【第3章】魔法少女は、霞に踊る (9/10)【蒸気】
【妖精】←
「……んっ」
魔法少女は、衣装を飾り付けるリボンの一部をちぎりとる。フリルスカートの内側に手を突っこみ、股間にこびりついた体液をふきとると、ショーツをはきなおす。
──ヒュン、ヒュヒュンッ。
己の得物である二輪一対のフラフープを素振りすると、メロは、まじめな顔で背後を振り返る。
そこには、憔悴した表情でレンガ壁に背を預けるアサイラの姿がある。ゆっくりとなら移動もできそうだが、戦闘のような激しい運動をできる状態ではない。
「アサイラさんは、下がっていて」
「不本意だが……仕方ない、か」
決意に満ちた魔法少女の言葉に、青年はうめきつつ答える。メロは、両足を肩幅に広げ、ふたつのリングを構え、地下下水道の闇の先を見据える。
呼吸を整えつつ、感覚を研ぎ澄ます。漆黒の帳の向こうから、ともすれば幻聴か、そうでなくとも水漏れの雫かと思うほどの小さな音が聞こえてくる。
魔法少女の額に、冷や汗が浮かぶ。息が詰まりそうになるのは、地下下水道の空気がよどんでいるからだけではない。
──カツン、カツン、カツン。
ゆっくりとしたリズムで、しかし、はっきりと靴音が近づいてくる。やがて、暗闇のなかでも視認できる距離に、人影が浮かびあがる。
「待ちかまえていたか。逃げ回ってくれるよりは、ラクかもな」
トレンチコートにつば広の帽子を身につけた細身の男が、足を止め、魔法少女に語りかける。その表情は、微動だに揺るがない。
「勝てると思っているのか、クソガキ?」
「それは、こっちのセリフなのね!」
メロの手元で、ふたつのリングが高速回転を開始する。
「あのナイフ……蒸気霧のなかじゃないと、魚に変身できないんじゃないの?」
魔法少女の問いに答える代わりに、セフィロト社のエージェント──ダルクは、連続して黒い刃のナイフを投げつける。
「えぇ──いッ!!」
メロは両手のリングを振るう。高速回転するフラフープが、自分に向かって飛翔する刃を弾き飛ばす。暗闇のなかに、無数の火花が散る。
対するダルクは、魔法少女の死角に潜りこむように身を屈めつつ、さらに追加のナイフを投擲する。次の狙いは、メロではなく、背後にいるアサイラだ。
「──まだまだなのね!!」
魔法少女は、右手のリングを真横に向かって放り投げる。ぎゅるんっ、と回転を早めたフラフープは、勢いを増しつつ、レンガ壁にバウンドする。
閉鎖空間内で、円輪は乱反射するように跳ね回り、メロとエージェントの狭間に壁を作り出す。黒い刃は、跳ね回るリングの妨害を突破できない。
魔法少女によって撃墜された漆黒のナイフたちは、目標を見失い、明後日の方向に飛び散り、レンガ壁や石畳に突き刺さる。
メロは、手元に戻ってきたフラフープをキャッチしつつ、四方に飛び散った凶器を一瞥する。地上で戦ったときのように、黒魚に変身する気配はない。
「やっぱり、予想通りなのね! ただのナイフなら、怖くはない!!」
「……クソガキにしては名推理だ、とほめてやるべきかもな」
双子のリングを構えなおす魔法少女に対して、エージェント、ダルクは、あくまで余裕の態度を崩さない。メロは、いぶかしみつつ、相手を注視する。
細目の男は、トレンチコートの懐から、なにかを取り出す。牛乳瓶より、一回りほど大きい物体だ。
つば広帽子のエージェントは、手にした物体を、無造作に石畳へと転がす。金属音を響かせながら近づいてくる『なにか』に、メロは見覚えがある。
「蒸気瓶──ッ!?」
魔法少女が気づくのとほぼ同時に、ダルクはナイフを一本、自ら転がした物体へと投げつける。硬質の刃が、鋼の瓶の外壁に突き刺さり、穴を穿つ。
──ブシュウウゥゥゥ!
破裂音が、地下下水道に反響する。金属瓶に圧縮充填された蒸気が噴出し、閉鎖空間を白い煙で満たしていく。
「あわわ……!?」
熱い蒸気に包みこまれたメロは、左腕で目元をおさえつつ、周囲の様子をうかがう。
足元に突き刺さっていた黒い硬質の刃が、生きているのかのごとく、ぐにゃぐにゃと刀身を歪めはじめる。ナイフの側面に、ヒレのようなものが現出する。
「行けッ! 『刃魚変転<ソード/フィッシュ>』!!」
白煙の向こうから、対峙する男の叫び声が聞こえる。魔法少女は、小さく息を吸いこむ。嗅ぎ慣れた、しかし好きにはなれない、蒸気都市の臭いがする。
「えへへ。実は……想定済みなのね。このシチュエーション」
メロは、口元にひきつった笑みを浮かべる。左手のリングを拡大し、側面を己の前に向けて構える。
「正直なところ、上手くいくか自信はなかったんだけど……いまなら、できる! できる気がする!!」
魔法少女は、明らかに実戦慣れした、人の命を奪うことに躊躇しない相手と対峙するにあたって、短い時間ながら、頭のなかで戦闘をシミュレーションしている。
メロの推理通りに、黒いナイフが蒸気霧のなかでしか能力を発揮しないとして、敵が屋内に蒸気を運び込んでくることは、当然、考えつくことだった。
「廻れッ! 『希望転輪<ループ・ザ・フープ>』!!」
魔法少女の声に応じて、彼女の前面に平行に構えられたフラフープが、高速回転を始める。メロがいままで経験したことのない加速で、スピンが速まっていく。
「できる! いける! たどりつくッ!」
魔法少女の手のなかで、リングの回転が限界を超える。円輪の内側に、螺旋型の亜空間が生じ、中心点に小さな光の輝きが見える。
──ギュオゥンッ!!
鈍い轟音と奇妙な風の流れを感じ取り、ダルクはつば広帽子を手で抑える。ツイストヘアに隠れた瞳に、魔法少女と対峙して初めて、驚愕の光が宿る。
地下下水道に充満した蒸気霧が、薄くなっていく。真空吸引器のように、魔法少女のフラフープの内側へ、白煙が呑みこまれていく。
霧を得て、自由を取り戻したかに思われた黒魚たちは、晴れ渡った闇のなかで、物言わぬ元の刃へと姿を戻す。
からん、と乾いた音を立てて、自由を得損ねたナイフの群が落下していく。
「こいつは……予想外、かもな」
トレンチコートの男は、数本のナイフをメロに向けて投げつける。明らかに殺意の足りない牽制攻撃のすきに、身をひるがえし、闇のなかへ逃れようとする。
「逃がさないのよねッ!!」
魔法少女は、霞を呑み干したリングを背に回しつつ、もう片方のリングをセフィロトエージェントに向けて、投げつける。
円輪は、投げナイフを蹴散らしながら、ダルクへと迫る。
「……あぐうッ!?」
あまりにスピンが高速すぎるために、一見、静止したかのようにも見えるフラフープが、トレンチコートの背を、したたかに打ちつける。
たたらを踏んで、どうにか転倒をまぬがれたつば広帽子の男は、前方をみる。自分を轢いた車輪がバックスピンし、今度は前方から戻ってくる。
エージェント、ダルクは、逃亡をあきらめる。とっさに両腕を交差し、クロスアームブロックの体勢をとり、リングの追撃に備える。
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