【第2部25章】陳情院議長暗殺計画 (7/8)【振子】
【鉄鎖】←
「ご、ガ……てッ!」
アウレリオ議長は、うめく。数メートル下方に鎖でぶら下がる赤毛のバイクライダーは、ハルバードの柄とバイクのハンドルをかみあわせる。これにより女の体重と鉄馬の荷重が、そのまま男の身体に、足の付け根にかかる。
「ぬグァ……バイクの重量、どの程度だ……100、いや200キログラムか……どのみち、わたしの脚が引きちぎれてしまうだろう!?」
陳情院議長は、必死の形相をして歯ぎしりをして太ももに巻きつく刃と鎖の痛みに耐える。オーダーメイドスーツのズボンに、赤黒い血の染みが輪のように浮かび、広がっていく。
背中から伸びる超常の羽──『喧噪肢翼<ノイズィ・リム>』を懸命に震わせて、高度を維持しようとするも、重石をぶら下げられた状態では少しずつ地面に向かって落ちていく。
「おのれ、蛮女め……わたしを道連れにして、墜落死する気か!?」
「冗談はよせ、スカシ野郎! ウチに、テメエみたいな男と心中する趣味はないだろ」
アウレリオ議長の悪態に対して、赤毛のバイクライダーは涼しい声音で軽口をかえす。男は、顔を茹で蛸のごとく真っ赤にして、どうにか滞空状態を維持しようとする。
地上10階建てのビルから飛び立ったのだ。このまま力尽きて自由落下すれば、間違いなくアスファルトの染みとなる。
「どうにかして……拘束状態を脱する必要があるだろう……っ!」
陳情院議長は、右手に握った拳銃を太ももに巻きつく鎖に押し当て、トリガーを引く。甲高い金属音が、ビルの狭間に響く。蒼碧の輝きを放つ金属の輪を砕くどころか、傷ひとつつけられない。
「バッド! ハルバードだけじゃなくて、その鎖も魔銀<ミスリル>製だ。鉛玉ていどで壊せるわけないだろ?」
「魔銀<ミスリル>製だと……!? 蛮女の分際で、贅沢品を……猫に小判とは、まさにこのことだろうッ!!」
「グッド。イクサヶ原のことわざを、よく知ってるな。ちっとは学があるだろ、スカシ野郎!」
空も飛べず、ぶら下がっているだけのはずの赤毛のバイクライダーは、あくまで飄々とした様子だ。女の荷重を支えている側の男は、ただでさえ歪んだ顔を怒りと痛みで、くしゃくしゃにする。
「しかし、まさか魔銀<ミスリル>とは……護身用の拳銃では、とうてい破壊はかなわないだろう……」
アウレリオ議長は、グラトニア帝国の中枢においては後方支援要員だが、行政の運営と臣民の管理を任せられる征騎士序列4位として、自分のもとに届くあらゆる報告は耳に入れ、目を通している。
魔銀<ミスリル>。つい先日、グラトニア帝国が『同化』した次元世界<パラダイム>のひとつ、インヴィディアで産出される希少鉱物であり、原住民どもも重用している。
プロフェッサーは、魔銀<ミスリル>の埋蔵地を版図に組みめば、新たな工業技術の発展が見こめる……と声を踊らせていた。陳情院議長も、産業促進のための公的投資と法的整備を進めていたところだ。
「我が身を持って……新資源の有用性を、味わうことになろうとは……さすがに思わないだろう!」
インヴィディアにおいては、帝国軍が原住民狩りをおこなっている真っ最中だ。同じく『同化』したアストランという名の次元世界<パラダイム>においても現地人の反発が大きく、駐留戦力が難儀している。小規模な乱逆に至っては、数え切れない。
「だからこそ……わたしが、死ぬわけにはいかないだろう……」
アウレリオ議長は、眼下の赤毛のバイクライダーをにらみつける。男は、征騎士序列5位ロック・ジョンストンの転移律<シフターズ・エフェクト>、『死禁錠<デス・ジェイル・ロック>』が解除されたことを把握している。
彼は、対象を『死ななく』する異能の持ち主だった。陳情院議長をはじめとするほかの征騎士たちはもちろん、前線の精鋭部隊も『不死』の恩恵を預かっていた。その身になにかがあった──最悪、死亡したと考えるべきだろう
グラトニア帝国の兵士たちを不死身の軍勢と化すための2本の柱の片方がロックならば、もう片方はアウレリオ議長だ。肉体の脆弱さを克服するのが『死禁錠<デス・ジェイル・ロック>』ならば、鋼の精神を実現するのが『喧噪肢翼<ノイズィ・リム>』だ。
陳情院議長の背中に現出する薄羽から発せられる可聴域外の洗脳音波をプロパガンダ放送に乗せて、戦場に臨む兵士たちの恐怖を消し、忠誠心を増大させ、高い士気を維持し続ける。
グラトニア帝国軍が正規組織となって、まだ半年ほど。経験は浅く、お世辞にも練度が高いとは言い難い。数と質の問題をクリアするために、旧セフィロト企業軍出身の兵士も多く採用しているが、こちらは忠誠心に疑問が残る。
転移律<シフターズ・エフェクト>で兵の能力を底上げし、軍の規律を維持する必要があった。そのためのロックとアウレリオだ。残された陳情院議長は、死ぬわけにはいかない。影から支えるふたつの異能を両方失えば、帝国軍自体が瓦解しかねない。
アウレリオ議長は、眼下を見やる。現在の高度は、ビルの中腹あたりか。赤毛のバイクライダー越しに、路上に墜落して黒煙をあげる軍用ヘリが見える。
消防隊が集まり、ひしゃげた鋼鉄の猛禽に水を浴びせている。その周囲で帝国軍の兵士たちが、ざわめきながら空中の陳情院議長を見あげている。
「くグ……ッ。わたしへの万が一の誤射を恐れて、発砲できずにいるのだろう……!」
「グッド。上司思いの部下たちでよかっただろ、スカシ野郎」
「ならば……わたしが、直々に射殺してやるしかないだろう! 蛮女ッ!!」
鎖の巻きついた脚は、激痛を通り越して、感覚がない。だからといって、全身の筋肉を金属の塊に引っ張られる苦悶は、失われない。アウレリオ議長は、赤毛のバイクライダーにオートマティックピストルの銃口を向ける。
「おおっと……!」
ナオミはバイクごと、鎖を揺らす。振り子の支点となる男の身体も一緒に揺さぶられ、オートマティックピストルの狙いが大きくずれて、ビルの壁面を穿つ。陳情院議長は悔しげに表情を歪めつつ、考えをあらためる。
「……こうなっては、やむを得ない……このまま軟着陸し、兵士たちに蛮女を殺害させる。悠長だが、確実な安全策だろう……むむッ!?」
アウレリオ議長は、異常に気がつく。眼下の女が、大きく鎖を揺らし続けている。必死に滞空状態を維持する男をあざ笑うかのように、ナオミと鉄馬がサーカスのブランコのごとく空中に大きな弧を描いていた。
→【暗殺】
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