【第6章】少女の休日 (1/8)【少女】
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朝霧が晴れて、雲一つない蒼穹から強い陽光が差し込む。中世風の石造りの建築をイメージした高級ホテル街が、まどろみから目覚める。
屋内プールから、スポーツジム、ダンスホールまで完備された宿泊施設で、滞在者たちはレストラン、あるいはルームサービスで一流シェフの朝食をとる。
バカンスとして滞在するセレブリティや富裕層の人間たちが、ホテルの正面玄関から石畳のストリートへと、ぽつぽつと着飾った姿を現しはじめる。
上流階級の人々を出迎えるのは、クラシックなしつらえの高級馬車だ。もっとも、サスペンションは最新式で、車体を引く馬もイミテーションロボットだが。
「おじいちゃん。早く、早くぅ!」
リッチマンの家族連れ、あるいはカップル、独り身の観光客に混ざって、リボンをしつらえられたワンピースに小洒落たポーチを身につけた少女が駆けていく。
「ははは。待ってくれないかナ、ララ。あまり、年寄りをせかすものではない」
少女に遅れてホテルマンの前を横切る老人は、自身の言葉に反して、かくしゃくとした足取りをしている。
だが、老人の風貌は、高級ホテルにおいては、かなり奇異なものだった。まず、両目は精密機械の義眼に置換され、無機質な赤い光を放っている。
老人は、ファッションという概念を気に止める様子もない、研究者のような白衣をひるがえしつつ、少女──ララのあとを追う。
通りに出たところで、老人はようやく、孫ほどの少女のもとにたどりつく。
「さて、なんとなればすなわち……ララには、残念な知らせがある」
白衣の老人の言葉に、少女の表情が曇る。
「たいへんに心苦しいのだが、急な仕事が入って、今日はララと一緒に遊びに行けなくなってしまった。一人でも、だいじょうぶかナ?」
「いつものパターン、ということね。ララ、楽しみにしていたのに……」
深くため息をつく少女に対し、老人はひざを曲げ、視線を合わせる。
「本当に申し訳なく思っているんだよ。夜までには戻ってこれると思うから、今夜は少しよいレストランで、一緒に夕食をとろうかナ?」
「……うん」
少女に対してうなずき返しながら、老人は微笑みながら、立ち上がる。老人の白衣の胸元につけられたネームプレートが、曙光で金色に輝く。
スーパーエージェント、あるいは、それに類する極めて大きな権限を認められた、セフィロト社の上級幹部であることを示す社員証だった。
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「ああ、もう……今日のおじいちゃんとのデート、本当に、本当に楽しみにしていたのにぃ……」
ララは、観光馬車から降りつつ、あらためて不満を口にする。とはいえ、いくらすねたところで、老人が折れることがないことも知っている。
一人で街に出た少女の目の前には、華やかリゾート都市の風景が広がっていた。
公園には南国を思わせる植物が葉を茂らせ、周囲にはショッピングセンターやアミューズメントパークが並び立ち、遠目には白い砂のビーチまで広がっている。
ララは、とりあえず、手近なアイスクリームスタンドに向かい、オーダーする。ミント、ストロベリー、ココナッツのトリプル。
「わあっ! おいしい……」
氷菓をひとなめして、たちまち少女は笑顔になる。
「うん。せっかくの一日なんだもの、しっかり楽しまなくちゃ損ということね!」
ララは、まずデパートに向かい、好みの洋服やアクセサリーを買う。荷物が増えるのはいやなので、ホテルへの配送を依頼する。
ただ、花飾りのついた帽子は気に入ったので、そのままかぶることにする。
「たたっよ、たったたたっ」
少女は、軽い足取りで、隣のゲームセンターに入店する。開店して間もないにも関わらず、それなりの人数が電子遊戯に興じている。
ララは、パズルゲームのランキングにエントリーして、ぶっちぎりでトップのスコアを叩き出す。
周囲のゲーマーたちが目を丸くするなか、笑顔の少女は、引きつった表情のスタッフから景品の大きなぬいぐるみを受け取る。
「んー……」
ぬいぐるみを抱えたララは、やや不満げに、リゾート都市の風景を見回す。
「一人で出歩くってことは、当然、こうなるということね」
およそ半径100メートル以内に数名、セフィロト社の下位構成員であるアンダーエージェントが紛れ込んでいる。
目立たない物陰に隠れたり、あるいは家族連れに偽装したりする彼らは、おそらくララの監視と護衛を任務としているのだろう。
「ちょーっと、かなり……過保護ということね、おじいちゃん」
ひょうきんな表情のマスコットロボットが風船を配っていたので、ララは受け取る。
少女は、ぬいぐるみと一緒に公衆トイレに入る。護衛たちは、周囲を固めてはいるだろうが、なかまでは入ってこない。
「ララのこと、なめてもらっちゃ困る、ということね!」
個室のなかに入り、鍵をかけた少女は、便器のうえにぬいぐるみを座らせる。自身は身軽に、するすると壁を登り、風船を手にしたまま天井の通風孔に潜りこむ。
ララは、ほふく前進でダクトをなかを進み、アンダーエージェントたちの死角となる、建物の裏手にでる。
「これに導子発信機を仕込んでいるから、安心しているんだろうけど」
少女は、自分の右腕にはめられたブレスレッドを見る。「迷子防止」の名目で付けられた装身具は、ララ自身では外せない……ことになっている。
「ララには、お見通し! ということね」
朝食時にこっそりかすめとっておいたフォークを、ポーチから取り出すと、機械式ブレスレットの隙間に先端を差しこむ。
かちゃかちゃと金属音を立ったかと思うと、すぐにブレスレットは腕から外れる。少女は、発信機付き装身具を風船に結びつけ、空へと放つ。
「これでよし、ということね」
ララは裏通りから、薄暗いビルとビルのすきまへ入りこみ、路地裏の先へ先へと進んでいく。狭い隙間は、小柄な少女がぎりぎり通れるほどの幅だ。
「ララのこと、捕まえられるかしら!」
少女は、鬼ごっこを楽しんでいるような足取りで、人が通ることを想定していない裏道を、縫うように駆けていく。
この都市は、セフィロト社の幹部や、協力者の富裕層のために造られた観光地だ。
計算されたランドスケープによって目立たなくなっているが、都市の外縁部は強固な防壁によって囲まれている。
ビルの谷間からわずかに見える上天も、実際は透明な軽量素材によって組み立てられた、開閉式のドーム越しの青空だ。
セフィロト社のテクノロジーの粋を集めて造られた歓楽都市は、季節を問わず、来訪者に理想のサマーリゾートを提供する。
「まあ、技術力はすごいとは思うけれど」
少女は、つぶやく。高層建築の間隙を抜けると、観光客が来ることなどないバックヤード──業務用の道路に出る。
「ララが見たいのは、もっと別のもの、ということね」
少女は、自分用の携帯端末を手に取り、自分の位置、業務区画の地図、さらには監視カメラの位置を照合する。
あらかじめ計算を済ませておいた防犯システムの死角をすり抜けながら、ララは、都市の外壁を目指す。
やがて少女は、街区の内外をつなぐ資材搬入ゲートの一つにたどりつく。
「たたっよ……たったたた……っ」
やや真剣な表情を浮かべたララは、ゲートのコンソールパネルと自身の携帯端末をケーブルで直結する。事前に設定していたプログラムが、起動する。
ララの手にある端末は、見た目こそありふれた携帯電話だったが、その実、少女自身によって改造され、ハイエンドマシン並の処理能力を持つ。
「ん……どうかしら……?」
データのやりとりとを続けるゲートのコンソールと端末の画面を、ララは交互ににらむ。やがて、ゲート上部のライトが青色に点灯する。
「わあっ! やった──」
機械音を立てながら、資材搬入ゲートがゆっくりと開く。都市の外から、ドーム天井を介さない日光が差しこんでくる。
少女は、吹きこむ風を受けながら、街の外へと一歩を踏み出す。
→【麦畑】
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