【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (12/24)【船守】
【供犠】←
「グオラッ」
ボクシングスタイルで両腕を構えたグラー帝は、右足の裏を『塔』の壁面へ強く叩きつける。地震のごとく足場が大きく揺れたかと思うと、地割れのような亀裂が生じ、アサイラを呑みこもうと迫る。
「ウラア……ッ!」
黒髪の青年は、大剣を握ったまま側転し、足元に口を広げる顎から逃れる。回転しつつ、蒼黒い瞳は筋骨隆々とした偉丈夫から視線をそらさない。
アサイラが逆の立場だとしたら、この地割れは牽制だ。相手がかわしたところで、本命の一撃をたたきこむ。そう考え、グラトニアの専制君主の動きを注視する。
しかし、グラー帝の接近……に伴う瞬間的移動は、ない。2本の脚で、その場に立ち続けている。違う。偉丈夫の上下が、いつの間にか逆転している。
「……グヌ!?」
黒髪の青年は、当惑する。自身の足裏が、倒立状態から超巨大建造物の側面へ接地しない。グラトニアの専制君主がひっくり返ったのに併せて、重力方向が逆転している。このままでは、空中に放り出される。
「──ウラア!」
頭上へ向かって大剣の切っ先を伸ばし、アサイラは『塔』の壁面に刃を突き刺して、どうにか身を支える。石材の破片が、ぱらぱらと双肩に落ちてくる
「グオラッ」
虚空を踏みしめて立つグラー帝は、真上へ向かって勢いよく拳を突きあげる。音速を超えるアッパーカットが、超巨大建造物の側面を貫き、亀裂が四方へ広がり、がらがらと音を立てて石材が砕けていく。刃が、『塔』の壁面から抜け落ちる。
「グヌウ……ッ!?」
『──アサイラお兄ちゃんッ!!』
黒髪の青年は、うめく。やや離れた地点から戦況を見守る『シルバーブレイン』、その艦橋にいるララが、声を張りあげる。
超巨大建造物の側面の崩壊にともない、身の支えとなっていた大剣とともに、身体が真横方向へと『落』ちていく。そう思った瞬間、ふたたび『下』の向きが変わる。
アサイラは顔をあげて、グラー帝のほうを見る。拳を構える偉丈夫は、文字通り、天に向かって足を伸ばしている。重力が、専制君主の体勢にあわせて変動する。
「グヌ……二重、三重に攪乱してきた……かッ!」
「然り、である。愚者よ……汝は、幾たびもの致命傷を避け続けてきた故、次は……一言以ておおうならば、万全を期す」
黒髪の青年の身体が、くるくると風に翻弄される木の葉のように回転する。歪んだ重力によって、天頂へ向かって足を引っ張られる。グラー帝は泰然として、アサイラの落『下』を待ち受ける。
と、腕組みする偉丈夫は、つまらなそうに目を細める。黒髪の青年の円運動が、ぴたりと止まる。空へ向かって『落』ちてくる気配が、消える。天を足蹴にして立つ専制君主と、鏡合わせに上下反転した状態で、アサイラは向かいあう。
「今度は、どんな小細工を弄した? 一言以ておおうならば、不快である」
「そいつはどうも。場数だけは、踏んできたおかげか」
グラー帝は、ゆっくりと首をめぐらせて、重力に逆らうようにぶら下がっている黒髪の青年を仔細に観察する。右手に握る大剣の刀身が、消えていることに気がつかれる。
「なるほど……『龍剣』の刃を、糸と化して伸ばし、網のごとく広げ、汝の足を支えている……ということ、か」
グラー帝の指摘に、アサイラは返事をしない。図星だ。とっさの思いつきにしては上出来だという自己評価だったが、頭上の偉丈夫には一目で見破られた。
「そして……『塔』の壁面を利用しただけでは、このような平面展開は不可能……最低限、もうひとつの頂点が必要である。つまり……」
「──ララ! 艦を逃がせッ!!」
黒髪の青年が叫んだ瞬間には、すでにグラー帝は空中を踏みしめ、瞬間的移動を開始している。偉丈夫の姿が次に現れたときには、『シルバーブレイン』との距離を半分ほど詰めている。
アサイラは、『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』をネット状に編みあげ、超巨大建造物の側面と、次元巡航艦の船主を支点として展開した。グラー帝は、それを一瞬で見抜き、もっとも脆い『シルバーブレイン』へ狙いを移した。
「あの艦は、一言以ておおうならば……汝らの母船であり、すなわち急所。考えてみれば、最優先で破壊すべき存在であった……」
黒髪の青年に背を向ける偉丈夫は、再度、虚空を蹴る。姿が消え、さらに次元巡航艦へ接近した地点に現れる。
『たたっよたったた……急速旋回しても、とても間にあう移動速度じゃないということね! 導子力場<スピリタムフィールド>をオーバーロード展開しても、たぶん、防御は不可能ッ!!』
数秒での解析結果を、導子通信機越しのララの声が、早口でアサイラへ伝達する。
『あーっ、とフロルくん! 捨て身で艦を守れないか、なんて自己犠牲精神でものを考えないこと! いまからじゃあ、船外に出るのだって、間にあわないということね……じっと大人しくしていなさいっ、船長命令!!』
『ぎゃむぅ……』
艦長代理の少女に思惑を見透かされ、うめく同席者の少年の声が混線する。グラー帝が、宙を踏み切る。次に姿を見せるときは、すでに次元巡航艦に肉薄しているだろう。
「ララ! 10秒、いや、5秒でいい……時間を稼げるか!?」
『了解ということね──ッ』
黒髪の青年の叫び声を聞き止めながら、『シルバーブレイン』の艦首やや上方に、偉丈夫が現れる。屈強なる専制君主から見た次元巡航艦は、ガラス細工のように繊細な、大きく脆い方舟だ。
「さて、どうする? 愚者よ……打つ手があるとすれば、糸の巻き取りの勢いを利用した跳び蹴りである、か?」
グラー帝は、アサイラの取り得る手段を予測する。ワイヤーの勢いを使った打撃は、すでに見た。そこそこ威力はあるが、攻撃軌道は予測がつく。また繰りかえすというのならば、裏拳のカウンターをたたきこむ。
「……ム」
1秒、2秒。導子技術の結晶である次元巡航艦を、しげしげと見つめていた偉丈夫は、双眸を見開く。アメジストのごとき輝きを放つ瞳が、上部甲板に身を伏せる、ひとつの人影を見て取った。
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