【第3章】魔法少女は、霞に踊る (3/10)【居所】
【胃痛】←
──ガタッ、ガタガタ。
迷宮のように入り組んだスラム街の路地の奥。無人のアパートの影に隠れた路上のマンホールが小刻みに揺れたかと思うと、内側から開かれる。
「おっとっと。ふう……」
下水道のなかから、地上に這いあがってきたのは、灰色のレインコートを羽織った少女だ。目深にかぶったフードを降ろすと、リング状に編み込まれた金髪が現れる。
夜間、降り続いていた小雨は止んでいる。少女は、天を仰ぐ。夜が明け始めてこそいるが、レインコートと同じ色の灰色の厚い雲で、空がおおい隠されたままだ。
「……はやく、帰ろう」
レインコートの少女は、石畳のうえにできた水たまりをよけながら、走り始める。
路地裏から通りに出ると、ぽつぽつと人の姿が見え始める。朝の早い住民は、ちょうど活動を始める頃合いだ。
「あら、メロちゃんじゃない。おはよう!」
顔見知りのパン屋のおかみが、開店準備の片手間に、金髪の少女に声をかける。店の奥の厨房から、香ばしい匂いが漂ってくる。
「おはようございます!」
「せっかくだから、焼きたてのパンをおひとつどうかしら?」
「ありがとうございます! でも、シスターに急ぎのお使いを頼まれていたところだから、早く帰らないと……」
レインコートの少女は、パン屋のおかみの好意を丁重に辞退すると、ふたたび通りを走り始める。
そのまま、雑然とした石畳の道路を一区画ほど駆け抜けると、通りに面した教会にたどりつく。少女は、礼拝堂に通じる大扉を押し開く。
「ただいま、シスター!」
少女の元気よい声が、礼拝堂に響きわたる。長いすに背をもたれかけてうたた寝していた修道服の後ろ姿が、びくっ、と背を正す。
「もう、シスター・マイラったら……寝ていていいって言ってるのに、メロのこと、また起きて待っていたのね?」
「クアックアックア……ッ! 子供たちの朝食を用意しようと思って、ついさっき起きたところだねえ」
修道女は、見え透いた嘘をつきながら、立ち上がる。少女よりも、平均的な女性よりも大柄な体格、顔には深いしわが刻まれた初老の女性だ。
「とりあえず、無事でなによりさ。詳しい話は、奥のキッチンで聞かせておくれ」
「うん! といっても……首尾のだいたいは、打ち合わせの通りなのね」
「そりゃあ、ますます、なによりだねえ!」
大柄な修道女は、豪快に笑う。二人がキッチンに向かうと、昨晩の夕食の残りであるシチューが小鍋に入れられて、ことこと、と音を立てている。
レインコートを脱いで、飾り気のないオーバーオール姿となった少女は、あらためて自分の空腹を自覚する。
『魔法少女』家業にのぞむ夜、金髪の少女は動きの妨げにならないよう、夕餉は軽食で済ませているのだ。
「ほら、しっかり食べることだねえ!」
『魔法少女』の正体である少女──メロの腹具合を見透かしたように、初老のシスターは器に盛ったシチューを差し出す。
メロは、うなずきつつシチューを受け取り、キッチンに備えられた小振りなテーブルのまえに腰を降ろす。
渡されたスプーンで一口すすれば、シチューのぬくもりが、夜霧で冷えた身体を内側から温めてくれる。
「うん! シスターのシチューはやっぱ美味しい!!」
「クアックアックアッ! 伊達に数十年も台所に立っちゃいないよ!!」
金髪の少女と大柄な修道女は、お互いに笑いあう。
「実のところ言うと、上手いことやったってのは一足先にわかっていたんだねえ」
シスター・マイラはメロに、今日の朝刊をかざしてみせる。
『大胆不敵! 魔法少女、予告通りにコクマー商会を襲う!!』
読者をあおるようなセンセーショナルな文言が、一面に踊っている。
「ちょっと、さすがに、新聞に載るのが早すぎない?」
「あらかじめ記事を書いておくんだねえ、こういうものは」
シスターが情報をリークしたのではないかと疑う少女に対し、にたり、と笑いながら教会の主は説明する。
「ふぅん……とりあえず、昨晩の収穫はシスターに渡しておくね」
「ああ、ん……いや、それは後回しだねえ」
右腕にはめたブレスレットをはずそうとした少女は、大柄な修道女に制止される。
シスターの視線の先には、メロよりもさらに年下の少女が、寝間着姿のままキッチンをのぞきこむ姿があった。
「んん……あっ、メロお姉ちゃん! 先に一人だけ、あさごはん食べてる!? ずるいよ!!」
「メロには、夜にお使いを頼んでいたんだねえ。あんたたちの朝食もすぐに用意するよ。手伝っておくれ」
熱いシチューをのどに詰まらせそうになったメロに代わって、シスターが弁明する。修道女は、大食堂に向かいつつ、キッチンを仰ぎ見る。
「メロ! それを食べ終わったら、一眠りしておくんだねえ」
味のしみこんだ根菜を租借しながら、メロはうなずき返す。一人台所に残されたメロは、手短に食事を済ませ、流し場に食器を置く。
「ごちそうさま、シスター」
メロは、この場を立ち去った教会の主に感謝の言葉をつぶやく。廊下が次第ににぎわってくる。子供たちが目を覚ましてきたのだ。
スラム街の一画に位置するこの教会は、孤児院が併設されている。メロも、ここで育てられた。女手ひとつで切り盛りするシスター・マイラは、さしずめ肝っ玉母さんだ。
「ふわあ……っ」
緊張がほどけ、腹もふくれ、メロは眠気に襲われる。子供たちの世話を手伝おうと思っていたが、シスターの言ったとおり、一眠りしたほうがよさそうだ。
金髪の少女は、子供たちが集まる大食堂の反対側に向かい、階段とはしごを登って、教会の屋根裏部屋へとたどりつく。
ベッドに、いすと机、そこそこの本棚と小さな衣装たんす。そこは、修道女の好意によって、メロの個室として利用されている。
メロは、その場でオーバーオールを脱ぎ捨てる。シンプルな下着姿になると、そのまま、ふとんのなかに潜りこむ。
「んん……おやすみなさぁい……」
寝ぼけた声でつぶやくと、金髪の少女はまどろみのなかに沈みこんでいった。
→【歯車】
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