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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (20/24)【崩怪】

【目次】

【輝跡】

「アはは! アははハはハッ!!」

 眼孔から膿汁と肉片と毒蟲をまき散らしながら、『魔女』は狂ったように哄笑する。踊るような動きで空を舞いながら、指先で魔法文字<マギグラム>を描く。共鳴するがごとく、エルヴィーナのすぐそばに浮かぶ『天球儀』の輪が、淡い光を放つ。

「グリンッ! 龍皇女、左右両方から同時だわッ!!」

 クラウディアーナの魔法<マギア>によって、三つ編みの女が持つ『天球儀』と左目の視界を直結させているリーリスが叫ぶ。ふたりの女を挟みこむように禍々しい魔法陣が展開し、蛆のわいた腐った巨人の腕が召喚される。

「──『破光』の! 魔法<マギア>ッ!!」

 ゴシックロリータドレスの女の合図とほぼ同時に、人間態の龍皇女は詠唱を完了する。柏手を打つように目標を叩き潰そうと、腐肉の巨腕が迫る。刹那、幾本もの銀色の軌跡が走る。穢れた腕が、汚濁液を飛散させながら、細切れと化す。

「グリン……気持ちわるッ! 臭いだって、ひどいものだわ……」

 黒翼を羽ばたかせるリーリスは、悪臭を振り払うように、ぶんぶんと頭を振ると、空を仰ぐ。そこで、ぴたりと動きを止める。

「『淫魔』、どこを見ているのですわ!? 側仕えの女の、次が来ますわよッ!!」

 6枚の龍翼を白銀に輝かせるクラウディアーナは、背中をあわせるゴシックロリータドレスの女の動きを見咎め、そこでなにかを察知する。

 天を見つめる『淫魔』の口元には、笑みが浮かんでいる。自ら眼球を潰したはずの双眸を空へと向ける『魔女』からは、逆に歯ぎしりの様子が見てとれる。

 純白のドレスのクラウディアーナは、眼前の三つ編みの女に注意を向けつつも、ゆっくりと頭上を見やり、目を見張る。

 左向きに回転していた空が、時を巻き戻すかのように逆方向へ動いている。ふたをされたかのような、天の閉息感が消滅している。基部を破壊されながらも、未練がましく宙に留まり続けていた『塔』の上層部が、重力に従って崩落していく。

「どうやら、私たちの勝ちのようだわ。『魔女』……あなたの目的は、潰えたんじゃない? どういう動機だったか、まださっぱりだけど、そちらはこれからゆっくり聞かせてもらおうかしら……」

 視線を降ろしたリーリスは、左目をつむりながら、眼前のエルヴィーナを右の瞳で見据える。

「あなたが、真っ当な神経の持ち合わせていたら、って前提だけど……この様子じゃ、ご自慢のグラー帝だって、無事じゃあない。そろそろ、降参するタイミングだと思うのだわ?」

「……『淫魔』、この女は存在自体が危険ですわ。なにをしでかすかわからない以上、いま、ここで消却します」

「どうどう、龍皇女……待つのだわ。私、カワイイ女の子には、等しく優しくするのが信条なの」

 殺気を隠そうともしないクラウディアーナに対して、ゴシックロリータドレスの女が制する。人間態の上位龍<エルダードラゴン>は、少しばかり気分を害したかのように『淫魔』を一瞥する。

「逃がすつもりがないのは、私だって同じだわ。ただ、この娘が何者で、どこから来たのか徹底的に知っておく必要があるってだけで……」

「アは……! アははハはハッ!!」

 リーリスの説明をさえぎるように、突然、三つ編みの女は哄笑をあげる。黒翼を広げる『淫魔』と、6枚翼の龍皇女は、ほぼ同時に身構える。

「あら……気でも触れましたかしら?」

「グリン。私の見立てでは、さっきまでの精神状態と目立った違いはないのだわ……もともと、奇怪な心理構造しているけど」

 ゴシックロリータドレスの女は、『魔女』の心理状態をつぶさに観察しつつ、閉じていた左目を開く。『天球儀』とつながる視界が開かれる。

「動揺の色も、奇襲の気配もなし……あなた、この期に及んで、なにを企んでいるのだわ……?」

「アははハッは、ハ……別に、なにも? あの男──グラー帝もしょせん、この程度かと思っただけなので……アサイらのことを、殺しそうだったし。わたシタチは、すべてを試したのだから……いまさら、ひとつくらい策が曲がったところで、どうとも……」

 追いつめたはずはずのエルヴィーナをまえにして、リーリスとクラウディアーナのほうが代えって緊張の色が濃くなっていく。

「『淫魔』! この女は、いったい……なにを言っているのですわ!?」

「グリンッ! 私のほうが聞きたいのだわ、龍皇女……思考が読めるからって、わかるのは、嘘をついていないことくらいで……言っていることが最初から意味不明なら、理解しようがないッ!!」

 ゴシックロリータドレスの女の額に、冷や汗が浮かぶ。三つ編みの女の表層意識は、はっきりと捕捉している。狂気にとらわれたわけではなく、大願の頓挫に絶望しているわけでもなく、苦しまぎれの攻撃を企んでいるわけでもない。

「ただ、単純に……この娘の考えていることが、欠片も理解できないのだわ!」

「アは……ッ。ドロボウ猫も、白トカゲも、思ったより頭の中身は軽いようなので……バカとなんとかは高いところが好きと言いますけど、少しは足元のほうも気にしてみてはいかが?」

 あざける『魔女』の言葉を聞いた『淫魔』と龍皇女は、周囲の空気がいままでと異なる振動を帯びていることに気がつく。

「グリン……私の視力、人並みだから、この高々度から地上までは見通せないのだわ。龍皇女、見える……?」

「……『淫魔』、そなたは側仕えの女が妙な動きをしないよう見張っているのですわ」

 クラウディアーナは、ドラゴンの瞳を凝らして、地表を見据える。龍皇女の双眸が見開かれる。気に喰わない相方のただならぬ気配を、すぐにリーリスは察知する。

「なにが見えたのだわ、龍皇女ッ!?」

「『淫魔』、そなたは視線を動かさずに! 大地が割れているのですわ、『塔』の根本から……まるで、次元世界<パラダイム>全体が、崩れるような勢いでッ!!」

 ゴシックロリータドレスの女は、相変わらず攻撃の気配のない『魔女』を見据えながら、人間態の上位龍<エルダードラゴン>の言葉に耳を傾ける。

 満身創痍のエルヴィーナは、リーリスとクラウディアーナのふたりをまえにしながら、むしろ勝ち誇ったような笑みを口元に浮かべていた。

【裂傷】

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