191027パラダイムシフターnote用ヘッダ第08章04節

【第8章】獣・女鍛冶・鉄火 (4/12)【救難】

【目次】

【不穏】

「……マノだけでも、逃げるんだよ」

 リスの尾の獣人は、かたわらの少年に語りかけながら、立ちあがる。猿耳の子の目には、彼女の両脚が小刻みに震えているのが見て取れる。

「リシェ、無茶もな!」

「リンカさまに伝えるんだよ、マノ!」

 リシェは、マノに背を向けて、懐から鋭利な刃の小刀を抜く。迫り来る異様な獣人に対して、切っ先を向ける。

「むおー! マノには、指一本ふれさせないんだよッ!!」

 リスの尾の女は採集民であり、戦いはおろか、狩猟の経験すらない。刃物を握る両手は、遠目に見てもわかるほどに震えている。

 瞳の濁った野牛の獣人が、笑ったような気がした。二人が産まれて初めて見る、嗜虐的な含笑だった。

「──ヴラオオッ!」

 頑丈そうな頭を前面に倒し、長大な二本の角を突き出しながら、土気色の肌の大男は突進をしかける。

「きゃあ……ッ!?」

 野牛の獣人の頭突きが、リシェに直撃し、はね飛ばされる。

 不幸中の幸いか、リシェの身体に野牛の角が突き刺さることはなかったが、唯一の武器である小刀が手を放れて、宙を舞い、草のなかに呑みこまれる。

「リシェ──ッ!!」

 猿耳の少年が、倒れ伏す獣人の名前を叫ぶ。立ち上がり、割って入ろうとするが、腰が抜けてしまい動けない。

「マノ……逃げるんだって……」

 野牛の獣人が、大きな右手でリスの尾の娘の首をつかみ、空中に吊りあげる。犠牲者の獣人は、猿耳の少年に苦しげな眼差しを向ける。

 みしみし、と自分の首があげるきしみ音を、リシェは聞く、野牛の獣人には力自慢が多いことは知っていたが、思った以上だ。

 それよりも、病的に唾液を垂らす大男が、自分たちに暴力を振るうことが信じられない。野牛の部族は、自衛以外の戦いを好まないはずなのに。

「う、うぅ……ッ」

 リスの尾の獣人は、苦しげにうめく。呼吸ができなくて、意識が遠くなる。リシェは、死を覚悟する。そのとき──

──ドジュウッ。

 なにかが焼けるような音が、草原に響く。リシェの身体が、突然に解放されて、宙に放り出される。そのまま落下して、草原のうえに尻餅をつく。

 野牛の獣人は、戸惑うように自分の右腕をかかげて、見る。手首から先が、無い。視線を足下に降ろすと、つながっていたはずのものが地面に転がっている。

 斬り落とされた断面は黒焦げに焼かれ、ぶつぶつ、と音を立てて煙をあげている。肉は熱で固まり、斬り口から血はこぼれない

 狼藉者から少し離れた場所にいた猿耳の少年は、何事が起こったか、もう少しだけ詳細に見ることができた。

 赤く燃える炎が、細い帯のような形となって、自分の背後から伸びてきた。焔の筋は、リスの尾の女と野牛の大男のあいだに割って入って、男の手首を焼き斬った。

 マノは、とっさに自分の背後を振り返る。

「マノ! 無事なのよなッ!?」

「女神さま!!」

 猿耳の少年が、声をあげる。火と鉄の女神が、息を荒げながら、自分たちのほうへと駆けてくる。彼女の手には、見慣れぬ刀が握られている。

「さもありなん──ッ!」

「ヴオオッ!?」

 女鍛冶は、手にした刀を振るう。白熱した刃から赤焔がほとばしり、野牛の獣人の顔にまとわりつき、視界をくらます。

「リシェ! だいじょうぶ!?」

「うぅ。ごめんだよ、リンカさま……」

「アンタが悪いわけじゃないのよな、リシェ」

 リンカは、リスの獣人の肩を支えて、抱き起こす。炎の目くらましにもがく獣人に向けて、右手に握る刀を油断なく構えなおす。

「リシェ。マノを連れて、逃げるのよな。アタシの洞窟か……体力が保つようなら、アンタの村がいい」

「リンカさまは、どうするんだよ!?」

「アタシは、アンタたちよりも戦い慣れているのよな……」

 女鍛冶は、口元にひきつった笑みを浮かべる。リスの尾の娘は、それ以上、言葉を重ねない。リンカの言うとおり、猿耳の少年に肩を貸し、その場を離れ始める。

 二人の友の背中を横目で見ると、リンカは左手に保っていた刀の鞘を草原のうえに放り投げる。

 野牛の獣人が、顔にまとわりつく炎を振り払い、視界を取り戻しつつある。女鍛冶は、両手で刀の柄を握る。

「……うッ!?」

 あらためて狼藉者の姿を見て、女鍛冶は怖気を覚える。対峙する巨躯の獣人は、右手を斬り落とされながら、苦痛に悶える様子はない。

 それどころか、大男は身を屈めて、地面に転がる自分の右手をつかみ、自分の身体の一部をむさぼり喰いはじめる。

「なにが起こっているのよな、これは……」

 リンカは、額から冷や汗を垂らしながら、つぶやく。そもそも、野牛の獣人は草食だ。肉を食べる習慣はない。

 なによりも、大男の土気色の肌からは、生命の熱──『気』を感じ取ることができない。まるで、死体が起きあがって、動いているような異様さだ。

「……ヴオッ」

 女鍛冶の戸惑いにかまう様子もなく、野牛の獣人は自分の肉を喰らい終えると、小骨を吐き捨て、げっぷを吐き出す。

 だらだらと唾液を垂らし続ける巨躯の男が立ちあがると、三日月のような一対の角のした、濁った瞳が、リンカを見据えてきた。

【躊躇】

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