【第12章】龍たちは、蒼穹に舞う (8/12)【鉄杭】
【妨害】←
『いまの吐息<ブレス>……なるほど、アリアーナか』
「なんと、あの側近龍の!? これは、丁重にお相手せねばならないようダナ」
煙幕の向こう側から、龍と男の声が聞こえてくる。
目隠しが晴れると、焼け焦げた岩のような肌を持つ、獰猛な目つきの巨龍と、白髪を頭部の後ろで一本にまとめ、魔術師ギルドのローブを羽織った初老の男が現れる。
『暴虐龍、ヴラガーン……それに、ギルド魔術師、ウェル・テクス……』
アリアーナは、相対する敵の名をつぶやく。見あげんばかりの巨龍──ヴラガーンは、つまらなそうに鼻を鳴らす。
『あの暴虐龍が、龍皇女殿下の花婿を目指すとは、正直、予想外なのですよ』
『婿だと? オレは、そんなものになるつもりはないぞ』
『では、いったい、なんのために?』
『あの牝龍を殺すために、決まっているぞ。千年前は、殺しそこねた。だから、今度こそ殺す。それだけだ』
ヴラガーンは、人の頭よりもなお大きい眼球を敵意で血走らせる。暴虐龍の背に立つ魔術師は、口元に邪悪な笑みを浮かべる。
「手前たちがヴラガーンに、龍皇女と一対一で面会する機会を用意しよう、と提案したのダナ。彼は、その話に乗った、というわけだ」
『……魔術師ギルドが、そのような画策を?』
「おそらく、セフィロト社のことだ……」
動揺を隠せないアリアーナの耳元に、アサイラがつぶやく。暴虐龍は、側近龍とその乗り手を見おろしながら、ふたたび鼻を鳴らす。
『オレは、問答は好まんぞ』
ヴラガーンが、大きく息を吸いこみ始める。アリアーナは、とっさに龍翼を広げて、魔力を収束させていく。アサイラは、側近龍のたてがみを強くつかむ。
『ドウ──ッ!』
『カア──ッ!』
暴虐龍と側近龍、互いの喉から、それぞれの吐息<ブレス>が同時に放たれる。圧縮された衝撃波と、まばゆい輝きの奔流が、正面からぶつかりあう。
天然の闘技場の中心で、互いの力が相殺され、激しい爆風が巻き起こる。
巨体のヴラガーンは衝撃の余波でも微動だにしないが、体格で劣るアリアーナは風圧によって後方へと押され、龍翼の羽ばたきで踏みとどまる。
破壊衝動を全身にみなぎらせながらも、眼前の獲物を悠然と見おろす暴虐龍に対して、側近龍は負けじとにらみ返す。アサイラは、周囲に別の違和感を発見する。
「これは……?」
さきほど、吐息<ブレス>同士の衝突の爆風で飛び散ったのか、無数の紙片のようなものが舞っている。アサイラには、見覚えがある。
「確か……常夜京で……」
「『兵装符術<ミーサリー>』、ファイア」
ヴラガーンの背に直立する魔術師が、楽団を前にした指揮者のように手をかざす。滞空する紙吹雪──呪符にこめられた魔力が、一斉に励起する。
アリアーナは、周囲を見回すように首をめぐらせる。アサイラは、歯噛みする。空中には紫色に輝く小さな魔法陣が、無数に浮かびあがる。
『──ッ!?』
円形の呪紋から発射孔のように、幾本ものスティンガーミサイルが弾頭を現す。側近龍とその乗り手を中心に、前後左右上下、全方向を包囲されている。
白髪の魔術師が、ぱちん、と指を鳴らす。ここではないどこかから召喚されたミサイル群が、標的に向かって一斉に殺到する。
「……くッ!」
アサイラは、目を閉じ、身を屈める。アリアーナは、身をよじりながら、弾頭を回避しようと試みる。だが、猶予も、逃げ場もない。
側近龍のわき腹に、一発目の対空ミサイルが命中する。炸裂に身悶える間もなく、二発目の鉄杭が、片翼を穿つ。十数発の後続が、さらに次々と着弾していく。
耳をつんざく爆音と、身を貫く衝撃が断続的に続き、やがて静寂が訪れる。死を覚悟していたアサイラは、おそるおそるまぶたを開く。
死んでいない。それどころか、己の肉体に欠損はない。傷ひとつ、負っていない。
『あ……ッ。かは……ッ!』
アリアーナのうめき声が聞こえる。アサイラは、顔をあげる。側近龍の翼が、頭上に円蓋状に広げられ、乗り手の身をかばっている。
翼の皮膜の破れ目から、燃えるように熱い龍の血が滴り落ち、青年の肩を濡らす。
「アリアーナ! なにをしている!?」
『どうせ、避けることは、かないませんでしたから……せめて、アサイラさまの、身だけでも……それに、耐え、きった、のです、よ……』
途切れ途切れで苦しげな側近龍の声が聞こえる。アサイラに、ドラゴンの表情はわからない。ただ、強がりの笑みを浮かべているような気がした。
対空ミサイルの群に全身を引き裂かれたアリアーナは、弱々しく翼を羽ばたかせながら、かろうじて滞空状態を維持している。
「グゲラグゲラ! さすがは、側近龍。己の身を挺して、乗り手を守ろうとするとは、あきれた博愛の精神であることダナ!!」
調子外れの拍手が、円形の断崖に反響する。ヴラガーンの乗り手、白髪のギルド魔術師、ウェル・テクスが意地の悪い笑みを浮かべつつ、手をたたいている。
初老の魔法使いは、ゆっくりとした所作で、大きく両手を広げる。アリアーナの龍の瞳が、見開かれる。
「それでは、アリアーナさまに敬意を表して。第二射、ファイア」
白髪の魔術師が、無慈悲に言い放つ。地面にまき散らされた召喚符から、魔法陣が展開され、直情の標的に向かって対空ミサイルが射出される。
殺戮の鉄杭が、幾発も側近龍の腹部に叩きつけられる。炸薬の爆裂が、ドラゴンの革と肉を引き裂いていく。背の側にいるアサイラには、手も足もでない。
「叡智は無情にて……しかして、手前もさすがに弾切れだ。それにしても、重ね重ね、あきれた耐久力でもあることダナ」
『ふん。オレは、拍子抜けもいいところだぞ』
ウェル・テクスが、冷酷な眼光で標的をにらみつける。ヴラガーンは、ひどく落胆した様子で鼻を鳴らす。
アリアーナは、力なくよろめきながら、それでも宙に浮かび続けている。ひどい裂傷を負った腹部が赤く染まり、直下の岩肌に血だまりができている。
『アサイラ、さま……まだ、です。我々は、まだ、戦える、の、ですよ……』
「……くそッ!」
アサイラは、血がにじむほどに強く拳をにぎりしめる。
ウェル・テクスとかいう魔術師は、セフィロト社のエージェントでほぼ間違いない。そして、セフィロトの猟犬に、降伏や命乞いは通用しない。
「グゲラグゲラ! アリアーナさまは、勇猛でもいらっしゃる! ヴラガーン、その健闘に敬意を表して、とどめを刺してやるのダナ!!」
『……ウヌに命令される、いわれはないぞ』
ギルド魔術師の無慈悲な死刑宣告に、暴虐龍は文句を言いつつも、右腕を振りあげる。大剣のごとき龍爪が、陽光を鈍く反射する。
アサイラは、とっさに走り始める。側近龍の首を駆けのぼり、頭部に陣取る。
『ドウーッ!』
「ウラアッ!」
アリアーナの首を刈り取ろうと振り下ろされた龍の巨腕に向かって、アサイラは全身全霊の拳を叩きつける。
暴虐龍の血走った瞳が、見開かれる。黒髪の青年の打撃は、その小さい体躯からは想像できないほどに重い。巨龍の腕の軌道がそれ、爪は側近龍の鼻先をかすめる。
『──ドウッ!』
「ウラアァァ!」
今度は左腕でなぎはらわんとするヴラガーンの手首を、アサイラは力の限り殴りつける。左の龍爪は、アリアーナの身に到達するまえに、弾き返される。
暴虐龍が、最後の一手を押し切れずにいるさまを見て、巨体のドラゴンの背に立つギルド魔術師は、いらだちを隠せない。
「なにをしているのダナ、ヴラガーン! 死にかけの龍と、取るに足らない若造を相手に、なにを手間取っている!!」
『ウヌは、黙っていろ! 命令されるいわれはない、と言ったはずだぞ!!』
暴虐龍は巨大な顎を開き、乗り手の青年ごと、側近龍の頭蓋をかみ砕かんと肉薄する。アサイラは、深く腰を落として、巨龍を待ちかまえる。
『ドウウゥゥゥ──ッ!!』
「ウウゥゥゥ……ラアッ!!」
迫り来る龍の顎に向かって、アサイラは身体を縦に回転させる。車輪のような動きで、間欠泉のごとき勢いの蹴りを放ち、ドラゴンの下顎を強打する。
『く……ぐグッ!』
手応えが、あった。巨龍のうめき声が、聞こえる。ヴラガーンの破滅的な一咬みは、上方にずれて、虚空を喰らう。
空中を一回転したアサイラは、アリアーナの頭頂に着地しつつ、拳を握りなおす。いける。難敵であることに変わりはないが、戦えない相手ではない。
黒髪の青年が闘志を新たにした、その瞬間、足元で異常が起こる。
『あぁ……ッ。か、はあ……ッ』
側近龍が弱々しいうめき声をこぼしつつ、吐血する。アリアーナは、もはや、現状の高度を維持することもできず、少しずつ地面へ向かって降下していった。
→【勝者】
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