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【第2部27章】星を呑む塔 (3/4)【剣鬼】

【目次】

【脱獄】

「花は桜木、人は武士……鼠どもは、少々、かしましく御座候」

 暗闇のなかで、ぼそりと男はつぶやく。声の主は、征騎士序列1位のトリュウザ。場所は、『塔』にあてがわれた彼の居室。

 トリュウザは、長尺の愛刀を床に置き、あぐらをかき、まぶたを閉じて、瞑想にふけっている。電源が喪失し、照明が落ちても、かまう様子はない。

「技術局長どのは……見事、討ち死にを果たされたか」

 グラトニア征騎士の最上位に位置する男は、ただ磨き抜かれた感覚のみで、『塔』の内部の争乱を捉えることができる。

 帝国の参謀役である序列2位の征騎士、モーリッツは死んだ。彼の転移律<シフターズ・エフェクト>によって動く『脳人形』の兵隊どもも停止した。

 技術局長を手にかけた侵入者は、さわがしく『塔』内を動きまわっている。そこまで理解しながら、トリュウザは動かない。自分の管轄ではないし、グラー帝から下命を受けたわけでもない。

 イクサヶ原出身の初老の剣士は、ただ黙して『そのとき』を待ち続ける。ぬちゃり、と粘液質の音が闇のなかに響き、忽然と人の気配が現れる。

 トリュウザは、床に置いた長尺の刀を自分の元に引き寄せつつ、小さく唇を動かす。

「……女狐か」

「トリュウザどの、モーリッツ・ゼーベック技術局長が死亡しました。賊が、『塔』の内部へと直接、転移してきたので……残された征騎士は、あなタひとりとなります」

 女の言葉が、トリュウザの居室の闇に響く。グラトニア帝国の最精鋭にして幹部集団が壊滅状態に陥った現状を確認しながら、ふたりの声音は機械のように無感動で、落ち着きはらっている。

「左様にて……『巫女』メイヴィスは、如何した?」

「さきほど、陛下のために身を捧げました。計画通り、第2フェイズへの移行を開始。しかし、『塔』はいま、無防備な状態なので」

「仔細承知にて……しかして、某に鼠掃除をしろ、と申すか?」

「……こう暗くては、かなわないので」

 トリュウザの声に、剣呑な響きが混ざる。初老の剣士と対峙する女──『魔女』は人差し指を立てると、爪の先に魔法<マギア>の光が灯る。

「花は桜木、人は武士……餓鬼畜生のたぐい、いくら斬ったところで腹は膨れぬ。某、せめて修羅を所望にて御座候」

 鞘に納まった長尺の刀を肩にかけながら、ぼそぼそとトリュウザはつぶやく。周囲の空気が、どろりとよどむ。眼前の女──グラー帝の最側近である『魔女』だろうとも、気に喰わぬ言葉を口にすれば、即座に斬り捨てる。初老の剣士の居住まいが、言外にそう語っている。

 深紅のローブをまとった女は、ふうとため息をつくと、首を左右に振る。ぱちり、とトリュウザは片目を開く。常人であれば一瞥されただけで気絶するような視線に射抜かれても、『魔女』が動じる様子はない。

「いま潜りこんでいる連中は、無視してかまいません。『塔』と崩すことは、到底、できないでしょう。モーリッツが、十全な仕事をしましたので……」

「しからば、女狐。何故、某のもとへ参った?」

 研ぎ澄まされた刃のごとき声音で、問いを突きつけられても、深紅のローブの女がまとう『気』に揺らぎは感じられない。そうでなければ、あのグラー帝の最側近など務められぬのだろう、とトリュウザは思う。

「万全を期すためなので……第2フェイズへの移行は開始しましたが、完了したわけではありません……只今より、何人たりとも『塔』へ近づけないこと。これが陛下の名代として、あなタにくだす任務です」

「……仔細、心得て御座候」

 トリュウザは『魔女』に小さくうなずき返すと、立ちあがる。まっすぐ背筋を伸ばした初老の剣士の身長は、深紅のローブの女よりも頭ひとつほど高い。見下ろす側と見下ろされる側が、逆転する。

「ひとつ、付け加えることがありましたので。『シルバーブレイン』……空を飛ぶ銀色の船は、絶対に斬らないように」

 長尺の刀を納めた鞘を腰に差したトリュウザは、『魔女』の言葉を聞いて目を細める。

「花は桜木、人は武士……それも、陛下の御下命か?」

「どうであろうとも、関係ありません。いま言ったことが、すべてなので」

 初老の剣士は、身支度の手を止めて、深紅のローブの女を見つめる。『魔女』の真意は、見通せない。もとよりトリュウザにとって、腹芸は得意でもなければ、興味もない。

 いささか不可解な物言いだが、今日に始まったことではない。皇帝の代弁者を気取る女を問いつめたところで、なにかが変わるわけでもなし。序列1位の征騎士は、そう判断する。

 初老の剣士は愛刀の具合を確かめると、ハンガーにかけた征騎士の外套を手に取り、羽織る。一瞬、小袖の背に染め抜かれた『屠』の一文字がのぞく。

 トリュウザは、居室の出口へと向かう。機械仕掛けの自動ドアは、電源喪失によって閉め切られている。初老の剣士が近づくと、彼と対峙した人間の末路のように、ぱたんと扉は通路側へと倒れこむ。

 長尺の刀を抜き放ち、自動ドアを両断し、そして納刀した。一連の動作に、秒もかからない。『魔女』の動態視力はおろか、監視カメラでも捉えることはできないだろう。

 照明が失われ、暗闇の満ちる通路へと踏み出したトリュウザは、なにかを思い出したかのように足を止める。

「ときに女狐。フロル、と言ったか……あの若人は、如何した?」

 初老の剣士の問いかけに、返事はない。トリュウザが背後を振りあおぐと、居室のなかに『魔女』の姿は、すでになかった。おそらく転移ゲートを使って、グラー帝のもとへと向かったのだろう。

 少しばかり残念そうに息を吐いた序列1位の征騎士は、まえへ向きなおり、光源の失われた漆黒の道を進んでいく。視覚は通らないが、剣士として磨き抜かれた第六感とも言うべき皮膚感覚で、通路の状況は問題なく把握できる。

 突き当たり、資材搬入口をふさぐシャッターのまえにトリュウザはたどりつく。居室の自動扉よりは、厚い。初老の剣士は腰を落とし、刀の柄に手を置く。

 白刃が、一閃する。銃火器の掃射も防ぐ隔壁が、無数のがれきに分断される。長尺の刀が流麗とも言える動きで鞘のなかに納められ、きぃんと甲高い鍔鳴りを響かせる。

 刀の柄から手を離したトリュウザは、ぴゅいと指笛を鳴らす。少しばかりの間を置いて、大きく翼を羽ばたかせる音が近づいてくる。

 地より遙かうえに位置する『塔』の中腹に姿を現したのは、翼龍<ワイバーン>によく似た、しかしわずかに異なる飛翔生物だ。プテラノドンとも呼ばれることもある、トリュウザがイクサヶ原にいた頃から駆る騎竜、『豹峨<ひょうが>』だ。

「出陣にて。『豹峨<ひょうが>』」

 己の名を呼ぶ主の言葉に、うなり声で騎竜は応える。トリュウザは『豹峨<ひょうが>』の背に飛び乗ると、プテラノドンとともに『塔』から離脱していく。

 重苦しい風にあおられながら、初老の剣士は天をあおぐ。大きく左向きに渦巻く空が、第2フェイズ移行開始という『魔女』の言葉に偽りがないことを示していた。

【業火】

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