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【第2部10章】戦乙女は、深淵を覗く (12/13)【現実】

【目次】

【反吐】

「んん……っ」

 耳元をくすぐるような無防備な女性の寝息で、アサイラは目を覚ます。戦乙女の姫君の寝台のうえだ。

 右にはリーリス、左にはアンナリーヤの姿がある。一人の男と二人の女は、それぞれ半裸で川の字になって横たわっていた。

 アサイラは上半身を起こし、周囲の様子を確認する。広く、天井が高く、薄暗い部屋。つい先ほどまで閉じこめられていた融肉と触手におおわれた異形の空間ではない。

「戻ってこられたか……」

「どうやら、そのようだわ」

 アサイラの独り言に、右側の女が返事をする。黒髪の青年と黒下着の女は、たがいのあられもない姿に苦笑いする。

 かちゃかちゃ、と小さな金属音を立てて、アサイラはジーンズのベルトをしめる。

 リーリスはショーツをはきなおすと、無造作に床へ脱ぎ捨てたゴシックロリータドレスを拾おうとベッドから降りる。

「むにゃ、ん……ふえっ!?」

 まどろみながらも覚醒した部屋の主……アンナリーヤは、同衾していた男の姿に目を丸くすると、敷布をつかんで己の裸体を隠す。シーツには、処女血の赤い染みが残っている。

「あー、すまない……なんと言ったらいいものか……」

 黒髪の青年は、ばつが悪そうに頭のうしろをかきながら、ゴシックロリータドレスのブラウスのボタンをしめ、スカートに脚を遠そうとしていたリーリスのほうに視線を向ける。

 助け船を求めるアサイラに対して、『淫魔』のふたつの名を持つ女は肩をすくめてみせる。

「ごめんなさいだわ、女王どの……あんなトラブルさえなかったら、私たちが潜った痕跡は残さず消しておくつもりだったのだけど……」

「それはそれで、たちが悪いんじゃないか?」

「グリン! そこに関しては、夜這いをしかけた時点で手遅れだわ!!」

「うぅ、んぐ……っ。わああぁぁぁ──んっ!!」

 いつもの言い争いを始めそうになったアサイラとリーリスを後目に、アンナリーヤは大声で泣き出して、アサイラに抱きつく。

「お、おい……アンナリーヤどの……!?」

「……グリン。優しく抱きしめてあげるのだわ、アサイラ。やましい感情は抜きで、ね?」

「あんな修羅場を見たあとで、そんな気分になれるものか」

 黒髪の青年はリーリスに対して悪態を返しつつも、しばし戦乙女の姫君に胸を貸し、やりたいままに任せる。

 ゴシックロリータドレスの女はフリルスカートのホックをとめると、ベッドのうえ、アンナリーヤの真横に腰をおろす。しなやかな指が姫君の金色の髪を、優しくなでる。

「よしよし、本当につらかったのだわ……ねえ。もし王女どのさえ、いいのなら……あの記憶を消去するなり、封印するなりできるんだけど、どうする?」

 アンナリーヤが少しばかり落ちつき始めた頃合いを見計らって、リーリスは提案する。戦乙女の姫君は、アサイラの胸から少しばかり顔をあげ、左右に首を振る。

「せっかくの申し出だが……それは必要ない。これは……他ならぬ自分自身が、乗り越えなければならない過去だからだ……」

 手の甲で眼窩にたまった涙をぬぐうと、アンナリーヤはふたたびアサイラの胸に顔をうずめる。多少の落ちつきは取り戻したが、いまだ小さな嗚咽をこぼし続けている。

「すまない。もう少しだけ、こうさせてくれ……いままで誰一人とも、この記憶を共有することはできなかったから……」

「王女どの、あなた……あの事件のこと、ほかの戦乙女には言わなかったのだわ?」

「自分で背負うには、あまりにも重すぎる出来事だったからだ……表向きには、エルヴィーナが乱心し、母たる女王を連れ去ったことになっている……」

 アンナリーヤはアサイラの胸板に額を押しつけたままの姿勢で呼吸を整え、ぽつり、ぽつりと抱えていた事情を話しはじめる。

「自分が姉妹たちに伝えたぶんだけでも、大問題だ……母たる女王は『印』の継承もなされぬまま行方知らず。このままでは新しい娘は産まれてこず、ドヴェルグ族に弱みをつけこまれて、戦の火種になる可能性だってあるからだ……」

「……それが禁呪によって引き起こされた、とあっては余計に、なのだわ……かさねがさねだけど、ごめんなさい。つらかったわね、女王どの」

 リーリスは同情するように、小さくため息をつく。アサイラに抱きすくめられながら、アンナリーヤは小さくうなずく。

(それで、謁見がなかったのか……)

 天空状へ来訪してから感じていた違和感に、黒髪の青年はようやく合点がいく。姫がいれば女王もいるのが道理だが、おくびにも話題にのぼらなかった理由を知る。

「もうひとつ、質問していいか? アンナリーヤどの……」

 アサイラの問いに、戦乙女の姫君は首肯する。

「あの再生した記憶のあと……どうなったのか」

「正直、はっきりと覚えてはいないから……たぶん、お母さまが最後の力を振りしぼって、自分のことだけ脱出させてくれたのだと思う……」

「なるほど、それで……私も、少しわかったのだわ。王女どの、『姫』であることを差し引いても、他の戦乙女たちと感じが違ったから」

 アンナリーヤの金色の髪を撫ですきながら、リーリスは静かな声音でつぶやく。

「……あなた、次元転移者<パラダイムシフター>だわ。エルヴィーナだっけ、あいつが言ったとおり、あの空間はあきらかに別次元世界<パラダイム>だったから」

「次元転移者<パラダイムシフター>……年長の姉妹のなかには、その知識を持つ者もいた……そうか、だからだ……」

 アンナリーヤは、アサイラの胸から顔をあげる。戦乙女の姫君は、部屋の壁のほうに視線を向ける。

「我が一族に伝わる家宝……純魔銀<ミスリル>製の大盾に秘められていた力を、自分が引き出せるようになったのは……」

 目を細めるアンナリーヤに応えるがごとく、壁に立てかけられた大盾は天窓から差しこむ月光を反射して、蒼碧の輝きを放った。

【寂寥】

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