいえ、油断はできない。パイプには錆が目立ち、接続部には金属疲労の恐れもある。
ボルトの一本でも折れれば、代わりを探し出すために命がけの苦労を強いられる。いまの地球は、そんな地獄のような世界と化してしまった。
パイプの下から這い出たルークは、機械室でもっとも大きな音を立ててタービンをまわす発電装置のもとへ歩みよる。こちらは、一筋縄ではいかなそうだ。
電源を喪失すれば、他の機械装置も停止する。念入りにメンテナンスしなければならない。替えの部品が必要ならば、探索隊への周知も必要だろう。
ルークは『前回』までに蓄積した知識を駆使し、地下シェルター都市を維持するための様々な仕事をこなしている。住人たちは、そんな青年を慕い、敬意を払ってくれる。
それでも、青年の胸中にはやるせなさがつのる。いくら穴蔵の居住区を生きながらえさせようとも、根本的解決にはほど遠い。
スタート地点は、もっと住みよい世界だった。海上人工都市『アトランティス』の華やかで開放的なメインストリートの光景を、ルークは昨日のことのように思い出す。
なにを、どこで間違えたのか。いや、自分はベストをつくしてきた。しかし、生死のループを何度巡ろうとも悲劇は回避できず、再スタートのたびに状況は悪化していく。
ならば、どうすればいいのか。なにをすれば、この負の螺旋から抜け出すことができるのか。青年が手袋のうえからでも血がにじむほど、強く手をにぎりしめる。
──グゴオォン!
突如、地の底から響くような轟音とともに、大きな縦揺れに見舞われる。ルークはあわてて立ちあがり、機械室から飛び出す。
青年は己の目を疑い、絶句した。居住区の九割を呑みこむような巨大な縦穴が生じていた。地下空洞の崩落を疑ったが、どうやら違う。
陥井の底で赤く光るふたつの眼球がぐるぐるとめぐり、ルークと視線が重なった。パンドラの怪物だ。地下シェルター都市の住人の大半は、いまごろ、やつの胃袋のなかだろう。
生き残りの人間たちが、機密扉を開け、恐慌状態で外へ走り出していく。青年は制止しようとするも、あきらめる。
闇の底に潜むパンドラの怪物の双眸が、逃げる住人たちを追いかけるように動いていく。ルークは、探索行の帰り道に遭遇したイナゴ型のパンドラの怪物を思い出す。
おそらく、あの異形ははぐれではなかった。哨戒担当の個体で、あの耳障りな羽音を響かせ、地下を掘り進む大型個体を呼び寄せたのだろう。
ルークは崩落現場のすぐそばで、力なく腰をおろす。生死のループを何周しようとも、いくら知識と経験を蓄積しようとも、自分はつねに後手へとまわってしまう。
このままでは、だめだ。同じことをくりかえしていては、同じ結果にたどりつくどころか、状況の悪化を許すだけだ。
しばし呆然としていた青年は、立ちあがると、地下シェルター都市のかろうじて無事だった区画へと向かう。
狭苦しい廊下の突き当たりに、青年の秘密の小部屋がある。そこには、旧型のコンピュータと壊れたプリンタが置かれている。
ルークは、この部屋で『前回』までに蓄積した知識を打ちこみつづけ、インクの続くかぎりプリントし続けていた。印刷機が使えなくなったあとは、手書きで紙に書き殴った。
過去の探索行で見つけて持ち帰ったトランクのなかに、青年は知識と経験を書き記した紙の束を詰めこみ、それを手にして地上へ向かう。
幸か不幸か、逃げ出した都市民たちがおとりとなってくれたようで、地下通路から階段をのぼるまでのあいだ、パンドラの怪物と遭遇することはなかった。
ルークは、今生では初めて地表に出る。そこに広がる光景は、『壊れている』と形容するのがふさわしい有様だった。
『前回』も見た空の裂け目はより大きくなり、ひび割れは地表まで届いている。天の向こうにうごめく極彩色のよどみから、ぱらぱらとどこかへ異形が落ちてくる。
地平線の果てに見える動く影は、すべてパンドラの怪物だ。やつらに気づかれるまえに、ことを済ませねばならない。
青年が生死のループをめぐるたび、パンドラもまた過去に向かって潜り続けている。『今回』がこの惨状ならば、次にルークが産まれてくることはできないかもしれない。
「ウォーレス教授……」
青年は、もはや出会うこともかなわなくなった恩師の名前をつぶやく。まるで入り口のように開いた世界の『割れ目』に歩みよる。
「破滅は、避けられないのかもしれない。終末は、逃れえぬ運命なのかもしれない。ならば……」
ルークは、顔をあげる。『割れ目』の向こう側へ向かって、一歩を踏み出す。
「……自分自身の手で、新しい始まりをもたらそう。再生のすべを見つけだそう。そうだ、ぼくの……いや、わたしの名前は……」
世界の『外側』へと旅立つ青年を、満天の星空のごとき輝きが出迎える。無数の知識と経験を蓄えた一人の男は、挑むように星々を見つめかえす。
「……このワタシこそが、ドクター・ビッグバン」
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