【第8章】獣・女鍛冶・鉄火 (1/12)【獣人】
「クギャ──ッ!!」
つんざくような鳥の鳴き声が、鬱蒼と茂るジャングルに響きわたる。猛禽の絶叫に呼応するように、周囲の枝葉に潜んでいた獣たちが慌ただしく遠ざかっていく。
鳴き声の主は、両の翼を羽ばたかせながら、大樹の枝から枝へと飛び移っていく。
時折、背後を気にしつつ逃げるのは、大柄で空を飛ぶ能力を持たない鳥種だ。そのかわり、脚力に優れ、短距離ならば滑空もできる。
「──逃がさないもな」
少し遅れて、猛禽の蹴った枝をしならせて、樹上を一直線に追いかける人影が見える。身軽に枝を渡る追跡者は、梢がこすれた程度のかすり傷など気にもとめない。
狩人の笑みを浮かべた人影は、跳躍の速度を速める。攪乱するように、じぐざくと枝を渡る鳥との距離が、見る間に縮まっていく。
「おとなしく、オイラの昼飯になるもなッ!」
追いかけっこに興じる人影が、楽しげに声をあげる。声音は、少年のものだ。木立の隙間から差しこむ陽光が、一瞬、声の主の姿を照らし出す。
人の体に、猿の耳と尻尾を持った獣人だ。短く刈った銀髪のしたで、琥珀色の眼が、前方で激しく揺れる猛禽の尾羽を見据えている。
服飾と言えるものは毛皮製の腰布と、首飾り程度のものだ。背には鞘に納められた山刀らしきものを担いでいる。
「クギャギャギャアッ!」
けたたましくわめき散らす鳥は、翼をばたつかせながら、樹上で急激なヘアピンターンを決める。
まだ幼さの残る狩猟者は、傍らの幹をつかみつつ、自分の進路を回転させる。獲物の逃走に難なく追従するばかりか、さらに距離をつめる。
「いひひっ、あきらめるもな!」
少年は、背負った山刀の柄を右手で握る。しゅらっ、と刃滑りの音を立てて、鉈状の剣が引き抜かれる。
芸術品と言えるほどまでに研磨された薄い刃が、冷たく青白い輝きを放つ。原始人、といってもいいような少年の風貌とは明らかに異なる、洗練された刀剣だ。
「ギャギャ、ギャアーッ!!」
樹上の鳥は、追跡者を引き離そうと、枝の密集地に潜りこむ。猿耳の子が、山刀を左右に振るい、枝葉を打ち払う。淀みのない断面の枝が、地面に落下していく。
一向に距離が広がらないどころか、ますます追いつめられた猛禽は、一か八か、地面に向かって急降下をしかける。
「あまいもなッ!」
獲物が着地の瞬間、わずかに動きが止まる。幼い狩猟者は、見逃さない。かつぐように振りあげた鉈状の剣を、そのまま投擲する。
「グアギャッ!?」
ひゅんっ、と風を切る音が聞こえた刹那、大柄な鳥の胴体を、山刀の刃が深々と貫いている。
「やったもな!」
猿耳の少年は歓声をあげ、大樹の幹をつたって、するすると地面へ降りる。獲物は弱々しく羽を上下させるが、もはや抵抗するだけの力は残っていない。
幼い狩猟者は、しとめた獲物のそばへと足早に駆け寄る。手慣れた様子で、猛禽の身体から山刀を引き抜くと、刃を横に一閃する。
「グギャ……ッ!?」
鳥の首がはね飛ばされ、血の雫があたりに飛び散る。猿耳の少年は、顔をあげ、きょろきょろと周囲を見回す。
樹上から垂れるツタを見つけると、獲物の尾を握って引きずりながら、近づく。適当な長さに引きちぎると、器用にロープのように使い、しとめた猛禽を縛りあげる。
幼い狩猟者は、血抜きを兼ねて、切断面を下向きに獲物をかつぐ。山刀についた血を拭い、鞘に収めると、するすると身軽に樹の幹を登り、ふたたび枝のうえに立つ。
「女神さまも、喜んでくれるもな」
にいっ、と笑いながらつぶやいた猿耳の少年は、一直線に枝を飛び渡っていく。
獣人の子が、樹上を進んでいくと、やがて密林の途切れ目にたどりつく。ジャングルのふちにたどりついた少年は地面に降りて、徒歩の移動に切り替える。
丈の短い草が生える丘陵地だ。山から吹き下ろす涼しい風が、駆け回って火照った身体に心地よい。
幼い狩猟者は、緩やかな斜面を登り、その先にそびえる岩山に向かっていく。
やがて、猿耳の少年は、高嶺のふもと、崖にぽっかりと口を開らいた洞窟の前に立つ。獣人の子は、かついだ荷物を地面に降ろすと、思い切り息を吸う。
「めーがみさーまーっ!!!」
猿耳の少年ののどからほとばしった、あらんかぎりの呼び声が、岩山のふもとに響きわたった。
「のんべんだらり。女神さまじゃなくて、リンカでいいのよな」
洞窟の奥から、女性の声が返ってくる。うきうきと笑顔を浮かべる獣人の子のまえに、穴蔵の闇のなかから人影が歩み出てくる。
岩窟から出てきた女──リンカは、猿耳の少年とは明らかに異なる風貌をしている。
着流しの和服をまとい、胸にさらしをまき、足元には足袋と草履をはいた姿は、この次元世界<パラダイム>の景色とはまったく異質のものだった。
それでも、獣人の子は気にする様子もなく女のもとに近寄る。リンカもまた、馬の尻尾のようにまとめた黒髪を揺らしながら、赤い瞳の眼を細める。
「女神さまは、女神さまもな!」
猿耳の少年は、元気に声をあげつつ、地面に転がしていた収穫物の猛禽をかかげてみせる。リンカの目線からは、獣人の子の顔が見えなくなるほどの大物だ。
「こいつは大猟なのよな、マノ!」
「へへへ……!」
リンカがやや大げさに驚いてみせると、マノと呼ばれた少年は、いっそう嬉しそうに破顔してみせる。
「女神さま、一緒に食べよう!」
「そいつは、ありがたいのよな。いきのいいうちに焼き鳥にでもするかねえ」
着流しの女は、獣人の子から首の落とされた巨鳥を受け取る。どっしりとした重量感と、まだわずかに残っている生命の熱が、手のひらから伝わってくる。
「これも、女神さまのつくってくれた刀のおかげもな!」
マノは、鞘に納めた山刀をわずかにすべらせ、根本だけ抜いてみせる。真上に登った太陽の光を、白く鋭い輝きとして刃が反射する。
「さもありなん! ちゃんと手入れもしているようなのよな」
「女神さまからもらった刀なんだから、大切にするのは当たり前もな! それよりも、ヤキトリヤキトリ!!」
「むおー、マノったら……ちゃんと肉以外も食べなきゃだめだよ!」
リンカとマノの横合いから、また別の女性の声が聞こえてくる。着流しの女と獣人の子は、一緒に同じ方向を向く。
「……リシェ!」
マノが、声の主の名前を呼ぶ。そこには、リスの耳と尻尾を持った獣人の女性が立っていた。
少年よりは十分に大きいが、リンカよりは少しばかり背の低いリスの耳の女は、樹皮をなめして仕立てた服に、黒曜石を砕いた首飾りを身につけている。
リシェは、両腕で大きなかごを抱えていた。なかには種々様々な堅果と山菜がこれでもかと詰めこまれている。
「というわけで、リンカさま。これも一緒に食べて!」
リスの耳の獣人は、リンカに対して山のように中身の盛られたかごを差し出す。
「さま、なんてつけないで、リンカって呼び捨てでいいのよな」
「それはだめもな! 女神さまは、女神さまなんだから!」
「そうそう! それに、リンカさまが作ってくれた小刀のおかげで、このかごもこんなに丈夫に作れたんだから!」
二人の獣人に詰め寄られ、リンカは恥ずかしそうにぽりぽりと頭をかいてみせた。
→【昼餉】
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