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【第2部25章】陳情院議長暗殺計画 (5/8)【屋上】

【目次】

【追駆】

「くあ……ッ!」

 前方に大きく吹き飛ばされながら、シルヴィアはうめく。背後では、塔屋に撃ちこまれたミサイルが爆発し、放送局ビルの屋上、その四隅の一角を粉みじんに崩壊させた。塔屋から出るのが数秒でも遅れれば、自分も無数の肉片と化していただろう。

「グラトニア側の建物だろうに……お構いなしだな……ッ!?」

 うつ伏せに倒れこみつつ、狼耳の獣人娘は薄れかける己の意識を叱咤する。眼球を動かし、ウェポンラックを探す。あれが無くなれば、戦闘ヘリを墜とす手段も失われる。手持ちの小型火器では、装甲を貫けない。

「マスターなら……徒手空拳で、敵機を撃墜してみせるんだろうが……」

 個人携行用の小型武器庫は、屋上の真ん中に転がっていた。倒れ伏すシルヴィアから見て、およそ10メートル強の距離。さすがはドクター・ビッグバン謹製の保管ラックといったところか、まったく破損は見受けられない。

──ズガガガガッ!

 狼耳の獣人娘がウェポンラックへ震える手を伸ばそうとすると、それを阻むように上空から無数の飛礫が間断なく撃ちこまれる。軍用ヘリからの機銃掃射だ。

 シルヴィアは腕を使わず、全身のバネのみで跳ね起きる。迫り来る銃弾の雨から逃れるため、よろめきつつも走りはじめる。

 ウェポンラックに背を向ける形となるが、獣人娘自身がくず肉となってしまっては元も子もない。脚を動かしているうちに、身体のキレが戻ってくる。

 一部が崩落した放送局ビル屋上の面積を目一杯使って、シルヴィアは重機関銃の掃射から逃げまわる。ちらりと、頭上に位置どる鋼鉄の猛禽を一瞥する。鉄の礫をまき散らしながら、ゆっくりと高度をあげていく。

「こちらをしとめるよりも、逃亡を第一に考えているようだな……当然といえば、当然……だがッ!」

 狼耳の獣人娘は、90°進路を曲げて一直線にウェポンラックを目指す。軍用ヘリが、阻むように弾幕を張ろうとする。だが、高度の上昇につれて狙いの精度は甘くなり、無数の礫の密度も薄くなっている。

 シルヴィアは銃弾の雨を突っ切るように、屋上を疾駆する。通り抜けざまに、目的の小箱を全力で蹴りつける。内側からから、スティンガーミサイルの発射器が飛び出し、獣人娘は両腕を使ってキャッチする。

「マスターは、己の身ひとつで軍用ヘリに殴りかかったのだな……こちらも臆している場合じゃない。この程度の窮地をひとりでどうにかできないようでは、これから先、役に立てない……ッ!」

 格納のため折りたたまれていた携行対空ミサイルの発射器は、狼耳の獣人娘の手のうちで瞬く間に臨戦態勢へと組み立てられる。シルヴィアは急ターンの方向転換をくりかえし、上空からの機銃の照準を惑わす。

「機銃掃射の程度も、わかってきたのだな。周囲に、接近してくる航空機の影もなし。ほかに、妨害要素となりうるものは……」

 スティンガーミサイルの発射タイミングを計りながら走り続けるシルヴィアは、メインスタジオで対峙した陳情院議長の姿を思い浮かべる。

「……ターゲットの転移律<シフターズ・エフェクト>だな」

 不快な高周波音を思いだし、一瞬、狼耳の獣人娘は眉根を寄せる。蟲を思わせる薄羽を背中に現出させ、それを振るわせることで可聴域ぎりぎりの音を発する異能。

「だが……ただ、音を出すだけならば、大した驚異にもならない。放送スタジオでも、こちらにとっては嫌がらせ程度のものだったな……」

 あの男が征騎士であり、しかもグラトニアの政治機関のトップという重役を任せられている以上、それで終わる話だとは思えない。

「あの音自体は……なにか別の現象を引き起こすためのトリガーか?」

 上空から機銃の発射音を、すぐ真後ろからアスファルトの破砕音を聞きながら、足を止めずに走り続けるシルヴィアは、なおも思案する。自我を失い、戦闘ロボットのように殺到してきた放送スタッフたちの姿が思い浮かぶ。

「可聴域外の音波を発し、他者の精神を操る異能……?」

 狼耳の獣人娘は、ひとつの仮説に到達する。だとすれば、メインスタジオで遭遇した一連の事象に説明がつき、あの男が行政機関の長に就任している理由もわかる。

 もしかしたら、洗脳音波を電波に乗せることすら可能なのかもしれない。だとすれば、グラトニア国民の人身を掌握することは容易となり、反乱の恐れも限りなく低くなる。そのためのプロパガンダ放送。しかし、同時に別の疑問も生じる。

 転移律<シフターズ・エフェクト>の影響が、大きすぎる。同じく次元転移者<パラダイムシフター>である、ほかの征騎士たちとの関係に釣りあいがとれない。

 音を聞かせるだけで他者を操れるというのならば、そもそも専制君主である皇帝を傀儡化するだけで、影の支配者として君臨できる。自分が玉座につくことだってできる。

 だが、それは妙な話だ。シルヴィアが踏みこんだ放送局ビルは、それなりの警備が敷かれていたが、侵略帝国の最上位者に対する護りとしては、いささかお粗末だ。

 そもそも根本の問題として、シルヴィア自身はなぜ操られていないのか。他者の精神を掌握できるのならば、その場で侵入者を自害させれば済んでいたはずだ。

「……次元転移者<パラダイムシフター>までは、操ることができない?」

 狼耳の獣人娘は、己の仮説に付帯事項を追加する。だからこそ、メインスタジオで邂逅したさい、陳情院議長はシルヴィア本人に対して、嫌がらせ程度のことしかできなかった。

 そういえば、ドクター・ビッグバンから『導子抵抗』という概念を聞いたことがある。安定した現象や存在が、その状態を維持しようとする反応のことだ。

 技術<テック>にしろ、魔法<マギア>にしろ、ドラゴンや次元転移者<パラダイムシフター>のような高導子存在には影響を与えにくい理由だという。

 陳情院議長は、無数の一般人を操る能力に長けているが、次元転移者<パラダイムシフター>同士の対決には向いていない。だからこそ、後方支援に徹しており、狼耳の獣人娘からも逃げの一手しか打ってこない。

「だとすれば……これ以上、反撃をためらう理由はないのだなッ!」

 シルヴィアは上空からの機銃掃射の隙をついて、スティンガーミサイルの狙いをつける。目標は巨大で、弾頭には導子誘導装置もついている。外すほうが難しい。そう考えつつ、トリガーを引こうとする。

 そのとき、狼耳の獣人娘は予想外の光景に目を見開く。十数メートル上空を舞う軍用ヘリ側面のスライドドアが開かれ、強風にスーツをたなびかせながら、陳情院議長が身を乗り出している。その背には、半透明の肢翼が大きく開かれている。

「しま……ッ!!」

 なんらかの対応を思案するよりも先に、シルヴィアの平衡感覚が失われ、その場に倒れこむ。激しい吐き気とめまいを覚える。

 全身に、なにかを浴びせられる感覚があった。おそらく、背中の薄羽から収束した高周波を放ち、物理的に平衡感覚を揺さぶったのだろう。常人よりも鋭敏な獣人娘の五感も、マイナスに働いた。

「ま……ず、い……」

 シルヴィアは、対空ミサイルの発射器を取り落とし、その場にうずくまる。ぐるぐると視界が歪むなか、かろうじて顔をあげる。

 重厚な搭載機銃を黒光りさせながら、身動きのとれなくなった狼藉者に確実にとどめを刺そうと、ゆっくりと降下してくる鋼鉄の猛禽の姿が見えた。

【鉄鎖】

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