【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (5/16)【案内】
【提案】←
「昨日の威勢はどうしたのじゃ、女童? 遅れておるわ!」
「あわわ、おっとっと……!」
入り組んだ根のうえで腰に手をあてて見おろすカルタヴィアーナの視線の先で、メロが隆起したでこぼな地形につま先を引っかけて転倒する。
「だいじょうぶかしら、メロ?」
先行していたミナズキは、足を止めて振りかえる。さらにまえを進むクラウディアーナやエルフの狩人たちも歩を止める。
「うう……ディアナさまやカルタさんはともかく……ミナズキさんも、こんなに獣道を歩くのが得意だったなんて意外なのね」
「此方は意識していなかったけれど……薬草採りや霊脈探しで山歩きも符術巫の仕事のうちだったから、それで慣れたのかしら?」
ミナズキはあごに指をあてて首をひねり、メロは額にできたかすり傷をこすりながら立ちあがる。一行が進んでいるのは、深い原生林のなかだ。
「うふふ。そなたに流れるエルフの血のおかげかもしれませんよ、ミナズキ」
「御婦人の言うとおり。俺たちエルフは、森に産まれて森に死ぬ、って伝えられているくらいだ……そっちの嬢ちゃん、うしろの娘を支えてやってくれないか?」
「我に命令するな、かしましいわ!」
エルフの族長に頼まれたカルタヴィアーナは腕を振りあげて文句を言いつつも、メロのそばに歩みよって肩を貸す。
「うう……ありがとうなのね、カルタさん」
「不敬じゃ、女童! 我を呼ぶなら、『さん』ではなく『さま』をつけぬか!!」
周囲は、先日に歩いたよりもひどく鬱蒼とした原生林だった。樹々の幹はひとまわり太く、根は天然の堀と城壁のごとく激しい凹凸を形作っている。
森をおおう霧はいっそう濃くなり、獣道と言えるほどの進路もなく、まるで原生林そのものが人の侵入を拒んでいるようだった。
一晩あけてディアナたち三人 (とカルタ) は、エルフの男衆たちの案内でこの次元世界<パラダイム>──アーケディアの中心である『聖地』を目指していた。
最後尾のメロをカルタが支え、弓や槍、手斧を持ったエルフたちが先頭に立ち、進路を阻む枝を打ち払いながら一行はふたたび歩く。
足を動かし続けること、しばし。オーバーオールの金髪少女はもちろん、黒髪のエルフ巫女も息を切らしはじめたころ、迷路のように入り組んだ森が、ぱっと開ける。
「わあ……っ。すごい!」
「楚々、揚々……!」
メロとミナズキがほぼ同時に、疲労も忘れて感嘆の声をあげる。そこには蓮の花が咲き乱れる煌びやかな沼沢が広がり、蝶やトンボが飛び交っていた。
心なしか花びらや虫の羽は、かすかな輝きを放っているように見える。黒髪のエルフ巫女は、地の下を流れる膨大な魔力──『霊脈』の存在を関知する。
頭上に視線を向ければ、陽光をさえぎる霧はここだけ薄くなっている。かすんだ空に昼でも白くはっきりと見える三日月は健在だが、監視されるような圧は感じない。
「力強く、美しい……すばらしい『聖地』ですわ、族長どの」
「お褒めいただき、光栄だが……千年まえには立派な神殿があったらしいし、先代までは守人たちの造った社<やしろ>があった。いまはなにもないのが、心苦しいよ」
クラウディアーナから賞賛の言葉を受けたエルフの族長は、頭をぽりぽりとかきながら苦笑いを返す。
「どうじゃ、女童ども! これが我の……アーケディアの中心じゃ!! 大したものであろう!?」
会話を交わす龍皇女のかたわらで、カルタヴィアーナは輝く沼沢地を背負いながら、メロとミナズキに胸を張ってみせる。
「……カルタ?」
ディアナがひとにらみすると、妹龍は拗ねたように顔をそらす。若き村長は、カルタヴィアーナにいぶかしげな視線を向けたあと、黒髪のエルフ巫女のほうを見る。
「ミナズキ、だっけか。あんた、それで、ここをどういう風に整備するつもりだ?」
「それは……」
黒髪のエルフ巫女は、言いよどむ。ミナズキは昨晩、符術を使えぬ自分になにができるか寝床のなかで考え続けたが、答えはまとまらぬまま眠りに落ちた。
「族長どの。いま少し、この地を検分してからですわ。 『聖地』の性質を見極めれば、ミナズキもおのずとなにを為すべきかわかるはず」
クラウディアーナが黒髪のエルフ巫女へ助け船を出しつつ、目配せする。エルフの族長は、思案するような表情を浮かべながらも、うなずきを返す。
「もっと近づいてみても、いいかしら?」
「もちろん。荒らしたりさえしなければ」
若き村長の許可を得たミナズキは、水域のふちまで歩みよる。その様子をすぐ横から、龍皇女がのぞきこむ。
黒髪のエルフ巫女は、白魚のような五本の指を清水のなかに沈める。まぶたを閉じ、あふれ出す霊力の性質を理解しようと、感覚を研ぎ澄ます。
「……これは」
「なにか見つけましたか、ミナズキ?」
眼を見開いた黒髪のエルフ巫女に、クラウディアーナが尋ねる。ミナズキの指先と霊感が、巨木の根のように地の底を走る霊力のなかで組木細工のごとく人為的ななにかを、おぼろげながら察知する。
「ここで誰かが……なんらかの魔法<マギア>の儀式を? それほど昔のものでは、ないかしら……」
「なんだと……! 誰じゃ、我に無断で『聖地』へ踏みこんだよそ者は!?」
自ら確認するようなミナズキのつぶやきを、耳ざとく聞き取ったカルタヴィアーナが怒鳴り声をあげる。
クラウディアーナは顔をあげて、エルフの族長のほうを見る。若いリーダーは、ばつが悪そうに視線をそらす。
「とりあえず、守人の一族の嬢ちゃんが大した腕前の魔術師であることはわかったよ……その通りだ。三十日ほどまえかな。あんたらと同じ、旅人を名乗る男を連れてきた。そいつの仕業だろう」
「族長どの。その旅人は、どのような風貌でしたか?」
龍皇女が、柔和ながら怜悧な声音で質問する。エルフの族長は、少しばかり思案する。
「……あんたらと同じで見たことのない服装をしていた。強いて言えば、金髪の嬢ちゃんに近い……あとは、龍の鉤爪みたいにとがったヒゲを生やしていたよ。気に入っていたのか、よく指でなでていたな……」
「貴様! 何故、そんな得体の知れぬ輩をここに連れてきたのじゃ……ぶあっ!?」
エルフの族長に詰め寄ろうとするカルタヴィアーナの首根っこを、クラウディアーナがつかんで制する。
「仕方ないだろ。集落がレッサードラゴンに襲われそうになったとき、助けられたんだ。礼をしたい、と言ったら、『聖地』に案内してもらえないか、と頼まれてさ……」
「命の恩人に請われてとあっては、正当なおこないですわ。族長どの」
ふうふう、と気性の荒い犬のように鼻息をもらす妹龍の動きを封じながら、クラウディアーナはエルフの族長に同意のうなずきを示す。
「皇女陛下、それにカルタさまも……御心配にはおよばないかと。術式の仔細まではわかりませんが、悪意のようなものは感じませんでした」
指先をぬぐいながら立ちあがったミナズキが、己の所見を報告する。カルタヴィアーナは、ぎろり、と黒髪のエルフ巫女のほうをひとにらみした。
→【方法】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?