【第2部21章】蒸気都市の決斗 (5/8)【月齢】
【発条】←
「むーっ、いったあ……」
ジャックは、ごろごろと若草のうえを転がり、翼竜<ワイバーン>や女王蜘蛛<クイーン・スパイダー>の追撃を逃れる。
空中機動に優れた有翼の魔獣と、身体の自由を奪う粘糸を分泌する巨大蟲の組み合わせは厄介だ。血と土で汚れたワンピースの征騎士は、ミナズキのほうを一瞥する。
「むー。実戦経験のなさそうな魔術師だと思って、ちょーっと、ナメてたかな……君、そうとう修羅場慣れしているみたいだね……ッ!」
破れかけのフリルスカートとビビットカラーの三つ編みを揺らしながら、若い征騎士は地表をジグザグに跳ねて、迫り来る召喚獣たちの狙いを外す。
急降下攻撃をしかける翼竜<ワイバーン>のかぎ爪をかすめ、女王蜘蛛<クイーン・スパイダー>の巨体を遮蔽にし、その胴体を蹴って素早く飛び離れる。
巨躯の節足動物が、黒光りする臀部を持ちあげる。上空では、ドラゴンの亜種が旋回している。粘糸の噴射とタイミングを併せて、滑空をしかけるつもりだ。
「──いまだッ、『発条少年<スプリング・ジャック>』!」
幼さを残す征騎士は、右手をかざしつつ、自らの異能の名を叫ぶ。巨体の蜘蛛の尻が、大きく向きを曲げる。先刻、接触したときにバネを植えつけておいた。
本来ならばジャックを捕らえるはずだった女王蜘蛛<クイーン・スパイダー>の粘糸の照準がずれて、上方向へ噴射される。その先には、翼竜<ワイバーン>が宙を舞っている。
「クギャ……ッ!?」
白い糸にぐるぐる巻きに絡みとられたドラゴンの亜種が、悲鳴をあげる。双翼の羽ばたきを封じられ、浮力を失い、墜落する。直下には、巨大蟲がいる。
──グシャアッ!
落ちてきた翼竜<ワイバーン>に、女王蜘蛛<クイーン・スパイダー>は押しつぶされる。甲殻がきしみ、体液があふれ出し、巨躯の節足動物は動かなくなる。
「むー。この調子でつきあってなんか、いられないかな。あのドラゴンも、早く追いかけないといけないし……とッ!?」
身をひねり、ミナズキに向かって跳躍したはずのジャックは、相手の姿を見失う。巨大ななにかに視界をふさがれている、と気づくまで数秒かかった。
「……大猪<ヒュージ・ボア>ッ!!」
三つ編みの征騎士と巫女装束のエルフとのあいだを遮るように、山のような威容を誇る巨獣が召喚されていた。
大猪<ヒュージ・ボア>が突っこんでくる。状況認識の遅れたジャックは、反応が間にあわない。
「あゲは……ッ!」
コンマ数秒、滞空する征騎士は、突進からの頭突きをまともに喰らう。華奢な肢体が、大きく弾き飛ばされる。
ジャックの肉体が、ゴムボールのように地面を数度、バウンドする。三つ編みの征騎士は、自分の全身を文字通りバネとすることで衝撃を受け流した。
ジャックが体勢を立て直し、顔をあげたときにはすでに、大猪<ヒュージ・ボア>が蹂躙せんと地を揺らしながら突っこんでくる。
「ちょっと、これ、召喚主に近づくどころじゃないんだけど……! ぴょーんッ!!」
ビビッドカラーの三つ編みを揺らしつつ、征騎士は瞬間的に跳躍し、巨獣の後頭部に着地する。山のような威容のモンスターは、振り落とそうと首を激しく左右に振る。
「そう簡単に、落とされるわけにはいかないかな!」
ジャックは、左手の5本の指それぞれの内側に小型をバネを生成、収縮させ、大猪<ヒュージ・ボア>の剛毛をがっしりとつかむ。右腕のなかには、骨格に沿って強靱なスプリングを埋めこむ。
「せいやあぁぁーッ!!」
幼さの残る征騎士は、利き腕の内部のバネを激しく伸縮させ、エンジンのピストン運動のごとき高速パンチを巨獣の後頭部に叩きつける。
山のような威容を誇る怪物は、ダメージを受けている素振りも見せず、頭部を振り乱しながら、地団駄を踏む。
「悪いけど、ボクのパンチでしとめられるなんて、はじめから思っていないかな。本命は、こっち……爆ぜろ! 『発条少年<スプリング・ジャック>』!!」
ジャックは叫びつつ、大猪<ヒュージ・ボア>の後頭部から飛び退く。同時に、拳の連打と同時に埋めこんだ大量のバネを張力を一斉に解放する。
「ゴヒイ……ッ!?」
巨獣のうめき声と同時に、その頭蓋が内側から破裂する。濁った血と脳漿をぶちまけながら、山のごとき体躯が倒れこみ、地震のように周囲を揺らす。
「むー。召喚の数も質も、ちょーっと、あり得ないかな……グラー帝じゃあるまいし、まさか、無尽蔵の魔力なんて……」
ぼろぼろのフリルスカートをはためかせながら、征騎士は滞空しつつ、地上のミナズキをにらみつける。身をひねれば、上空で満ちつつある月が見える。
「まだ続けるつもりかな? ボク、さすがに飽きてきたんだけど」
ジャックは、前掲姿勢で着地する。対峙する巫女装束のエルフは、涼しい顔で眼を細める。
「それは、悪いことをしました。では、そろそろ仕舞いとしようかしら?」
バネの伸縮力を解き放って一気に間合いを詰めようとした征騎士の両手首に、しゅるしゅるとなにか縄のようなものが絡みつく。次の瞬間、ジャックのか細い肢体が、強烈な力で後ろに向かって引っ張られる。
「むーッ!?」
ビビットカラーの三つ編みを振り乱しながら、背後をあおぎ見る。獣の頭のようなつぼみから、よだれのごとく溶解液をこぼす、無数のツタをうごめかせる奇怪な花が地面に根を張っている。
「人喰い植物……ッ! これも、召喚獣かな!?」
腕に、脚に、追加のツタが巻きついていく。ジャックを呑みこまんと後方へ引っ張る力が、ますます強くなる。思わず仰向けに転倒しそうになり、なんとか踏みとどまる。
(これ、ちょっと……さすがにマズいかな!!)
額に冷や汗を浮かべた征騎士は、歯を食いしばりつつ、渾身の力で踏んばる。
ジャックが『発条少年<スプリング・ジャック>』で生成し、埋めこむバネは、関節のある生物を破壊するのは容易だが、ツタのようにどちら側へも曲がる相手に対しては効果が薄い。
(相手も……ボクの転移律<シフターズ・エフェクト>を、観察していたってことかな!?)
「……ついさっき、仕舞いにする、と言わなかったかしら?」
必死の形相の征騎士ににらみつけられたミナズキは小首を傾げつつ、頭上の夜天に浮かぶ満月のごとく冷ややかな微笑みを浮かべる。
ジャックは、双眸を見開く。完全に満ちた月から燐光が舞い降りるがごとく、淡い輝きが満ちたかと思うと、巫女装束のエルフのまえに、大猪<ヒュージ・ボア>にも劣らぬ体躯の影が姿を現す。
「まさか、これって……ッ」
「グルガアァァ──ッ!!」
四肢の動きを封じられた征騎士のうめき声が、大気を揺るがすような咆哮にかき消される。緑色の鱗、大剣のごとき爪、力強く羽ばたく翼──ミナズキが召喚したのは、れっきとした魔獣たちの王、ドラゴンだった。
→【干満】
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