【第4章】彼は誰時、明けぬ帳の常夜京 (10/19)【変貌】
【脱出】←
「侮っていたわけではないけど。思っていたよりも、早い……かしら」
念には念を入れて、ミナズキは、裏口をくぐらず、敷地の東北の角へと向かう。そこに植えられた松をよじ登り、塀を越える。
囲の上から、ミナズキは路地と大路にいくつものかがり火が行き来するのを見る。思っていたよりも、追っ手の数は多い。
「空を飛んで逃げるのは、無理そうかしら」
手にした札を握りしめながら、ミナズキはつぶやく。滑空移動は、灯りを持った相手に対して目立ちすぎるし、弓矢の格好の的となる。
「飛べ! 見よ!」
ミナズキは、つかんでいた呪符を闇空に向かって放る。それは、一羽の鷹へと変じ、暗天へと急上昇し、術者の頭上で旋回を始める。
火急の事態であるため、式神と感覚を共有する余裕はない。しかし、鷹の瞳が捉えたものを、合図で知ることならできる。
ミナズキは、塀の上から身軽に往来へと飛び降りる。さいわい、ミナズキは夜目がきく。暗い道につまずく心配もなければ、上空の鷹の動きもよく見える。
「行こう……!」
式神が旋回の形状を微妙に変えて、追っ手の動向を教えてくれる。ミナズキは、意を決して走り始める。
いかに人数を動員しても、広大な都をおおい尽くすことは不可能だ。上空の鷹の動きを注視しつつ、ミナズキは無人の通りを選んで、進んでいく。
「……待った」
複雑怪奇な迂回路をとってきたミナズキは、路地から大路へ出る手前で足を止める。頭上では、式神の鷹が、しきりに小さな円を描いている。
「誰かが、来る」
ミナズキは、土壁の影に身を潜め、様子をうかがう。辻の向こう側から、騎馬にまたがり、かがり火を掲げた一人の検非違使がやってくる。
「──ッ!」
ミナズキは、息を呑む。目前に現れたのは、恩人でもある検非違使之輔、シジズだった。
シジズは、ミナズキが隠れる塀の手前で馬を止める。鞍から降りると、ミナズキが潜む影のほうをまっすぐに見据える。
「どれ。出てきな、ミナズキ。そこに隠れているのは、わかっているぜ」
シジズは、かがり火を握る手の甲を逆手でぼりぼりとかきながら、普段となんら変わらない声で語りかける。
「……シジズさま」
ミナズキは、検非違使之輔の目をごまかすことはできない、と観念して、大路に姿を現す。かがり火が、符術巫の娘の白い肌を照らす。
「お手数をかけた末、このような末路となってしまい、申し訳ありません。ですが、此方は、どうしても……」
「貴殿は、なにを言っているんだ?」
ミナズキの言葉は、実兄のように慣れ親しんだシジズの声音にさえぎられる。
「乗れ。それがしが、途中まで送るぜ」
検非違使之輔は、親指で背後の騎馬を指し示す。
「……シジズさま!」
ミナズキは、目前の男の申し出を聞き、安堵を覚える。いままでの緊張がほどけ、ひざが震えだす。それでも、シジズのもとへ歩み寄る。
すると、検非違使之輔は、右手に握りしめたかがり火を放り投げた。
「黄泉路へ、だがな」
シジズの右手が腰に伸び、鞘に納められた太刀の柄を握る。鞘走る白刃が、かがり火の光を受けて、妖しい輝きを放つ。
必殺を確信した検非違使之輔の口元が、歪む。ミナズキは、自身の華奢な肉体が、逆袈裟の方向に両断される光景を幻視した。
「ギャアァ──ッ!!」
けたたましい鳴き声をあげて、何かが急降下してくる。ミナズキが上空に放った、鷹の式神だ。
鷹は、くちばしを突き立てんと、検非違使之輔の頭上へと急降下する。
「チイッ!」
歴戦の武人であるシジズとて、符術巫の式神を無視することはできない。太刀を引き抜く軌道は、大きく上方へとずれる。
「あぁ……ッ」
ミナズキは、尻もちをつくような格好で、背後に倒れこむ。前髪が引き裂かれ、闇の中を舞う。それでも、ミナズキはそれ以上の傷を負わなかった。
鷹の式神は、ミナズキの身代わりとして、シジズの太刀に両断された。鷹の姿は霧散し、両断された呪符が大路を舞う。
→【工作】
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