【第3章】魔法少女は、霞に踊る (2/10)【胃痛】
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円形の蒸気都市の中心点には、市庁府ビルが鎮座する。市庁府ビルの敷地内には、蒸気瓶プラントが併設され、噴き出す白煙は街のなかでも、ひときわ濃い。
『市警隊の護衛を嘲う! コクマー商会、魔法少女に襲撃される!!』
市庁府ビルの執務室、金髪のなかに白髪が目立つルパート・パターソン市長は、手にした新聞の一面を苦々しく見つめている。
『魔法少女』を名乗る義賊気取りの愉快犯の活動が本格的になったのは、一年ほど前からだ。
悔しいことに、彼女の犯行対象は、実際、市庁府との癒着や脱法行為と言った後ろ暗い行為に手を染めている商会や富裕者個人に限られている。
そんな『魔法少女』の活躍を、新聞記者どもがセンセーショナルに書き立てるようになってからは、半年ほど。
もともと、富裕者層に対して鬱屈した感情を抱いていた労働者階級や低取得者層のあいだで、『魔法少女』の人気はじわじわと上昇しているらしい。
今晩に至っては、コクマー商会からの要請もあって、市警隊による護送まで行ったが、先刻、まんまと『魔法少女』に出し抜かれた、と報告があったばかりだ。
「うううう……ッ。胃が……」
パターソン市長は、中年太りした腹部を抑える。
市長といえば聞こえはいいが、実際の業務は方々の資産家、権力者との調整役だ。しかも、政治というものはきれいごとだけでは済まされない。
市庁府トップに就任して以来、パターソン市長は胃痛が途絶えることのない日々を送っている。
──コンコン。
初老の市長が、胃痛にのたうち回っていると、ドアをノックする音が聞こえた。パターソン市長は、慌てて姿勢を正すと、新聞を机の引き出しにしまう。
「……誰かね?」
「セフィロト社の方が、お見えになりました」
ドアの向こう側から、秘書の声が聞こえる。『セフィロト社』という単語を聴いて、市長の胃痛はいっそう悪化する。
「うむ。通してくれたまえ」
市長は平静を装いながら、ドア越しの秘書に語りかける。やがて、扉が押し開かれ、秘書に促されて、一人の男が執務室に入ってくる。
「お久しぶりだね、パターソン市長。ご機嫌は、いかがかナ?」
入室してきたのは、市長よりも高齢とおぼしき、それでいてかくしゃくとした長身の老人だった。
老人は、スーツのうえから研究者然とした白衣をまとっている。両目は一目で義眼とわかる赤い物体をはめこんでいるにも関わらず、視力で不自由している様子はない。
なによりも重要なのは、この男の胸元には金色に輝くセフィロト社のネームプレートをつけていることだ。
この黄金の金属片こそが、正体不明の企業体、セフィロト社のなかでも多大な権限を認められた存在『スーパーエージェント』の証であることを、市長は知っている。
「お久しぶりですぞ、プロフェッサー。そちらこそ、息災そうでなにより!」
パターソン市長は、背筋を伝う冷や汗と腹部の胃痛を悟られないように作り笑いを浮かべながら、歓迎するように両手を広げる。
二人は握手を交わすと、テーブルを挟んで、応接セットに対面で座る。秘書が、紅茶を入れて、それぞれのまえにティーカップを差し出す。
「あー。すまないが、キミは席を外してくれたまえ」
「はい、市長」
察しのいい秘書は、二人に一礼すると、深い詮索はせずに退室する。
「我が社から供給している核熱球の具合は、どうかナ? 市長」
「いやはや。当方、大助かりですぞ。御社製のシステムを導入したおかげで、有害ガスも減少し、良質の蒸気を市民に大量供給できております!」
「ミュフハハ! それはなにより。ウィン=ウィンというものですナ」
蒸気都市とセフィロト社でおこなわれている取引の、何気ない会話が市長と白衣の男とのあいだで交わされる。
(深夜にわざわざ面会に来るということから、気揉みしていたが……どうやら、今日は無茶な要求をされずに済みそうだ……)
作り笑いを顔に張り付けたまま、内心、パターソン市長は胸をなでおろす。だらしなく膨らんだ腹部の胃痛が和らぐのを感じる。
セフィロト社は、決して表に出ることの無いまま、蒸気都市の運営と経済活動に深く喰いこんでいる。
公営業務の主要な収入源である蒸気瓶プラントも、いまやセフィロト社によって提供されるブラックボックスなしでは立ちゆかない。
技術供与の引き替えに、セフィロト社は鉱物資源の提供を求め、都市周辺に残されたなけなしの農地は、軒並み精錬工場へと姿を変えた。
いまや市民への食糧供給の九割は、セフィロト社のダミー企業であるコクマー商会によって牛耳られ、商品がどこから持ちこまれているのかすら定かではない。
セフィロト社からの来客に差し出した紅茶の茶葉と砂糖すら、コクマー商会から仕入れたものだ。
「ときに、市長。こちらの新聞で見たのですが……『魔法少女』なる愉快犯が、治安をおびやかしているそうですナ?」
「う……ッ」
白衣の男の赤い義眼が、ぎらり、と光る。市長の腹部に、鮮烈な痛みが走る。
「いやはや……面目ない、プロフェッサー。コクマー商会に関しても、市警隊を動員しながら、あのありさまで……」
「なんとなればすなわち……市長が謝るようなことではありません。憎むべきは、都市の平穏を脅かす犯罪者。違いますかナ?」
眼前で、白衣をまとうセフィロト社のスーパーエージェントの圧が強くなる。パターソン市長は、身をこわばらせながら、精一杯の平静を装う。
「我が社としても、憂慮してましてナ……そこで、『魔法少女』の確保に我々も協力する準備があるのだが……いかがかナ」
「そ、それは……当方としても、願ったりかなったりですぞッ!!」
なかばやけくそ気味に、パターソン市長は大きく首をたてに振る。白衣の男は、口元だけで満足げに笑う。
「市長にも喜んで受け入れていただき、光栄のかぎりですナ……それでは、このワタシはオリハルコン精錬工場の視察を控えておりますので、これで……」
胸に金色のネームプレートをつけたエージェントは立ち上がり、軽く会釈をすると、執務室から退室していく。
「うううう……」
深夜の来客を見送ったパターソン市長は、うめきながら立ち上がり、よろめきつつ執務机のいすへと戻る。
セフィロト社が市庁府との取り引きのどれかひとつを打ち切っただけで、この都市は停止する。喉元にナイフを突きつけられたにも、等しい。
「おのれ……セフィロト社め……」
パターソン市長は、左手で下腹部を押さえつつ、苦々しくつぶやく。右手が電話の受話器に伸び、内線の番号を回す。
「ああ、当方だ。うむ。すまないが……胃薬を、執務室まで持ってきて、くれ……」
→【居所】
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