190915パラダイムシフターnote用ヘッダ第03章03節

【第3章】魔法少女は、霞に踊る (3/10)【居所】

【目次】

【胃痛】

──ガタッ、ガタガタ。

 迷宮のように入り組んだスラム街の路地の奥。無人のアパートの影に隠れた路上のマンホールが小刻みに揺れたかと思うと、内側から開かれる。

「おっとっと。ふう……」

 下水道のなかから、地上に這いあがってきたのは、灰色のレインコートを羽織った少女だ。目深にかぶったフードを降ろすと、リング状に編み込まれた金髪が現れる。

 夜間、降り続いていた小雨は止んでいる。少女は、天を仰ぐ。夜が明け始めてこそいるが、レインコートと同じ色の灰色の厚い雲で、空がおおい隠されたままだ。

「……はやく、帰ろう」

 レインコートの少女は、石畳のうえにできた水たまりをよけながら、走り始める。

 路地裏から通りに出ると、ぽつぽつと人の姿が見え始める。朝の早い住民は、ちょうど活動を始める頃合いだ。

「あら、メロちゃんじゃない。おはよう!」

 顔見知りのパン屋のおかみが、開店準備の片手間に、金髪の少女に声をかける。店の奥の厨房から、香ばしい匂いが漂ってくる。

「おはようございます!」

「せっかくだから、焼きたてのパンをおひとつどうかしら?」

「ありがとうございます! でも、シスターに急ぎのお使いを頼まれていたところだから、早く帰らないと……」

 レインコートの少女は、パン屋のおかみの好意を丁重に辞退すると、ふたたび通りを走り始める。

 そのまま、雑然とした石畳の道路を一区画ほど駆け抜けると、通りに面した教会にたどりつく。少女は、礼拝堂に通じる大扉を押し開く。

「ただいま、シスター!」

 少女の元気よい声が、礼拝堂に響きわたる。長いすに背をもたれかけてうたた寝していた修道服の後ろ姿が、びくっ、と背を正す。

「もう、シスター・マイラったら……寝ていていいって言ってるのに、メロのこと、また起きて待っていたのね?」

「クアックアックア……ッ! 子供たちの朝食を用意しようと思って、ついさっき起きたところだねえ」

 修道女は、見え透いた嘘をつきながら、立ち上がる。少女よりも、平均的な女性よりも大柄な体格、顔には深いしわが刻まれた初老の女性だ。

「とりあえず、無事でなによりさ。詳しい話は、奥のキッチンで聞かせておくれ」

「うん! といっても……首尾のだいたいは、打ち合わせの通りなのね」

「そりゃあ、ますます、なによりだねえ!」

 大柄な修道女は、豪快に笑う。二人がキッチンに向かうと、昨晩の夕食の残りであるシチューが小鍋に入れられて、ことこと、と音を立てている。

 レインコートを脱いで、飾り気のないオーバーオール姿となった少女は、あらためて自分の空腹を自覚する。

『魔法少女』家業にのぞむ夜、金髪の少女は動きの妨げにならないよう、夕餉は軽食で済ませているのだ。

「ほら、しっかり食べることだねえ!」

『魔法少女』の正体である少女──メロの腹具合を見透かしたように、初老のシスターは器に盛ったシチューを差し出す。

 メロは、うなずきつつシチューを受け取り、キッチンに備えられた小振りなテーブルのまえに腰を降ろす。

 渡されたスプーンで一口すすれば、シチューのぬくもりが、夜霧で冷えた身体を内側から温めてくれる。

「うん! シスターのシチューはやっぱ美味しい!!」

「クアックアックアッ! 伊達に数十年も台所に立っちゃいないよ!!」

 金髪の少女と大柄な修道女は、お互いに笑いあう。

「実のところ言うと、上手いことやったってのは一足先にわかっていたんだねえ」

 シスター・マイラはメロに、今日の朝刊をかざしてみせる。

『大胆不敵! 魔法少女、予告通りにコクマー商会を襲う!!』

 読者をあおるようなセンセーショナルな文言が、一面に踊っている。

「ちょっと、さすがに、新聞に載るのが早すぎない?」

「あらかじめ記事を書いておくんだねえ、こういうものは」

 シスターが情報をリークしたのではないかと疑う少女に対し、にたり、と笑いながら教会の主は説明する。

「ふぅん……とりあえず、昨晩の収穫はシスターに渡しておくね」

「ああ、ん……いや、それは後回しだねえ」

 右腕にはめたブレスレットをはずそうとした少女は、大柄な修道女に制止される。

 シスターの視線の先には、メロよりもさらに年下の少女が、寝間着姿のままキッチンをのぞきこむ姿があった。

「んん……あっ、メロお姉ちゃん! 先に一人だけ、あさごはん食べてる!? ずるいよ!!」

「メロには、夜にお使いを頼んでいたんだねえ。あんたたちの朝食もすぐに用意するよ。手伝っておくれ」

 熱いシチューをのどに詰まらせそうになったメロに代わって、シスターが弁明する。修道女は、大食堂に向かいつつ、キッチンを仰ぎ見る。

「メロ! それを食べ終わったら、一眠りしておくんだねえ」

 味のしみこんだ根菜を租借しながら、メロはうなずき返す。一人台所に残されたメロは、手短に食事を済ませ、流し場に食器を置く。

「ごちそうさま、シスター」

 メロは、この場を立ち去った教会の主に感謝の言葉をつぶやく。廊下が次第ににぎわってくる。子供たちが目を覚ましてきたのだ。

 スラム街の一画に位置するこの教会は、孤児院が併設されている。メロも、ここで育てられた。女手ひとつで切り盛りするシスター・マイラは、さしずめ肝っ玉母さんだ。

「ふわあ……っ」

 緊張がほどけ、腹もふくれ、メロは眠気に襲われる。子供たちの世話を手伝おうと思っていたが、シスターの言ったとおり、一眠りしたほうがよさそうだ。

 金髪の少女は、子供たちが集まる大食堂の反対側に向かい、階段とはしごを登って、教会の屋根裏部屋へとたどりつく。

 ベッドに、いすと机、そこそこの本棚と小さな衣装たんす。そこは、修道女の好意によって、メロの個室として利用されている。

 メロは、その場でオーバーオールを脱ぎ捨てる。シンプルな下着姿になると、そのまま、ふとんのなかに潜りこむ。

「んん……おやすみなさぁい……」

 寝ぼけた声でつぶやくと、金髪の少女はまどろみのなかに沈みこんでいった。

【歯車】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?