【第2部25章】陳情院議長暗殺計画 (6/8)【鉄鎖】
【屋上】←
「あぅ……げほオ……ッ!」
シルヴィアは、全身をけいれんさせつつ嘔吐する。すえた胃酸の臭いに混じって、砕け散ったコンクリート粉末と、機銃の硝煙の臭いが鼻につく。
口元をぬぐうこともかなわぬまま、狼耳の獣人娘は前を見据える。視界が歪む。指先が震える。銃火器をかまえるどころか、にぎることすら、かなう状態ではない。
軍用ヘリが、目と鼻の先まで降りてくる。陽光が防弾ガラスに反射して、コックピットのなかの様子まではうかがえないが、いまごろパイロットは機銃の照準をあわせているところだろう。
「かは……こは……ッ!」
このままでは、相手のよいマトだ。シルヴィアは、どうにか立ちあがろうとする。けいれんする脚は、思うように動かない。身体が、言うことを聞かない。迎え撃つことも、逃げることもかなわない。
万事休すか。そう思ったとき、鋼鉄の猛禽以外の存在に、両目のピントが引き寄せられる。放送局ビルから見て、通りを挟んだ向こう側。そこにある建築物の屋上。
ライダースーツに身を包んだ赤毛の女──ナオミがいる。小脇に蒼碧のハルバードを支える彼女がまたがるのは、真鍮色のなまめかしい輝きを放つフルオリハルコンフレームの鉄馬。
「──喰らいなアァァ!!」
サムライの鬨の声を思わせるナオミの咆哮が、ビル街の上空に響きわたる。赤毛のバイクライダーは、愛馬のアクセルをフルスロットルでまわす。蒸気都市の独自技術<テック>で産まれたスチーム・エンジンが、高速回転を開始する。
赤毛のバイクライダーは、決して広いとは言えないビルの屋上で、鉄馬を急発進させる。転落止めのフェンスを突き破り、オリハルコン製の相棒とともにシルヴィアのもとへ向かって跳躍する。
ナオミの視点から、大通りに展開する帝国兵どもの騒然となる様子が小さく見える。鉄馬を自由に操る赤毛のバイクライダーだが、だからといって跳び越えられる距離ではない。そんなことは、乗り手である自分自身が一番よくわかっている。
「──だけど、あるだろ! ちょうどいい足場が!!」
風圧が、短くカットした赤い髪をなでる。重心移動で、ナオミは跳躍軌道を微調整する。いままさにシルヴィアを機銃でしとめようとする軍用ヘリが、眼下に見える。一瞬、キャノピー越しに困惑するパイロットの顔が、赤毛のバイクライダーの目に映る。
──ガドォンッ!!
重苦しい衝撃とともに、フルオリハルコンフレームの鉄馬がメインローターの中央を寸分違わず踏みつけにする。回転翼の挙動が乱れ、左右に激しく揺れる軍用ヘリをしり目に、再度、ナオミは相棒を跳躍させる。
「ナ、オ……ミ?」
「グッド、シルヴィ。よく頑張った。ここから先は、ウチがバトンタッチだろ」
ブレーキ音に重なるように、シルヴィアのうめき声が聞こえる。赤毛のバイクライダーはチームメイトのほうを見ずにバイクをターンさせると、鋼鉄の猛禽と相対する。
ナオミの踏みつけは、軍用ヘリに明確なダメージを与えた。しかし、グラトニア帝国軍の操縦手もさるもの。どうにかバランスを取りなおし、墜落はまぬがれる。
鋼鉄の猛禽は、戦場から逃れようと高度をあげようとする。しかし、不安定な回転翼の揚力では、上昇速度は遅い。赤毛のバイクライダーは好機と見て、相棒のスロットルをひねる。
ナオミの鉄馬が、ふたたびビル街の狭間を舞う。今度の狙いは、メインローターではない。着地するには、高すぎる。フルオリハルコンフレームの車体が、操縦席をおおうキャノピーへと突っこんでいく。
「──ぶギャ!?」
バイクの速度と質量が防弾ガラスを突き破り、飛翔する軍用ヘリのうえから鉄馬が落ちてくる非現実的光景を受け入れられないまま、パイロットは回転するタイヤに押しつぶされて、絶命する。
鉄馬にまたがったまま、敵機のなかに乗りこんだナオミは、後部座席を見やる。街頭モニターで見た顔の男が、泰然自若といった風格で、それでいて瞳に憤怒と驚愕の色を浮かべながら座っている。
「いよう、スカシ野郎。直接、顔を見れて光栄だ。よくも、ウチのシルヴィをいじめてくれたな? そろそろ年貢のおさめどきだろ」
「マナーのひとつも心得ていないだろう態度に言動、蛮女と呼ぶのがふさわしいだろう……まことに、遺憾きわまるッ!!」
陳情院議長は、高級スーツの懐からオートマティックピストルを引き抜くと、ナオミへ銃口を向ける。赤毛のバイクライダーは素早くハルバードの柄を振るい、相手の手元を払い、狙いをそらす。
「まったく……護衛部隊も、護衛部隊だろう……これのどこが御安心だ!?」
男は、苛立ちを隠せぬ様子で言い捨てる。コントロールを失った軍用ヘリの機体が、傾きはじめる。ナオミは槍斧の穂先をかまえる。帝国行政機関のトップは、とっさにスライドドアを開き、機体の外へと飛び出る。
「バッド……スカシ野郎め、自力でも飛べるのかッ!?」
陳情院議長は、背中から生やした肢翼を振るわせて、薄曇りの空へと舞いあがっていく。赤毛のバイクライダーは、刹那、戦闘ヘリを奪うことを考えたあと、舌打ちする。ナオミが乗りこんだとき、操縦桿まで一緒に破壊してしまった。
もはや棺桶と化した鋼鉄の猛禽のコックピットのなかで、赤毛のバイクライダーは強引に鉄馬の蒸気エンジンを噴かす。タイヤを高速回転させ、落下しゆく軍用ヘリのなかから男を追うようにジャンプする。
「蛮女め、墜落の恐怖に目測を誤ったか……勇気ある跳躍だと評価するが、わたしの高度まで届きはしないだろう! その長柄武器も、宝の持ち腐れというわけだ!!」
陳情院議長が吼えるとおり、ナオミの決死の跳躍はあと一歩のところで届かない。フルオリハルコンフレームのバイクは、重力に引かれて落下しはじめる。
勝利を確信したアウレリオ議長が、サディスティックに口元をゆがめる。対する赤毛のバイクライダーも、強気に、動じる様子もなく笑みを浮かびかえす。
「ところが、そうでもないんだ。スカシ野郎……まだまだ、ここからが本番だろ!」
ナオミは、鎖の巻きつけられた魔銀<ミスリル>製のハルバードを男に向けて、天高く掲げる。持ち手の部分には、銃器のようなトリガーが取り付けられている。
「シェシュのおかみからの貰い物を、ララが改造したい、って言いだしたときは、なんのつもりかと思ったが……なるほど、こういう使い方をしろってわけか。まったく、天才児の考えることは、凡人には及びもつかないだろ」
赤毛のバイクライダーの人差し指が、引き金を絞る。炸薬の爆発音が響くと同時に、蒼碧の輝きを放つ刃が、鎖を引きながら射出される。
「な、にイィィ──ッ!?」
薄羽を震わせながら飛翔する陳情院議長が、刮目する。飛び道具と化したハルバードの穂先が、鎖とともに男の太ももに巻きついた。
→【振子】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?