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【第2部22章】風淀む穴の底より (3/8)【鋼線】

【目次】

【不燃】

「ちぇ……落っこちてきてくれれば、ほいさっさと片づいたんだが。まあ、いいさ。少しばかり寿命が伸びただけなのさ」

 最下層に居座る男がこれ見よがしにつぶやく悪態を、リンカは聞く。相手が息を止めていない、呼吸を必要としていない証拠だ。

──キュルキュルキュルッ!

 耳障りな音が、ふたたび響く。暗闇のところどころで、わずかなきらめきが輝きながら迫ってくる。

「ぬあ……ッ!?」

 灼眼の女鍛冶は、わずかな殺気と己の勘を頼りに真横へ飛び退く。リンカの首があった真後ろの壁に、細く鋭い切れこみが刻みこまれる。

(糸のような刃……? 似たような武器をニンジャが使う、って話なら聞いたことがあるのよな……)

 リンカの生家はサムライ相手に商売をしていて、刀以外の武器を打つことはほとんどなかったが、諜報と暗殺を生業とする影の者から仕事を引き受ける鍛冶職人もいると聞く。鋼を糸のように加工した暗器は、そういった連中が扱う武器のひとつだ。

 金属のこすれるような音が、闇の満ちる部屋のなか、ふたたび灼眼の女鍛冶へ向かって近づいてくる。リンカの握る灯火を反射して、細く鋭いなにかが直角の方向転換をくりかえしながら距離を詰めてくるのが、かろうじて見てとれる。

「……たあッ!」

 灼眼の女鍛冶は素早くひざ立ちとなり、手にした刀を振るう。刃の軌跡をたどるように、紅蓮の弧が描かれる。耳障りな音が一瞬だけ止まると、リンカから遠のいていく。

「さもありなん……ッ。なるほど、これは暗殺におあつらえむきなのよな……!」

 着流しの女は、残心の構えをとりつつ、歯噛みする。自分の首がつながっているということは、鋼の糸を焼き払うことができたのだろう。

 だが、確信は持てない。糸のごときか細いものを斬った手応えを感じるなど、相当な剣豪でなければできぬ芸当だ。

「げほ、ごほ……っ」

 リンカは小さくせきこみながら、崩落でできた床の穴から、攻撃者と思しき男の様子をうかがう。相手の右腕が、鋼線を引き戻すような動作を見せる。

(隙あり……迷っている暇は、ないのよなッ!)

 灼眼の女鍛冶は、粉塵の舞う濁った空気を思い切り吸いこむと、堅く唇を閉じる。龍剣の柄を両手で握りしめ、床にできた穴からへと飛び降りる。

 刀身に宿る炎が消えるが、かまうことはない。龍剣が持つ超常の力を抜きにしても、業物にふさわしい斬れ味は健在だ。

「……はあッ! この女、なにを考えているのさ!?」

 眼下の男が、戸惑いの声をあげる。リンカの予想外の行動に、反応が遅れていることが見てとれる。

 かまうことなく、リンカは落下の勢いも乗せて、刀を振りおろす。相手の右肩に切っ先が触れると、そのまま、ななめ方向へと袈裟斬りにする。

「……アぎがッ!?」

 闇のなかの男が、うめき声をあげる。灼眼の女鍛冶の手に、肉が裂け、骨は断たれ、臓腑の破ける嫌な感覚が伝わってくる。

(……チッ!)

 階下の石床に身軽に着地し、致命傷の手応えを感じつつも、リンカは胸中で舌打ちする。脾臓のあたりで、刀が止まった。着流しの女の斬撃は、相手の身体を両断するには至らなかった。

 首の皮一枚でもつながっているうちは、敵の死を確信してはならない。イクサヶ原の斬術における基本の「き」だ。血の臭いを鼻腔に感じながら、灼眼の女鍛冶は刀を引きつつ、男の左上半身を乱暴に蹴りつける。

「ぎギがガ……ッ!!」

 断末魔にも似た男の悲鳴が、地下室に響く。ぶちぶちと肉の引きちぎれる感触が伝わってきたかと思うと、ごとりと音をたてて男の左上半身が石畳のうえに落ちる。

 リンカは、唇を堅く結んだまま、残心の姿勢をとる。盛大な血しぶきが間欠泉のごとく、男の身体の切断面から暗黒のなかへ飛び散っていくのがわかる。鮮烈な臓腑の臭いにむせかえりそうになり、どうにか耐える。

 敵将が守りに使ったのが穴蔵とその底に溜まる淀んだ空気ならば、攻め手となったのは糸のようにたなびく極細の鋼の刃だ。

 男の操る鋼線、灼眼の女鍛冶が手にする龍剣『炉座明王<ろざみょうおう>』の炎をもってすれば、焼き払うのはたやすい。

 しかし火は、ただでさえ少ない空気を消費する。そのうえ、こちらからの炎を使った攻撃は淀んだ空気によって無効化される。あやうく、千日手に陥るところだった。

 空気の乏しい戦場だからこそ、リンカにとって長期戦は自殺行為であり、それこそが敵の狙いだったと理解できる。

 そろそろ、呼吸を止めるのも苦しくなってきた。灼眼の女鍛冶は、地下拠点の最下層からの脱出を思案する。刹那──

──キャル、キャルキャルッ!

 耳障りな金属音が響く。あの鋼線による攻撃が迫ってくる。リンカは、身構える。呼吸のできない空気のなかでは、炎で焼き払うこともできない。

 暗闇のなかで目視できないとはいえ、敵の身体は間違いなく両断した。死の間際の一撃で、道連れにするつもりか。

(さもありなん、息が……続かないッ!)

 酸欠でめまいを覚えるリンカの眼前に、右上半身を失いながらも左下半身のみで立つ男の肉体が、おぼろげながら見える。着流しの女は、とっさに敵の身体を踏み台にして、上階へ向かって跳躍する。

「はあ……! はあ、はあ……げほ、ごほおッ!!」

 灼眼の女鍛冶は、上階の床に転がりこむと大の字に倒れこむ。思い切り深呼吸をくりかえして息継ぎして、激しくせきこむ。
 
 ただでさえ息の詰まりそうな淀んだ空気のうえに、崩落によって生じた粉塵やほこりもひどい。故郷で聞いた、肺病に悩まされる鉱夫の話も、むべなるかなというものだ。

 少しばかり時間をかけて、どうにか呼吸を落ち着けたリンカは身体を起こし、刀の切っ先に灯火を宿して下層を照らして、様子をうかがう。

「さもありなん……なんなのよな、こりゃあ……!?」

 階下から真上にあいた穴を見つめる男と、視線が交わる。肉体がまっぷたつ担ったにも関わらず、双眸から生命の輝きは失われていない。

「なにしやがる、この女……ッ! 死ぬところだったじゃないのさ!?」

「のんべんだらり。なぜ……生きているのよな……ッ!?」

 今度は、リンカが戸惑いの声をあげる番だった。龍剣の刀身がまとう紅蓮の炎の輝きを反射して、分割された男の肉体を縫いつけるように伸びた鋼線が輝きを放つ。

 石畳に広がる血だまりのうえに転がった男の左上半身が、糸の力のみで引きずりあげられる。切断面同士を縫合して、分割された敵の肉体がつなぎあわされていく。

「ふうぅぅ……オマエな、許さねえのさ……絶対にだ」

 男は深く息を吐き、胸ポケットから小型の注射器を手に取ると、首筋に突き刺す。薬液が注入されて数秒、どばどばと切断面からあふれ出すような出血が、ぴたりと止まった。

【生死】

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