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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (16/24)【増進】

【目次】

【臨界】

「グオラッ」

「グヌウ!」

 激しく振動し、ところどころ崩落すらしている足場の悪さをものともせず、グラー帝が拳を伸ばす。アサイラは、寸でのところで直撃を回避する。音速を超える拳圧が頬をかすめ、切り傷を刻む。

 黒髪の青年は、ひびだらけの柱を遮蔽に使いつつ、彼我の間合いを保とうとする。諸肌に傷ひとつない偉丈夫は、まるで石ころでも蹴飛ばすように、『塔』の部材を破壊しながら接近してくる。

 アサイラが右手に握る大剣、『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』は刀身を糸に変じ、戦闘空間全体に縦横無尽に張り巡らしている。

 人間の反射神経を超えて繰り出される暴君の破滅的な一撃を、黒髪の青年はワイヤーから伝導してくる振動で察知し、ときに直接的に軌道をそらして、紙一重の回避をかさねてきた。

「グオラッ」

「グヌッ!」

 グラー帝が、足元のがれきを蹴り飛ばす。無数の石片が、散弾のごとく全身にあたり、アサイラはうめく。偉丈夫は、隙をつくような急接近から、大振りの、しかし動態視力の限界を超えた速度のアッパーカットを放つ。

「ウラア……ッ!」

 黒髪の青年は、無数の戦闘経験から暴君の攻め手を先読みし、後転で回避運動をとる。グラー帝の一撃は、ぶんと宙を切る。拳をまっすぐ伸ばされていたら、踏みこみ次第では致命傷を喰らっていた。

「……グヌゥ」

 空中で後方回転したアサイラは、着地と同時に両ひざの脱力感と鈍痛を覚えて、小さくうめく。

 偉丈夫の攻撃の数々をいなし続けているとはいえ、常に死線にさらされる状態で、疲労が蓄積している。かすり傷のダメージとて、一撃の重さを考えれば無視できない。なにより、グラトニアの専制君主自身が、黒髪の青年の巡らす策に順応しつつある。

「どうした、愚者よ。なにをしている。余を倒すつもりなのか、と思っていたが、先刻からの動き……一言以ておおうならば、時間稼ぎにしかなっていない」

「グヌウ……」

 悠然と足を踏み出しながら口を開くグラー帝に対して、アサイラは歯ぎしりをする。眼前の偉丈夫が言うとおりだ。

 自分は致命傷を回避し続け、なおかつ、相手には小さくてもダメージを与え、蓄積させていく。黒髪の青年は、そう考えていた。

 しかし、現状は真逆。アサイラは確実に消耗し、いまや暴君の攻撃をかわすだけで精一杯。じょじょに、それすらも厳しくなりつつある。

 黒髪の青年は、ふらつきながらも徒手空拳を構えなおす。問題は、疲労とダメージのみではない。手の内を、相手に知られつつあることでもない。

 戦い続けるうちに、ただでさえ圧倒的な専制君主の身体<フィジカ>能力が、わずかずつ、しかし確かに向上している。対面し、拳を交えているからこそ、確信できる。

「気づいたか。一言以ておおうならば、然り、である……グオラッ」

「……ウラアッ!」

 アサイラの胸中を見透かしたかのように、グラー帝はつぶやく。ほぼ同時に、無造作な右ストレートを放つ。黒髪の青年は、とっさに側転して、身をかわす。

「グヌ……ッ!?」

 破裂音と崩壊音が、屋内に反響する。アサイラは、呆然とうめく。偉丈夫の拳から生じた衝撃波が、『塔』を貫通した。第六感が、そう告げている。

 黒髪の青年は、それでも眼前に起こった現象を、にわかに信じることはできない。この超巨大建造物は、都市ほどの直径を誇る。それを貫通するなど、戦車の主砲はおろか、下手なミサイルですら及ばない破壊力だ。

「こいつ自身の力が……増大している、のかッ!?」

「然り、である。次元融合の進行に比例して、余の構成導子量は上昇し続けている……時間稼ぎをすれば、有利となるのはこちらのほう……理解したか、愚者よ?」

 伸ばした腕を引き、ボクシングの構えをとりなおすグラー帝は、双眸を冷ややかに光らせる。アサイラもまた、腰を深く落とし、自身の体術を構える。偉丈夫は、あきれたように息を吐く。

「なお、抵抗するか。ひざを突き、頭を垂れ、敗北と過誤を認めるならば、苦痛なき死を恵む慈悲は、余にもある。大規模次元融合が完了すれば、余の構成同士量は、もはや次元世界<パラダイム>規模から、宇宙そのものとなるのだぞ?」

「知ったことか。だったら、宇宙とも殴りあってやるだけだ……グヌッ!?」

 黒髪の青年は、うめく。無傷の偉丈夫は、動いていない。『塔』全体が、ひときわ大きく振動した。専制君主は、心底つまらなそうに目を細める。

 超巨大建造物の壁が、床が、柱が分解していく。がれきの欠片と化した『塔』の部品たちは、しかし落下することなく、空中に浮遊している。アサイラもまた、足の裏の感覚がなくなり、無重力状態のごとく身体が宙を漂う。

「なにごとか、これは……ッ!?」

「ひとつは……誰ぞ、不届きものが『塔』を破壊したか。余の象徴を灰燼に帰そうなぞ、一言以ておおうならば、傲慢不遜である。のちほど、なんぞ罰を下さねば、な」

 亀裂が広がり、隙間から陽光が差しこんでくる様子を見やりながら、グラー帝はつぶやく。アサイラは、周囲に張り巡らせた蒼銀のワイヤーをたぐって、どうにか体勢を整える。

「そして、もうひとつ。愚者よ……この無重力状態は、汝らの反抗が無意味である証左である……」

 威圧するような輝きを宿した偉丈夫の双眸が、黒髪の青年を射抜く。

「……余の『覇道捕食者<パラデター>』によって引き寄せた次元世界<パラダイム>たちは、閾値を超えた。あとは放置しても、勝手に落ちてくる。大規模次元融合は、グラトニアの名のもとの侵略政策は、ここに果たされる」

「神様にでもなろうか、ってご高説じゃないか」

「一言以ておおうならば、否である。神になるのではない。余は、すでに神となったのだ」

 グラー帝の言葉を聞いたアサイラは、無重力状態に翻弄される身体を『龍剣』の刀身から作り出した糸の張力で支えながら、拳を握り直し、眼前の相手をにらみかえす。

「さっき言わなかったか、裸の王さま? 宇宙相手でも、殴りあってやるってな!!」

 周囲に浮かぶがれきを蒼銀のワイヤーでつかみ、どうにか姿勢を維持する黒髪の青年は、無重力状態でもなお、不動の体勢を保ち続ける偉丈夫に対して声を張りあげた。

【十分】

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