【第15章】本社決戦 (1/27)【本社】
『──アサイラ、生きてる?』
「勝手に殺すな、クソ淫魔」
『ああ、よかった。次元障壁越しでも、精神接続は維持できるみたいだわ』
大の字に倒れこんでいた青年の意識が、精神に直接響く声によって覚醒する。冷たい人工物の床の感触を背中に覚えながら、アサイラは身を起こす。
無機質な通路だった。車両が通れそうな広さがある。白い照明灯が設置された天井には、なんのためかわからないパイプやケーブルが張り付いている。
「ここが……セフィロト本社、か?」
『その通りだわ。アサイラがいまいるような感じの構造物で、次元世界<パラダイム>全体が構成されているみたい』
頭のなかに直接響く声を聞き取りながら、青年は立ちあがり、頭を左右に振る。
オフィスビルか精密機器の製造工場を思わせる長い廊下は、ところどころで直角に分岐し、複雑怪奇な迷宮を形作っている。
いまのところ、人の気配はない。
『ところで……龍皇女たちは、アサイラの要望通りに送還したのだわ。でも……なんで? せっかくなんだから、最後まで手伝ってもらえばいいのに』
「余計な人間を、巻きこむ必要もないだろうから……か」
頭のなかに響く『淫魔』の問いかけを受けて、アサイラは自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。
『セフィロト社の人間だったら、容赦なく殺すのに?』
重ねる『淫魔』の質問に、青年は沈黙する。静寂のなか、頭上の配管から小さな機械音が聞こえてくる。答えは、見つからない。
『だいたい、龍皇女は人間じゃなくてドラゴンだわ』
「茶化すな、クソ淫魔。おまえも、ここいらで手を引け」
『お断りだわ。私は、ヤリかけたことは最後までヤる主義なの』
「おまえが言うと、いやらしい意味にしか思えないな」
『茶化さないでほしいのだわ。どうでもいいけど、正面から警備兵が来るわよ。すぐ横の曲がり道に隠れなさい?』
一瞬、言い返そうと思案するも、アサイラは『淫魔』の指示に従い、薄暗く細い脇道に身を隠す。
少し遅れて、青年から四角になっていた曲がり角から、コンバットスーツに身を包んだセフィロト社の人間が、足早に駆け抜けていく。
『どうかしら。これでも、余計な手間を避けながら進むには、超絶美人で有能なナビゲーターが必要だと思わない?』
「……なぜ、敵の接近がわかった?」
『こっちもいろいろと準備をしていた、ということ。そもそも、いまのセフィロト本社は、難攻不落の次元障壁を破られて、厳戒態勢のまっただなかだわ』
脳裏に、『淫魔』の得意げな声が聞こえてくる。アサイラは観念し、無言でセフィロト本社の廊下を駆け始める。
分岐路が近づくたび、脳内に進むべき道がナビゲートされ、青年は速度を落とさず指示に従う。社内の人間と鉢合わせには、ならない。
「厳戒態勢、というわりには人の気配すらしない……か?」
『私が、無人のルートに案内してあげているの。感謝するのだわ! あ……止まって。警備兵が、接近している!!』
頭のなかに響く警告に従って、アサイラは急停止する。直線の長い通路だ。前方の十字交差のほかに、脇道や迂回路はない。
「隠れる場所なんか、ないぞ。殴り倒すか?」
『それじゃあ、せっかくナビゲートしている意味がないのだわ! だいたい、交戦したら最後、無尽蔵に増援を呼ばれるし……どうにか、やり過ごして!!』
「……有能なナビゲーター、か」
『なんか言ったのだわ!?』
直後、サブマシンガンを装備した兵士たちが、角から姿を現して、青年がいた場所を通り過ぎていく。当のアサイラは、上方からその光景を見下ろしている。
「グヌヌ……」
青年の四肢の筋肉が、張りつめる。アサイラは跳躍し、配管に指をひっかけ、天井に身を張り付けて警備兵の一団をやり過ごしていた。
『グリン……危ないところだったのだわ』
「……他人事か?」
『そんなことないのだわ! こっちが、どれだけの数の目を誤魔化していると思って……あ、そこに通風孔があるでしょ。エアダクトに入れない?』
青年は、首を巡らせる。『淫魔』の言うとおり、天井に空いた風窓を見つける。
「ずいぶんと、古典的な方法か」
「だからこそ、有効だわ」
セフィロトの兵士たちが十分に離れるのを辛抱強く待って、アサイラは、スリット状の隙間のある覆いを力任せに破壊する。
通路とは一転、暗く狭い通風路に、青年は潜りこむ。アサイラは、ほふく姿勢で道なりに這い進んでいく。
『速度は落ちるけど、誰かと鉢合わせになる可能性は格段に低くなるのだわ』
「まあ、こんなところに潜りこむような人間は、ふつう、いないか……」
脳裏の『淫魔』の声を聞き流しながら、青年はエアダクトの内部を前進する。ときおり下面に空いた風窓から、照明光が差しこんでいる。
通風孔のスリットから廊下の様子を見下ろすと、兵員のみならず、一般社員までもが慌ただしく行き来している。
人がいないところを選んでナビゲートしている、と主張していた『淫魔』の言葉は嘘ではないようだ。
──ガサッ、ガササ。
アサイラの聴覚が、背後でうごめくわずかな物音を拾う。はじめは、気のせいかと思う。だが、動きを止めて耳をそばだてれば、確かに聞こえる。
自分同様、なにかが這うような音は消えることなく、徐々に青年のほうへ近づいてくる。狭苦しい穴道では、背後を視認することもできない。
『どうしたのだわ、アサイラ?』
「なにかが、いる。近づいてくる、か……」
『なんですって!? こっちからは確認できないのだわ!!』
「いったい、どうやって道案内しているんだ。クソ淫魔」
『ともかく、全速前進だわ! そのまま進めば、縦穴があるはず……そこから、下に飛び降りて!!』
青年は、念話の指示に従ってほふく前進の速度を増す。後方の物音は、迷うことなく近づいてくる。
アサイラの皮膚感覚が、正体不明のなにかが至近距離への肉薄を教える。
気配から察するに、猫か、小型犬ほどの大きさか。ただし、人間同様に閉所での移動を得意とはしていないようだ。
「……グヌッ!?」
鋭い爪のようなものが、青年の足元かすめる。這うのがやっとの横穴では、迎撃もままならない。暗がり越しに、『淫魔』の言っていた縦穴が見える。
尺取り虫のように身をくねらせながら、アサイラは前へ向かって体躯を跳ねさせる。そのまま前転するように、陥井のなかへと飛びこむ。
──バササッ。
頭上から、翼を羽ばたくような音が聞こえてくる。正体不明の追跡者は、なおもアサイラに肉薄しようとしている。
落下しつつ、青年はようやく自分の後方にいた存在を見あげる。暗闇のなかに冷たく光る、猛禽の目のごときふたつの輝点が、こちらをにらみつけている。
「ヌウ……ッ!」
自然落下の速度を上回るスピードで、相手が急降下をしかけてくる。暗がりごしに、鷹か鷲のようなシルエットが見える。
アサイラの頭部めがけて、コンバットナイフのごとき鉤爪がきらめく。羽ばたき音に混じって、かすかなモーターの駆動音が聞こえる。鳥型のロボットか。
閉所のなか、自由落下の途中にあって、青年はなおも身をよじる。手刀を構え、上方へと振り抜く。
「──ウラアッ!」
手応えが、あった。同時に、アサイラは開けた空間へと出る。空中で回転し、勢いを殺して着地する。遅れて、追跡者の残骸である、機械部品が落ちてくる。
相手は、猛禽を模した戦闘ロボットだとわかる。そして青年は、岩石の地面のうえに立っている。
頭上には、空に蓋をしたかのような人工物の天井。前後左右には、広漠で平坦とした荒れ地が薄暗い照明に照らされていた。
→【基底】
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