【第2部10章】戦乙女は、深淵を覗く (4/13)【童心】
【夜這】←
「エル姉さまー!」
正午の明るい日差しに照らされる天空城の廊下に、少女の幼い声が響く。とてとてと足音を立てながら、小さな戦乙女が駆けていく。
白い翼をと蒼い瞳を持ち、肩にかかった金色の髪を揺らしながら走り寄ってくる妹に対して、通路の先を歩くもう一人のヴァルキュリアが振りかえる。
「アンナ、どうかしたので。これから武術の稽古ではなかった?」
「どうもこうもないわ、エル姉さま! ここしばらく、自分と遊んでくれないのだから!!」
幼少の戦乙女は頬をふくらませて抗議の声をあげ、姉と呼ばれた側は少し困ったような表情を浮かべながら、足元に張りつく妹を見下ろす。
エル姉と呼ばれたヴァルキュリアは、妹と……いや、天空城に住まうほかの戦乙女とくらべても明らかに奇異な風貌をしていた。
ふつうはブロンドヘアであるヴァルキュリアたちとは異なり、その戦乙女は宵闇のような黒髪を二本の三つ編みにまとめてぶら下げている。
瞳の色も妹とは大きく異なる赤みかかった黒で、丸い眼鏡をかけている。背中から生える一対の翼はカラスを思わせる漆黒で、これもほかの同族とは大きく異なる。
「ねえねえ! エル姉さま、お願い……一緒に遊んで? お話しして? ずーっと、さびしかったんだから!」
アンナと呼ばれた妹は、姉が身にまとうスミレ色のドレスを端をつかんで離さない。両手を振るうように、背中の白翼が上下にぴょこぴょこ振れている。
数冊のぶ厚い魔導書をかかえた姉君は返答に迷い、あいかわらず困惑の微笑みを口元に浮かべている。
「……アンナリーヤ、姉を困らせてはいけません。エルヴィーナは、これから高等魔術の講義を受けに行かなければ」
対照的な出で立ちのヴァルキュリアの姉妹の背後から、もう一人の女性の声が聞こえてくる。幼いアンナリーヤは、反射的に振りかえる。
「オリヴィネーアお母さま……」
ヴァルキュリアの少女は、回廊を歩みよってくるもう一人の戦乙女の名をつぶやく。アンナリーヤが口にしたとおり、成人したヴァルキュリアだ。
戦乙女たちの母たる女王と思しきオリヴィネーアは、青いドレスを身にまとい、金色のウェーブヘアは蒼い瞳の片方を隠している。
妊娠しているのだろうか。母君の腹部は大きくふくらみ、その頂点をオリヴィネーアの手が愛おしげにさする。
「でも、お母さま。エル姉さまったら、ここのところずっと自分と遊んでくれないのだから……」
「アンナリーヤ、よいですか。再三言っていますが、エルヴィーナは我が娘たちのなかでも特別な魔法<マギア>の才に恵まれています。その宝を磨かねば」
「ぁぅ……」
アンナリーヤが伏し目がちでもじもじと主張した抗議に対して、女王はぴしゃりと理路整然に否定する。やんちゃな少女も、さすがに黙りこまざる得ない。
「ごめんなさいね。勉強しなくちゃならないことが、山のようにあるの……アンナにかまってあげられなくて、わたシも本当に申し訳なく思っているので」
ひざを曲げて妹と視線の高さをあわせ、姉君は蒼い瞳をのぞきこむ。アンナリーヤとエルヴィーナの姉妹の視線が、至近距離で絡みあう。
「アンナも知っていると思うけど、わたシはあまり身体が丈夫ではないので。あなタには、わたシのぶんも武術のほうをがんばってもらえないかしら?」
姉君の言葉を聞いて、曇っていた表情の妹の双眸が、ぱっ、と輝きだす。
「……うん、がんばる! エル姉さまが天空城で一番の魔術師になるなら、自分は戦乙女のなかでもっとも強い戦士になるんだから!!」
小さなヴァルキュリアは、姉君と母君に対して胸を精一杯張ってみせる。妹の様子を見つめるエルヴィーナとオリヴィネーアは安堵したような視線を交わす。
「本来、戦乙女の女王は、武術と魔術の双方に通じていなければ。それでも、エルとアンナが姉妹で支えあってくれるのなら安泰です」
母君は満足げにうなずきながら所感を述べ、姉君は魔導書を抱えながら立ちあがる。
「エルの魔術講義とアンナの武術稽古が終わったら、三人でお茶にしましょう。マロングラッセを用意しなければ……」
「はーいっ、お母さま!」
「ふふふ。がんばってね、アンナ?」
「エル姉さまもね!」
戦乙女の母と姉妹は、それぞれ背を向けてめいめいの持ち場へと歩いていく。その三人の様子を、柱の影から見つめている者がいた。
「ぬふっ。どうやら、上手く内的世界<インナーパラダイム>に潜行できたようだわ。あのお堅い王女どのも、小さいときはあんなに可愛らしかったのね」
あきらかに戦乙女の服飾とは異なる濃紫のゴシックロリータドレスを着こなした女──リーリスが、ほくそ笑む。
ここは、戦乙女の姫君であるアンナリーヤの深層心理の最奥である内的世界<インナーパラダイム>と呼ばれる空間だ。
『淫魔』のふたつ名を持つリーリスは、「肉の接触」という発動条件を満たして、精神干渉能力によりアンナリーヤの心の奥底まで潜りこんだ。
「……で、リーリス。俺まで一緒に潜りこむ必要があったのか?」
ゴシックロリータドレスの女のすぐ横には、黒い短髪の青年──アサイラの姿がある。リーリスは同行者のほうを仰ぎ見て、にやりと笑う。
「成り行きだわ。アサイラには、王女どのベッドルームまで護衛してもらえれば十分だったけど、あそこで放置プレイ、ってのもつらいでしょ?」
ゴシックロリータドレスの女の返答に、黒髪の青年は肩をすくめる。リーリスはすぐに前へと向き直り、記憶の世界における天空城の風景を凝視する。
「ま、一緒に見てもらうえば、情報共有の手間がはぶける意味はあるのだわ……さ、王女どのの人生にまるまるつきあうわけにもいかないし、スキップするわよ」
『淫魔』のふたつ名を持つ女は、右手を前方にかざす。陽光がさんさんと降りそそぐ天空城の廊下の景色が、ぐにゃり、と歪んだ。
→【隔絶】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?