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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (22/24)【瘴気】

【目次】

【裂傷】

(──アサイラ、聞こえている!? エマージェンシー! 緊急事態だわッ!!)

 リーリスの声が、けたたましく脳裏に響き、アサイラは閉じかけたまぶたを開く。心身は完全にスリープモードに陥っていて、四肢の先から五臓六腑に至るまで気だるさに満ちている。

「どうした、リーリス……モーニングコールには、早すぎるんじゃないか? 少しは、ゆっくり休ませろ……」

(グリンッ! 寝ぼけている場合じゃないのだわ。早く対処しないと……ッ!!)

「こちとら連日の激務と修羅場で、意識を保つのも精一杯か……なにが、どうしたのか、せめて要点だけでもまとめて言ってくれ……」

『たったよたったた! それは、こちらから補足するということねッ!!』

 錯乱状態のリーリスとの会話に割ってはいるように、耳の導子通信機からララの声が聞こえてくる。

『現在、『塔』の基部があった場所を起点にして、グラトニアの地表に大規模な亀裂が発生、拡大しているの……このままだと、あと数時間足らずで次元世界<パラダイム>が崩壊するということね!』

 黒髪の青年の心臓が、どくんと脈打つ。脳細胞から興奮物質が分泌され、死力を尽くしたはずの精神と肉体が急速に覚醒していく。ことが済んだあとの反動は、ひどいものだろうな、とぼんやり思う。

 かすんでいた視界が、晴れていく。頭から落下しているアサイラは、首をあげて地表へと視線を向ける。薄雲のヴェールが邪魔して、大地の様子や亀裂とやらは見通せない。ただ、びりびりと空気が異常な振動を帯びていることだけは、わかる。

「それで……これから俺は、どうすればいいのか?」

(それは、わたくしに考えがございますわ。我が伴侶)

(ちょっと、龍皇女! 私とアサイラのホットラインに、割りこまないでほしいのだわ!?)

 黒髪の青年の脳裏に響く声が、ひとりぶん増える。軽い頭痛を覚えて、左右のこめかみに人差し指を当てる。

(緊急時ゆえ、些事を気にしている場合ではないですわ、『淫魔』……それよりも、我が伴侶。そなたの『龍剣』を、この次元世界<パラダイム>の中心、『聖地』に突き刺してくださいまし。その剣は、本来、そのために造られたのですから……)

(そうか……アサイラの『龍剣』は、もともと龍皇女の次元世界<パラダイム>の崩壊を止めるために造られたものだわ……可能性が、あるとすれば……ッ!)

 黒髪の青年は、右手に意識を向ける。5本の指は、意識を失ってもなお、蒼銀の輝きを放つ刀身の大剣を、しっかりと握りしめている。

「ララッ! グラトニアの中心はどこかッ!? それと、タイムリミットの算出も頼む……!!」

 アサイラは、導子通信機に向かって声を張りあげる。次元巡航艦の船長席に座っているはずの少女から、わずかな沈黙がかえってくる。

『たったよったたた……ちょっと待って、亀裂の発生している場所、導子センサーの値がめちゃくちゃで……マイナスの導子値ですらあり得ないなのに、なんで虚数値まで計測されるということね!?』

『なんとなればすなわち、落ち着きたまえ。ララ……逆に考えればいいかナ。異常値を示している地点が亀裂、正常値の場所が無事な土地だ』

 パニックを起こしかけた少女に、老科学者が冷静な助言を投げかける。通信機越しに聞こえる呼吸音から、ララが平静を取り戻したとわかる。

『そっか……そう考えれば、次元世界<パラダイム>の崩壊速度を算出できるということね。あとは……世界の中心、『聖地』の場所を調べないと! おじいちゃん、帝国のデータベースを検索して!! フロルくんは、監視衛星経由で地表のデータを……』

『……『遺跡』だよ』

 導子通信機から、いままで黙っていた少年の声が聞こえてくる。艦橋にいるメンバーの振り向く姿が、幻視できる。

『古代グラトニア王国時代に建造された『遺跡』のある場所、そこが『聖地』だよ。『塔』の基部として、組みこまれていたはず……』

『でも、『塔』の根本は、亀裂の発生源でもあるということね!? 光学カメラの観測では……ああ、だめ! 瘴気みたいなものが噴き出していて、見通せない!!』

 次元世界<パラダイム>が割れ砕けていく中心地となれば、真っ先に呑みこまれてしまった可能性が高い。アサイラは、歯噛みする。

(いえ……無事ですわ! わたくしの眼で確認いたしました、我が伴侶ッ!!)

(だから! このホットラインを使うなと言っているのだわ、『龍皇女』ッ!?)

 アサイラの頭のなかに直接、クラウディアーナの声とリーリスの文句が響く。この混沌とした状況のなかであっても、上位龍<エルダードラゴン>の視力が捉えたとなれば、信用に値する情報だ。

「ララ。タイムリミットのほうは、どうか?」

『えーと……亀裂の拡大速度とグラトニアの構成導子量から算出して……そのまえに、アサイラお兄ちゃんの放出導子量を考慮するとなると……』

「……早ければ、早いほどいい、で間違いないか」

 黒髪の青年は、己と一緒に自由落下しているがれきたちを、天地逆転した状態で蹴り渡り、地表に向かうスピードを加速する。

 薄雲のヴェールを突き抜け、アサイラでも地表の様子を目視できるようになる。黒髪の青年は、眼前の光景を疑う。もはや、亀裂と言うレベルではない。視界の範囲の大地が崩れ落ち、闇が満ちている。

 それでも、クラウディアーナの言葉は、事実だ。漆黒の海原に浮かび、瘴気の大波に翻弄される孤島のように、『遺跡』の建つ土地は頼りなさげながらも健在だ。

 崩落した地表の闇のなかに、いくつかの巨大な影がうごめいているのが見える。無数の異形の眼球が、何色とも形容しがたい奇怪な光を明滅させている。

 アサイラは不思議な既視感を覚え、いま現在に意識を集中させるために、ぶんぶんと首を左右に振る。両目の焦点を、未だ小さく見える『遺跡』の中心へ定める。

『崩壊速度、上昇! タイムリミットを計算しなおさないと……』

(思ったより、瘴気も濃くなっています……わたくしたちは上空へ待避ですわ、『淫魔』ッ!)

(どさくさにまぎれて、あたりまえに念話しているんじゃないのだわ! 『龍皇女』!? ああ、もう……あとで、グッチャグチャに暗号化してやるんだからッ!!)

 脳裏に、仲間たちの喧噪が反響する。黒髪の青年は、眼を細める。これは、次元世界<パラダイム>が負った傷だ。それも、深い。手当てをするなら、早ければ早いほどいい。

 目指すべき『遺跡』は、まだ遠い。翼を持たず、魔法<マギア>の心得もないアサイラでは、これ以上、降下速度を増すことはできない。黒髪の青年は身をひねり、『龍剣』を握る右腕を振りかぶる。

「ウラアアァァァ──ッ!!」

 自分に残された導子力を刀身へ注ぎこみ、黒髪の青年は『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』を力のかぎり投擲する。身の丈ちかくある刃は、蒼銀の輝きを放ちながら一直線に飛翔し、『遺跡』の中心点を違わずに捉えた。

【縫合】

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