【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (16/16)【消沈】
【焼尽】←
「あグ……ッ!?」
アンナリーヤは、うめく。急にトリュウザの抵抗が消えたため、空中浮遊のバランスを崩しかけた。顔をあげ、首をめぐらせれば、能力主を失った鉛色の巨蛭が、塵のようになって分解していくさまが見える。
禍々しい光を放っていた赤熱する大地が、本来の姿へと鎮まっていく。広範囲を包みこんでいた極高温環境は、もとの温度へ向かって急速に低下していく。
戦乙女の姫騎士の『神盾拒絶<イージス・リジェクト>』によって生じた防御フィールドもまた、輝きが弱まり、無数の光の粒と化して消滅する。長時間、広範囲にわたって展開しすぎた。
ぐるぐると視界がまわるめまいを覚えつつ、魔銀<ミスリル>の大盾をサーフボードのように操りながら、ヴァルキュリアの王女は土のむき出しになった大地に軟着陸する。
持ち主を失った長尺の『龍剣』は、深々と地面に突き刺さり、刀身が妖しげな輝きを放っている。アンナリーヤは、忌々しげに一瞥する。余熱を帯びた空気が、心地悪い。
「悲憤慷慨だ……どこまで行っても、己の未熟を突きつけられるからだ……はうッ」
戦乙女の姫騎士は、がくりと盾の内側にひざを突き、しばし、その場にうずくまる。魔力の消耗が、激しい。このままでは『神盾拒絶<イージス・リジェクト>』の発動はもちろん、空を飛ぶことすらままなるまい。
どさり、となにかが倒れこむ音を聞いて、ヴァルキュリアの王女は顔をあげる。ともに死力を尽くして戦った少年騎士……フロルだ。
「少年……ッ!」
アンナリーヤは、ふらつきながら立ちあがる。少し離れた地点で倒れこんでいる、小柄な人影を見つける。あわてて駆けつけようとして、転倒しそうになる。
足取りがおぼつかないながらも、戦乙女の姫騎士は、盾のうえから大地へ踏み出す。はるかにましとなったとはいえ、まだ地面には火傷しそうなほどの熱が残っている。
がくがくとひざの震えるヴァルキュリアの王女は、靴底の焦げる臭いを感じながら、ゆっくりと少年騎士のもとへと歩みよる。
『機改天使<ファクトリエル>』の能力によって大型車両に自ら造り替えた肉体は、すでにもとの人間態へと戻っている。
フロルの『龍剣』は、すぐ横に転がっていた。異形の姿だった刀身は、ありふれたバスタードソードのものに戻っているが、持ち主を気遣うように、数本の鋼線刃から伸びて、ゆるく腕にからみついている。
「少年、目を開けろ! あの化け物を、相手に……自分たちは、勝ったからだ!!」
アンナリーヤは、フロルのかたわらにひざを突き、必死に声をかけ続ける。魔銀<ミスリル>のすね当て越しに、肌が焦げるほどの熱を感じる。
まぶたを閉じたまま、フロルが返事をすることはない。戦乙女の姫騎士は、少年の口元に手のひらをかざす。わずかだが、呼吸をしている。意識の有無は不明だが、まだ命がある。
「悲憤慷慨だ……基礎的な『治癒』の魔術を使えるだけでも、応急処置ていどにはなるだろうからだ……いや、魔力を搾り尽くした体たらくでは、それもままならない、か」
ヴァルキュリアの王女は、魔法<マギア>の不得手な自分自身に不甲斐なさを覚えて、悔しげに拳をにぎりしめる。
医術の知識のない目で見ても、満身創痍のフロルは、ひどい有様だった。全身は黒焦げになり、背負っていた赤い外套も燃え尽きている。初老の剣士との戦いで、打撲や骨折も馬鹿にならないだろう。
アンナリーヤは、少年を抱きさすろうとして思いとどまる。下手に動かすと、折れた骨が内臓に刺さったり、脳にダメージがある場合は症状を悪化させる場合もあるからだ。
おそらく自分よりも年下でありながら、果敢に戦いを挑み、至高の騎士の片鱗すら見せた少年に、なにもしてやれない事実をまえにして、戦乙女の姫騎士は無力感に苛まれる。
「死ぬな、少年! 勝ったぞ、貴殿の奮闘のおかげだからだ……ここで生きなければ、せっかくの勝利が、すべて無駄になってしまう……!!」
ヴァルキュリアは、いまの自分に唯一できること……ただ必死に激励の言葉をかけ続ける。フロルが、応答する素振りはない。
戦乙女の姫騎士は、急に空が暗くなってきたことに気がつく。ぽつり、ぽつりと大粒の水滴が落ちてきて、うなじを濡らす。極高温環境と化した大地から蒸発した水分が、気温の急低下にともなって凝結し、豪雨と化して降り注いでくる。
「悲憤慷慨だ……天すらも、自分の無様をさげずんでいるからだ……」
頭上をあおぎ見るヴァルキュリアの王女は、力なくつぶやく。ひざを突くアンナリーヤと仰向けに横たわるフロルの顔を、雨粒が容赦なく叩きつける。目尻からこぼれ落ちる涙を隠してくれていることは、せめてもの慈悲か。
「それでも、誰か、助けを……この少年は、まだ死ぬべきではないからだ……」
戦乙女の姫騎士は、もはや自分にできることは残されていないと悟り、天に祈る。ぼやけた視界の先に、ちかちかと点滅する光源が見えることに気がつく。信号灯だ。
暗雲の下を、曲線主体の見慣れぬフォルムの大きな浮遊体が、ゆっくりと近づいてくる。ヴァルキュリアの王女と少年騎士を叩きつける豪雨からかばうように、ふたりの直上で動きを止める。
アンナリーヤは、いま、自分たちの真上に浮かぶ存在こそが、リーリスの口にしていた天駆ける大船──『シルバーブレイン』であることに気がつく。
浮遊艦から、がなりたてるような声が聞こえてくる。大きすぎる雨音が邪魔して、うまくアンナリーヤは聞き取れない。助けを待つふたりにむかって、『シルバーブレイン』は静かに高度を降ろしてきた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?