【第2部26章】ある導子学者たちの対話 (6/16)【群脳】
【均質】←
「ふむふむ……なんとなればすなわち、これは……」
区画制御室の内部に照明はついておらず、無数の機材ランプと突き当たりの液晶モニターの輝きが、わずかな灯火となっている。
かなり手狭に感じるのは、壁面に沿ってぎっしりと詰めこまれた大型の導子コンピュータ群のせいだ。巨体の『暫定解答<ハイポセシス>』は入れそうにない。
ドクター・ビッグバンは、随伴の有機物塊を、入り口をふさぐように待機させる
「なにより目を引く、これは……先鋭芸術的オブジェクト、というわけではなさそうかナ」
部屋の中央には、蛍光色の液体が満たされた円柱状のシリンダーが設置されており、内部には人間の脳髄らしきものが浮かんでいる。
「なんとなればすなわち、どのような機能を担っているのかナ……と尋ねても、モーリッツくんは教えてくれないだろうかナ」
『……無論だろう! ぼくと貴方は、いま、殺しあいをしているんだぞ!?』
「止むを得まいかナ。キミの作品を傷つけるのは、いささか心苦しいが……このワタシも目的を優先させてもらおう」
白衣の老科学者は脳髄の浮かぶ円筒の横をすり抜け、その奥に設置されたキーボードのまえに立つ。あらかじめ用意していたメモリーカードをポケットから取り出すと、コンソールわきのスロットに挿入する。
『塔』の一区画のパラメータを表示していた液晶モニターに、一瞬ノイズが走ると、一般人はおろか生半可な専門家でも理解不能な文字列が濁流のように表示される。メモリーカードから制御システムへと電脳ウイルスが潜りこんだ。
「なんとなればすなわち、このまま制御権限を奪取し、あわよくば中枢のコントロールシステムへも侵入させてもらおうかナ……モーリッツくんの妨害がなければ、だが」
ドクター・ビッグバンの脳裏に、カビのごとくネットワークを侵食していく状況がリアルタイムにフィードバックされる。いまのところ、ありふれた防壁プログラム程度しか障害はない。
「うむ……どういうことかナ?」
白衣の老科学者は、いぶかしむ。グラトニア帝国の拠点だというのに、抵抗が無さすぎる。ドクター・ビッグバンが事前に用意した電脳プログラムは、あっという間に現在地点を含む区画の制御権限を完全に掌握し……そこで、侵食が止まる。
左右の精密義眼を刮目する老科学者は、慌ててキーボードを叩く。中枢の制圧を目指すどころか、隣接ブロックへの侵入すらかなわない。強固な電脳防壁が展開されているのとも、また違う。
「なんとなればすなわち、ノードを確立できないのは……そもそも、ネットワークが形成されていないということかナ!?」
『……その通りだ、『ドクター』。セフィロト社時代から、ぼくが、まったく進歩していないとでも思っていたのだろう。だが、『塔』はセフィロト本社のコンセプトを、さらに押し進める形で建造してある』
必死の形相でモニターをにらみ、キーボードにコマンドを打ちこむ白衣の老科学者を見下すような声が、スピーカーから聞こえてくる。
『この『塔』を構成する32767のブロックは、電脳ネットワークを形成していない。それぞれが完全に独立し、相互の監視と予測を適切におこなうことで運営される……』
「なんとなればすなわち、群知能型モデルというわけかナ。なるほど、そもそも回路がつながっていなければ、導子ハッキングを仕掛けようがない。シンプルかつ完璧なセキュリティだ」
ドクター・ビッグバンは軽くため息をつくと、背後を仰ぎ見る。薬液で満たされたシリンダーのなかに浮かぶ脳髄を、目を細めて見つめる。
「それでは、この風変わりな設備はなにかナ? 革新的な群知能型システムの運用上に、必要であったと?」
『……そこまで教える義理はないだろう、『ドクター』。貴方の自慢の知性で、考えてみたらどうだ?』
「ふうむ……なんとなればすなわち……」
白衣の老科学者はコンソールから離れると、ガラスの円筒に近づき、内部に浮かぶ脳髄をまじまじと見つめる。
「可能性としてあり得るのは、自己判断するための一種の生体コンピュータ……優秀な脳細胞、たとえばモーリッツくんのもののクローン……いや、違うかナ……」
あごの下に親指と人差し指を押し当て、ぶつぶつとつぶやきながら、ドクター・ビッグバンは推理する。
まず、適当に集めてきた32767人の脳を生体システムとして組みこむというのはナンセンスだ。人道的な問題を抜きにしても相当な手間だし、個々の能力差が連動するさいのネックとなる。
では、クローンならばどうか。確かに同一存在のコピーなのだから、能力のばらつきという問題はクリアできる。だからといって、それで済む話でもない。
いくら優秀な頭脳であっても、クローンの精神は空白であり、知識と経験を引き継ぐことはできない。相応の再教育が必要となる。
『塔』を構成する3万強のブロックそれぞれに同様の機能を身につけさせるとならば、それだけで莫大な工程を要求されることになる。それは、わずか半年でこの超巨大構築物を建造したという事実と矛盾する。
「だが、もし、その過程をスキップすることが可能であるならば……なんとなればすなわち、それこそが、キミの転移率<シフターズ・エフェクト>ということかナ。モーリッツくん?」
館内放送越しの声は聞こえてこない。代わりに、息をのむ音がわずかに響く。ドクター・ビッグバンは、にやり、と笑う。
「なんとなればすなわち、目のまえにサンプルがあるのだ。直接、確証を得させてもらおうかナ」
『……させるわけがないだろう! 朽ちろ、『脳髄残影<リ・ブレイン>』ッ!!』
脳髄シリンダーと導子コンピュータを直結するケーブルに、白衣の老科学者が指を触れようとしたのと同時に、スピーカーから絶叫が響く。呼応するように、薬液のなかに浮かんでいた脳細胞が、ばらばらに分解していく。
「図星だった……と解釈させてもらおうかナ、モーリッツくん?」
『いつまでも、ぼくのことをバカにできるとは思わないでもらおう。『ドクター』……あらためて、こちらから攻めさせてもらう!』
館内放送からの通告と同時に、ドクター・ビッグバンがコントロールを掌握したシステムがアラートを鳴らす。
白衣の老科学者が振り返ると、モニターには監視カメラの捉えた通路を走る3つの人影が映し出されている。
1人の女と2人の男、その背にはグラトニアの国章が刺繍された真紅のマントがひるがえる。帝国に君臨する最高幹部にして最精鋭である征騎士たちの姿だった。
→【変造】
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