【第7章】奈落の底、掃溜の山 (16/23)【逆手】
【双巴】←
「う……ッ!?」
エージェントは、苦しげにうめく。再度の空転ののち、ガレキの地面に背を突いたのは自分のほうだった。
右脚を『固着』したまま落下したため、関節を痛めたようだ。鈍痛が響いてくる。
「……ガぼオッ!!」
コンバットスーツ越しでも吸収しきれない衝撃が、腹部を襲う。ターゲットの右ひざが、落下の勢いごと叩きつけられた。
胃酸が逆流し、ガスマスクの内側を汚す。自分を見おろすターゲットの姿が、バイザー越しに見える。
しかし、相手にできたことは、自分にもできる。エージェントは、自由の利く右脚を使い、自分がやられたようにターゲットを投げ返そうとする。
そのとき、異変に気が付いた。
「動かねえだろ……」
息を荒げながら、自分にまたがる男がつぶやいた。
「正直、賭けだったがな……まあ、勝ったか」
ガレキの地面に押しつけられたコンバットスーツの背面は、接着剤で張り付けられたかのように動かない。
「おまえ……最初に走り回りながら、『押して』いったか? 触れると動けなくなる、足跡。おまえ自身にも、効くわけか」
ターゲット──アサイラは、ぜえぜえと苦しげに息をつきながら、言う。
「その背中の下にも、一個あった。ずいぶんと可愛らしい、肉球型のスタンプが」
エージェントは、アサイラのわき腹に突き立てようと、左手のナイフを繰り出す。しかし、苦し紛れの一撃は、アサイラの左足に踏みつけられる。
「ウラァ! ウラウラッ ウラララア!!」
左足を踏みにじったまま、アサイラは右のかかとを、ガスマスクにおおわれた顔面に繰り返し叩きつける。
やがて、バイザーにひびが入り、柄を握る左手が脱力して、軍用ナイフがガレキのうえに転がり落ちる。腕と脚の『固着』が、自然とほどける。
コンバットスーツのエージェントは、仰向けに倒れたまま、動かなくなった。相手の戦意の喪失を確かめて、ようやく、アサイラは不作法な蹴りを止める。
「勇者サマ、やった! かった! さすがだら!!」
「ワッ、カ……う、げほっ、げぼげほぉ!!」
歓声を上げつつ駆け寄ってくるワッカを前に、アサイラは激しくせきこむ。
アドレナリンの過剰分泌によって抑えこまれていた、戦闘の傷と汚染空気による苦痛が、どっとあふれ出すようによみがえる。
ワッカが防護服のポケットから取り出した酸素ボトルを、アサイラは礼もそこそこに受け取る。吸入孔を口元に押しつけ、深呼吸すれば、苦痛も多少はましになる。
アサイラは、大の字に倒れたままのエージェントを改めて見おろす。
「なんだ、こいつは。悪魔か、勇者サマ?」
「さあて、な。ともかく、聞きたいことは山のようにある、か」
酸素ボトルをワッカに返すと、アサイラは万が一が起こらぬよう、エージェントの持っていたコンバットナイフを遠くに蹴り飛ばす。
野蛮な蹴りを無数に受けて、べこべこに変形したガスマスクに指をかける。
「まずは、面を拝ませてもらうか」
フルフェイスのガスマスクを、ひび割れたバイザーごと、力任せにはぎ取る。
「……ッ!?」
アサイラは、息を呑む。漆黒の仮面の下から現れたのは、うら若い女性の顔だった。それだけではない。頭部からは、犬か狼を思わせる、獣の耳が生えている。
顔中に無数の青あざを浮かべ、小刻みに震えながら、女はアサイラのことをにらみつけていた。
→【合流】
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