【第2部10章】戦乙女は、深淵を覗く (9/13)【動揺】
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「リーリス! もう十分だ……記憶の再生を止めろッ!!」
アンナリーヤの深層心理に潜りこんだ傍観者の一人、アサイラは怒鳴り声をあげる。その拳は、血がにじむほどに強く握りしめられている。
「グリン……わかってる、わかってるのだわ。でも……止められない! 記憶再生のコントロールが、効かなくなっている!!」
もう一人の傍観者、リーリスが悲鳴のごとく叫ぶ。黒髪の青年とゴシックロリータドレスの女のまえで、淫辱の記憶が再演し続ける。
「このままだと、女王どのの精神にも無視できないダメージが残っちゃうのだわ。早く止めないと……だけど……ッ!!」
額に汗を浮かべたリーリスは眼球を見開き、両手の人差し指をせわしなく動かして、アサイラにはおよびもつかない魔法文字<マギグラム>を必死に書き出していく。
それでも、眼前で再生される過去の姫騎士の狂艶が止まる様子はみじんもない。黒髪の青年は、自分の唇を強くかみしめた。
「あらあら、なにを慌てているのかしら。あなタタチ、このショウを見に来たのではないので? せっかくだから、最後まで楽しんでいってもらわないと……」
エルヴィーナと呼ばれた裸体の女は、まるでその場にいる人間のように、招かれざる傍観者であるアサイラとリーリスの二人を見据えて言う。
「あらためて、ようこそ。ただの記憶情報の影にすぎぬこの娘の行く先、追い続け」
「リーリス……ここは、アンナリーヤどのの内的世界<インナーパラダイム>じゃなかったのか?」
黒髪の青年は、反射的に徒手空拳を構えつつ、相棒の女に尋ねる。一糸まとわぬ姿の『魔女』は、再生記憶とは思えぬ明確な意志持つ瞳でアサイラを見つめている。
「魔法<マギア>によるトラップが仕掛けられていた、ってことだわ。王女どのの記憶の底に……万が一にも、覗かれることのないように……」
魔法文字<マギグラム>の書き出しを中断したゴシックロリータドレスの女は立ち上がり、アサイラと似た髪色の女を見据える。
当のエルヴィーナは、相対するリーリスの見解を否定も肯定もせず、わずかに顔を伏せて軽くため息をつく。
「王女どのの記憶は、それだけ、あの女にとって見られたくない情報だったってことだわ。私の推理はどうかしら、『魔女』さん?」
「……ドロボウ猫の言うことに、耳を傾けるつもりなどないので」
エルヴィーナは軽く頭を降りながら、ふたたびアサイラへと目を向ける。黒髪の青年の瞳を、顔を、全身を粘つく視線が這いまわり、怖気を覚えさせる。
「どうであれ下品なピーピングの犯人を、ここから帰すつもりはないので」
融肉の満ちた床を、『魔女』と呼ばれた女はアサイラとリーリスのほうへ無造作に、しかし自信に満ちた足取りで歩み寄ってくる。
「この空間はそもそも、もはや、わたシの胃袋のなかのようなもので……わざわざ飛びこんでてきて、そうそう簡単に脱出できると思われては心外ね」
白くしなやかな右腕が、侵入者に向かって伸ばされる。エルヴィーナの意思に応じて、黒髪の青年とゴシックロリータドレスの女に無数の触手が殺到する。
病的な色合いの巨大な蛸脚のような肉塊が、アサイラとリーリスの立つ場所をひとなぎする。次の瞬間、裸体の『魔女』は両目を見開く。
「──ッ!?」
まるでその場には初めからなにもいなかったかのように、二人の侵入者の姿が消滅する。大振りな蛸足と、それに続く無数の肉鞭は、むなしく空を切る。
「……精神世界のなかで、そうそう簡単に私を出し抜けるなんて思わないことだわ。なんの備えもしていないわけないでしょ?」
数メートル離れた地点に、ゴシックロリータドレスの女の実像が現れる。一糸まとわぬエルヴィーナは、嫌悪感と敵対心を露わに表情をゆがませる。
「幻術! ドロボウ猫め、小細工ばかり達者なので……ッ!!」
「グリン。プロフェッショナル、と呼んでほしいのだわ……それはそうと私、あなたからなにか盗んだことあったかしら。美男子の心以外は、あまり興味がないんだけど」
リーリスは挑発するように、わざとらしく大げさなジェスチャーをとってみせる。意識を奪われた裸体の『魔女』は、相手の次の一手に対する反応が遅れる。
「──ウラアッ!」
一糸まとわぬエルヴィーナが振りかえったときには、もう遅い。ゴシックロリータドレスの女の反対側に現れたアサイラが、握りしめた拳を振るう。
「あガはッ!?」
顔面へまともに鉄拳を喰らった裸体の『魔女』は、首の角度を百度ほど回転させて吹き飛び、触手の群れのうえをびちゃびちゃと音を立てながら転がっていく。
アサイラは着地と同時に油断なく腰を落とし、敵に向かって残心の構えをとる。
「いつものように、レディに手をあげるのは感心しない……とは言わないのか、リーリス?」
「グリン。女の敵には容赦しないし、それが男だとは限らない、ということだわ」
ゴシックロリータドレスの女と言葉を交わしつつ、警戒を怠らず、黒髪の青年は融肉の水たまりにうずくまる一糸まとわぬエルヴィーナとの距離を詰めていく。
周囲を包む肉壁と触手の群れは不規則にうごめいてこそいるものも、幸い、いますぐ襲いかかってくる気配はない。
「アサイらが、わたシのことを殴ったので……? そんな、そんなこと、あるはずが…いったい、なんで……」
間合いを詰めるに連れて、裸体の『魔女』のつぶやきがアサイラの耳に届く。さきほどまでアンナリーヤ母娘を嬲っていた冷酷さと泰然さからは想像できない、激しく動揺した様子だ。
「どれも、これも……ドロボウ猫ッ! あなタのせいなので……!!」
「──ウラア!」
「うぐあ……ッ」
一糸まとわぬエルヴィーナが立ちあがろうとした瞬間、黒髪の青年は足払いを喰らわせる。『魔女』は、顔面から触手だまりに向かって転倒する。
「グリンッ!」
そのすきをついて、リーリスは翼を広げてアンナリーヤへ向かって飛翔する。黒翼は死神の鎌のように肉蔦を切り裂き、束縛から姫騎士を解放した。
→【傀儡】
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