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【第2部28章】竜、そして龍 (6/8)【屈折】

【目次】

【経験】

「シュー、シュー、シュー……よりによって、あてになりそうな経験がこれか。気に喰わんぞ……」

 ぎりぎりと歯ぎしりの音を立てながら、さらにヴラガーンは記憶の底をさらう。千年まえ、多くのドラゴンを膂力で圧倒した暴虐龍は、その勢いに乗って龍皇女クラウディアーナのもとへと迫った。

 しかし、白銀の鱗と6枚の龍翼を持った上位龍<エルダードラゴン>は、単純な身体<フィジカ>能力で蹂躙できる相手ではなかった。ヴラガーンの脳裏の奥に、いまだ苦々しい経験として刻まれている。

 力比べでは、決して引けを取らなかっただろう……いまでも、そう思っている。だが、魔法<マギア>を得意とする龍皇女は、光をねじ曲げて無数の虚像を作り、暴虐龍に指1本たりとも触れることを許さなかった。

「なるほど……先刻の感覚は、あのときと似ているぞ……」

 降り積もった雪は陽を反射し、透き通った氷をくぐれば光も曲がる。頭上から見下ろすプテラノドンは、無数の氷を操り、千年まえのクラウディアーナと似たことをしているのだろう。

「幻術のように、精神そのものを掌握されているのでなければ……視覚以外は、まだ使える。あてになる。戦いようも、あろうものぞ。なにより……」

 ヴラガーンの喉から、おどろおどろしい含み笑いがこぼれる。

「翼竜モドキが同じ戦い方をしていた、と龍皇女に伝えれば、さぞ悔しがろうぞ……!」

 暴虐龍の周囲を包囲するように、ふたたびプテラノドンの幻影が現れ、あざけりの声をあげはじめる。敵の虚像を無視して、ヴラガーンは上空を見あげる。

 有翼恐竜は、余裕しゃくしゃくといった風情で、かすむ太陽のしたを旋回している。ただし、いま瞳に映っているものが、敵の真像とはかぎらない。地吹雪が舞いはじめ、ますます視界は悪くなる。

「もとより、目はあてにならんぞ……では、どうするか……」

 ヴラガーンは、自分自身に問いかける。当然、視覚は使えない。では、聴覚はどうか? 幻影であるはずの周囲のプテラノドンたちから、くぐもったうめき声が聞こえる。

「氷の板でも使って、光のみならず音も反響させているか? あり得る話ぞ……」

 次に、暴虐龍は鼻をひくつかせる。幻影うんぬん以前に、かじかむ空気から臭いをかぎとることは難しい。ヴラガーンは、白い息を大きく吐き出す。

「……となれば、頼りになるのは己の肌感覚のみ」

 かすかながら戦いの道しるべを見つけた人間態のドラゴンは、その場に足裏が凍りつかぬよう左右にステップを踏みはじめる。

 当座の驚異となりうるのは、空から落とされる氷塊のたぐいのみだ。ヴラガーンは頭上へ意識を絞る。役に立たない目と耳から得られる情報は、無視する。

 暴虐龍の岩のような肌と筋肉を貫くためには、相応の質量が必要となる。それほどの氷塊となれば、触れずとも空気の振動や風圧が発生するはずだ。

「──ドウッ!」

 ぴり、とわずかに肌がしびれるような感覚を覚え、ヴラガーンは龍尾を振りまわす。寸分違わず人間態のドラゴンの頭頂を狙ってきた氷の銛が、弾き飛ばされ、砕け散る。

 さらに暴虐龍は、前方に待ちかまえるプテラノドンに向かって、大きく跳躍する。やはり、虚像だ。迎撃の様子はなく、手応えすらなく、触れた瞬間に雲散霧消する。ヴラガーンがもといた地点に、追加で3本のつららが落下し、白銀の大地に突き刺さる。

「降りてくる様子はないな、翼竜モドキ……よかろう。臆病風に吹かれた、というならば仕方がない。我慢比べにつきあってやるぞ」

 暴虐龍は、上空の有翼怪獣を挑発するように言い捨てると、霜を踏みしめながら走り出す。一定の間隔をおいて円錐型の氷柱が投下されるが、皮ふ感覚を頼りに回避し、あるいは長大な尾で迎撃する。

 予測は、おおむね正しい。人間態のドラゴンは、足を動かし続けながら、拳をにぎりしめる。攻撃の手段と方向がわかっているならば、防御する側のヴラガーンの負担は、さほどでもない。

 逆に、暴虐龍にダメージを与えるほどの大きさを持った氷塊を作り出すのは、プテラノドンにとっても相応の負荷を強いているはずだ。投下攻撃に一定の間が空いている……たたみこむような連射をできていないのが、なによりの証拠だ。

 となれば、暴虐龍自身が口にしたとおり、ここから先は持久戦となる。あるいは、どちらかがしびれを切らして、自ら突っこんでいくかだ。

 自身が体温を失うか、相手のスタミナ切れか、どちらが早いかの勝負……そう思ったとき、ヴラガーンのもろ肌が、いままでとは違う気流を察知する。

「ぬ……?」

 有翼恐竜が、上空から急降下してくる。プテラノドンは地面すれすれで滑空軌道に切り替えると、虚像の群れと一緒に暴虐龍へ向かって突っこんでくる。

 予想よりも早く、状況が動いたか。ヴラガーンは足を止めて、相手を待ち受ける。口元には、捕食者の笑みが浮かぶ。高所に陣取られては、正直、決め手に欠ける。向こうから接近してくれるなら話は早い。

 人間態のドラゴンはまぶたを閉じて、風音と咆哮を無視し、触覚のみを研ぎ澄ます。凍りついた大地のうえを、冷たい気流が走り抜ける。

(まだぞ……待て……!)

 ヴラガーンは、はやる心をなだめ、不動の体勢を保つ。千載一遇の機会だ。ここで確実にしとめ、とっととあの少年……フロルを追いかける。

(……来たぞッ!)

 暴虐龍の時間感覚が、どろりと泥のように遅くなる。わき腹に、なにか切っ先のようなものが触れた感触がある。両目をふさいだまま、人間態のドラゴンの丸太のような両腕が動く。

「ヌうん……ッ!!」

 ヴラガーンは、冷たい刃のごとき手触りを感じとる。人間態のドラゴンは、左腕を引いて敵の攻撃器官を脇に挟みこんで固定すると、右腕をまっすぐ伸ばす。これが有翼恐竜の鉤爪ならば、さらに先には相手の胴体があるはずだ。

 だが、流血をいとわぬ暴虐龍の予想に反して、右手は宙を切る。いぶかしみつつ、ヴラガーンは薄く目を開く。すぐに、双眸がむき出しになる。

「……爪ヲ、掴メバ、我ヲ、捕ラエラレル、ト思ッタカ?」

 無感情な、それでいて見下すようなプテラノドンの声が聞こえる。ダイヤモンドダストにかすむ、有翼恐竜の胴体が見える。思ったよりも、わずかに遠い。

「く……グッ!?」

 人間態のドラゴンは、右手を伸ばす。届かない。相手の爪が、大きく伸びている。氷だ。プテラノドンは、氷の刃を作り出し、己の爪を大きく延長させていた。

 有翼恐竜は、その場で縦回転する。暴虐龍が捨て身で捕らえた氷製の鋭利な爪は、ぽきりと根本から折れる。プテラノドンは拘束から逃れ、ヴラガーンはバランスを崩す。

 プテラノドンは、翼をひと羽ばたきすると、加速する。滑空姿勢ですれ違いざま、うしろ足で暴虐龍の後頭部を蹴りつけると、そのまま上空へと逃れていく。人間態のドラゴンは、苦々しくうめき、白銀の大地のうえにひざをついた。

【龍血】

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