【第3章】魔法少女は、霞に踊る (5/10)【厳戒】
【歯車】←
深夜、公立美術館の特設展示会場。公開時間はとうに終了し、照明の落ちた闇の空間を、警備員の懐中灯がときおり照らす。
「おっとっと……」
小さくつぶやきながら、巡回者の死角を、可憐な花弁のようなピンク色のコスチュームに身を包んだ『魔法少女』が、両手にリングをにぎり、機敏に駆け抜けていく。
美術館の外周部では、市警隊が凶悪テロリストを包囲したかのごとく、厳戒態勢を敷き、ネズミ一匹通さぬ、と息まいている。
一方の『魔法少女』──メロは、下水道を経由して、市警隊と接触することなく、まんまと美術館内部に侵入した。
「……館内は、意外と大したことない警備なのね。外の市警隊に任せて、油断しているのかしら?」
メロは、小声で感想をこぼす。犯行予告を流しているにも関わらず、警戒の度合いに関しては、数日前におこなった『下見』のときと大差ない。
順調ではある。しかし、こういうときこそ、もっとも用心すべきだ……と口を酸っぱくして言うシスター・マイラの顔が、脳裏に浮かぶ。
「実際のところ、ここから先が『本番』なのね……」
油断していたつもりはないが、メロは、あらためて己の気を引き締め直す。
眼前のショーケースには、人間の頭部ほどのサイズがある巨大なサファイアが納められている。
メロは手にしたふたつのリングのうち、片方をかかげる。すると、フラフープほどの大きさだった輪は、見る間に大皿ほどの直径にまで収縮する。
ちょうど人の頭がくぐれる程度になったリングを、メロは、ショーケースの側面に張り付ける。
「えへへ……予告の品、頂戴します」
シルクの手袋に包まれた魔法少女の右手が、輪のなかに突っこまれる。すると、あいだに何も存在しないかのように、少女の指がサファイアの塊に触れる。
巨大な宝石をつかみ、腕を引き抜くと、何事もなかったかのように、巨大なサファイアはショーケースの外……メロの手の内に握られている。
幾何学模様にカットされた蒼玉は、暗闇のなかでも妖しい輝きを放っている。
「あわわ……見とれている場合じゃない、っと。長居は無用なのね」
魔法少女は、片割れのリングの内側に盗み出したサファイアを放りこむ。輪の内円が、波紋のようにゆがんだかと思うと、巨大な宝石は消失する。
「よし、この調子なのね……時は金なり、だっけ?」
メロは、一組のリングをふたたび手にすると、素早くショーケースを回っていく。
ルビー、エメラルド、アメジスト……目もくらむような宝石群を、同様の手法で次々と回収していく。あらかた盗み尽くしたところで、メロは足を止める。
「……おっとっと!?」
特設展示場の入り口から近づく灯りに気がつき、魔法少女は、慌てて物陰に身を隠す。懐中灯の光が、闇の中を走り、ショーケースをかすめる。
「んん……?」
一度は陳列箱を通り過ぎた光が、ふたたび戻ってくる。今度は、念入りに内部を照らす。メロは、息を呑む。あるべきはずのものが、そこに無い。
「宝石が……無くなっているぞォーッ!?」
警備員は、怒声をあげると同時に、非常ベルを鳴らす。照明が点灯し、少し遅れて、ほかの警備員たちと思しき足音が近づいてくる。
「あわわ……逃げなきゃ!」
魔法少女は、物陰に身を屈めたまま、奥の廊下に向かって走り出す。だが、結果的に増援として集まってきた警備員と鉢合わせする格好になる。
「いたぞ! 魔法少女だ!!」
警備員の一人が、素早く、腰のホルスターから蒸気銃を引き抜いたか思うと、躊躇することなく引き金を引く。
蒸気の噴出音とともに、弾丸が空気を切り裂き、メロへと飛来する。魔法少女は、手元のリングを高速回転しつつ、振るい、銃弾をはじく。
「あわわ……警告もなしなのね!?」
「黙れ、犯罪者め! この宝石展を開くために、どれだけのカネが動いていると思っている!!」
挟み撃ちする態勢になりながら、前後から警備員が集まり、それぞれ蒸気銃をかまえ、魔法少女に銃口を向ける。
「それじゃあ、私だって、本気なのね!」
メロは、右手に握ったリングを、手近の警備員に向かって投げつける。魔法の輪は、空中で回転速度を増しつつ、その手に構えられた蒸気銃に向かう。
「うお──ッ!?」
したたかにリングを叩きつけられ、警備員の手から蒸気銃がはね飛ばされる。無骨な銃は床をすべり、輪はブーメランのように魔法少女のもとへと戻ってくる。
「無駄だ! この人数相手にどうにかなると思っているのか!!」
別の警備員は発砲し、とっさにかわした魔法少女のスカートを銃弾がかすめる。
だが、メロの狙いは警備員の利き手でも、蒸気銃でもない。銃身上部に接続された、蒸気瓶だ。
──バガァンッ!
少し遅れて、にぶい爆発音が美術館の廊下に響きわたる。リングを投擲された蒸気瓶が、破裂した音だ。
「うわっぷ!?」
警備員たちが、悲鳴を上げる。銃から自動車に至るまで、蒸気都市のあらゆるものを動かすために圧縮充填された蒸気が噴出し、白煙となって、廊下を満たす。
当然、その場にいる人間たちの視界はふさがれ、魔法少女を包囲するどころではなくなる。メロは、その混乱に乗じて、宝石展の看板の影に身を隠す。
「三十六歳、逃げるにしかず……だっけ?」
メロは、自分の足下にリングを設置する。円の内部に、さざ波が立ち、やがて黒い穴が生じる。
「……メロは、そんな歳じゃないんだけど!」
蒸気の霧が周囲の視界を奪っているうちに、魔法少女はリングの穴のなかに身を踊りこませる。メロが姿を消すとすぐに、黒い陥井もまた消失する。
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「おっとっと……!」
ピンク色の魔法少女装束に身を包んだメロは、公営美術館の特設展示場から直下の下水道まで一気に降下する。
バランスを崩し、危うく汚水のなかに倒れそうになるが、どうにか持ちこたえる。
「これで、だいじょうぶ……のはずなんだけど」
自身の能力を駆使し、あいだにある物体を透過して下水道まで脱出したメロは、しかし。妙に『視線』のようなものを感じて、きょろきょろ、と周囲を見回す。
「ちょっと、なんだか……イヤな感じなのね」
宝石ドロボウは、いつも通り上手くいった……むしろ、いつもより順調だったかもしれない。
そういうときこそ、気をつけろ──真剣な眼差しで警告する、シスター・マイラの声を思い出す。
「ねんのため……遠回りして、帰ろう」
メロは、帰還までの行動を決断すると、下水道のなかを走り出した。
→【刃魚】
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