【第2部10章】戦乙女は、深淵を覗く (11/13)【反吐】
【傀儡】←
「つまり、だ……最後の手段として、アンナリーヤどのを手にかけるという選択肢もとれない、ということか?」
少しずつ近づいてくる白目をむいた姫騎士から目を離さず、足の裏にうごめく融肉の感触を覚えながら、アサイラは尋ねる。
「グリン……そういうことになるのだわ。現時点で、王女どのの精神がどれだけ無事なのかすら不明だけど」
黒髪の青年の背後で、リーリスがくやしげにうめく。黒翼を広げた『淫魔』のふたつ名を持つ女の精神干渉能力は、もはやあてにならない。
「あっ、ア、ぁ……アあぁァァ──ッ!!」
不自然きわまりないいびつな動きで、アンナリーヤはアサイラに向かって飛びかかってくる。無理矢理に踊らされるような動作は、軌道の予測が困難だ。
「グヌウ……ッ!?」
黒髪の青年はうめきつつ、伸びてきた姫騎士の両腕を打ち払う。アンナリーヤは転倒しそうなほど身を傾けると、バレリーナのように回転しつつ蹴りを放つ。
「……ヌギイ!」
頭を狙って一閃した足を手の甲で受けつつ、アサイラは顔をしかめる。わずかながら、体勢がかしぐ。ハンマーで殴られたような重さが襲う。
黒髪の青年は、いままでの共闘からアンナリーヤの体さばきの鋭さは知っているが、それだけではとうてい説明できない威力の一撃だ。
「あッ、ア、ァあ……ッ!」
アサイラの困惑をよそに、ぐにゃりと上半身を回転させた姫騎士は、大きく口を開く。のどの奥で、触手の群れのうごめく姿が見える。
「リーリス! 避けろ!!」
「グリン……ッ!!」
黒髪の青年は左に、ゴシックロリータドレスの女は右に飛びのく。二人のいた場所へ向けて、アンナリーヤの口腔から触手と粘液が吐き出される。
予想外の攻撃に対する回避で、二人は体勢を崩す。床のうえには細かい触手と粘液が広がり、足場は悪い。
そんな状況を傀儡と化した姫騎士はものともせず、立ちふさがっていたアサイラがいなくなり、がらあきとなったリーリスへ向かって突っこんでいく。
「ウラアッ!」
黒髪の青年は、アンナリーヤのふくらはぎに向かってローキックをくり出す。転倒させて、時間を稼ぐのが目的だ。命中と同時に、姫騎士の身体が大きくのけぞる。
「あァ! ああァァァ──ッ!!」
アンナリーヤの肉体はアサイラの蹴りの勢いも利用して、大きく縦方向に空中を一回転する。黒髪の青年の脳天を狙って、粘液まみれのかかとを落とす。
「ヌグギイ……ッ!?」
アサイラは額のうえで両手首を交差させ、すんでのところでアクロバティックな蹴撃を防御する。腕が、きしむ。まともに喰らえば、そのまま致命傷となっただろう。
「リーリス! なにか……なにか手はないのか!?」
身軽に空中回転して、ふたたび黒髪の背年と対峙するアンナリーヤに対して、アサイラは拳をかまえながら声を張りあげる。
「あ、アぐ……アぎィ、あがアァァ……」
姫騎士のこぼすうめき声からは、苦悶の色が強くなる。おそらく肉体を支配する異形の触手によって無理矢理な運動をさせられて、骨と筋肉に相当な負担がかかっている。
このまま触手に操られるままに動き続ければ、戦乙女の姫君の肉体は──精神の世界とはいえ──限界を超えて、アサイラやリーリスが手を下すまでもなく自滅するだろう。
壊れた自動人形のようにでたらめな動きで、アンナリーヤは黒髪の青年に組みつこうとする。アサイラは素早く反応して、姫騎士の両手を振り払う。
黒髪の青年は、息を荒げはじめる。それだけ、アンナリーヤの運動量は激しい。くわえて対峙する相手がそのまま人質とあっては、勝手がつかめず、消耗が大きい。
「アぎィィ、あグぁァァ──ッ!!」
「グヌウッ! リーリス……なにか、打開策は……!?」
傀儡と化した姫騎士が、万力のような握力でアサイラの右手首をつかむ。黒髪の青年は逆腕の手刀でひるまそうとするが、手首に喰いこむ五本の指は離れない。
アサイラとアンナリーヤの組み合いをつかず離れずの距離から観察していたリーリスはなにかを発見したように、はっ、と目を見開く。
「グリン……王女どのの体内から触手を追い出せれば、どうにかなるかも知れないのだわッ!」
「わかった……やってみるか!!」
黒髪の青年は右腕を振りまわし、自分の手首をつかんで離さない姫騎士の体勢を強引に振りまわす。相手のバランスの崩れたすきを突き、アンナリーヤの間合いの内側へ踏みこむ。
「ウラアッ!」
アサイラは腰を回転させて、傀儡と化した姫騎士の腹部に左手の掌底を叩きこむ。アンナリーヤはひるみ、右手首をつかんで決して離さなかった五本の指がほどける。
「……オごほッ!?」
姫騎士は、その場にひざをつく。黒髪の青年は三歩、後退する。アンナリーヤは融肉におおわれた天井を仰いだかと思うと、次の瞬間には下を向き、激しく嘔吐する。
「ごほッ、ゴボオ! ゲホオォォ──ッ!?」
どどめ色の粘液とともに、姫騎士の食道から胃袋にかけて居座っていた触手のかたまりが吐き出される。異形の肉蛇どもは、未練がましくうごめき、アンナリーヤの体内へ戻ろうとする。
「リーリス! これでどうか!?」
「グリンッ! 上出来だわ、アサイラ!!」
触手どもの動きよりも速く、ゴシックロリータドレスの女は黒翼で飛翔し、姫騎士の裸体を抱きかかえる。リーリスは、アンナリーヤと女同士の柔唇を重ねる。
「記憶再生、停止……! んちゅうっ!!」
アサイラは顔をあげて、首をめぐらせる。触手と肉壁におおわれた空間に、ノイズが走る。やがて、ぐにゃりと視界がゆがみ、眼前に広がる狂艶がかすんでいった。
→【現実】
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