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【第2部18章】ある旅路の終わり (16/16)【継承】

【目次】

【大樹】

「死ぬ気か!? 『伯爵』ッ!!」

「はは……ようやく、そのふたつ名で呼んでくれたかね……これで、思い残すことは……ない……」

「この程度で、貸しを返したつもりかッ!?」

 穏やかに人生の幕を引こうとする満身創痍の伊達男に対して、アサイラは必死に声をかける。

 黒髪の青年はかつて、どこにあるかも知れない故郷を探して、あてのない探索行を続けていた。手がかりは『蒼い星』という、あいまい極まりないキーワードのみだった。

 決して多くはないが、協力者はいた。損得を超えて、力を貸してくれる人間がいた。アサイラに対して、好意を持ってくれる存在すらあった。

 だが、どこか深い……根底の部分では、孤独感をぬぐえなかった。どのような感情を抱いているにしろ、自分と違い、誰しもが『故郷』を持っている……黒髪の青年は、そう思っていた。

 アサイラ同様に『蒼い星』出身だという旧セフィロト社のオワシ社長から、情報を聞き出すべく本社次元へと乗りこみ、老経営者の口から「『蒼い星』は滅びた」と告げられるに至り、青年の孤独は決定的なものとなった。

 自分だけ、『故郷』を持たない。そう思っていた。違った。かつてセフィロト社所属の強敵として立ちふさがり、命の奪いあいまで交わした眼前の伊達男は、己と同じだった。

「……ウラアッ!」

「グぶオッ!?」

 アサイラはとっさに、『伯爵』の胸部へ鋭い掌打を叩きこむ。満身創痍の伊達男は、うめきつつ、息を吐く。呼吸が、復活する。青年の一撃がショックとなり、心臓がふたたび鼓動を刻みはじめる。

「目は覚めたか、『伯爵』?」

「ふむ……じつに乱暴な男かね、アサイラ……一仕事終えて、ようやく心おきなく休めると思ったのに……」

「貸しが、まだ残っているからな」

 満身創痍の伊達男は、起きあがろうとして、かなわない。傷と消耗まで、快癒したわけではない。それでも、意識と声音には明晰さが戻った。このまま衰弱死、という事態は避けられよう。

「……とはいえ、応急処置でもせにゃならんか。どこかに、薬草のたぐいでも生えていないか?」

「その心配は、無用かね。世界樹の住人が、我々に気づいてくれたようだ」

 身を横たえる紳士の言葉を聞いて、アサイラはあたりを見まわす。輝きを放つ鱗粉が、周囲を漂っていることに気がつく。

 枝の影から、葉の茂みから、小さな顔がこちらをのぞく。そのうち何体かが、宙を舞って、黒髪の青年と満身創痍の伊達男のもとへ近寄ってくる。

「妖精<フェアリー>だ。平地に棲むものは、人間を脅かすイタズラ好きも多いが、太母の世界樹に居を構える彼らは、気位が高い。信頼して、よいだろう……」

 手のひらに乗るくらいの身長で、背に蟲を思わせる羽を生やした小人たちが『伯爵』のもとへ集まる。

 妖精<フェアリー>たちが、満身創痍の伊達男に対して手をかざす。彼らの肢翼の鱗粉とよく似た淡い輝きが、満身創痍の伊達男を照らす。治癒魔術だ。

「いかんせん、ダメージは深い。回復には、相応の時間がかかろうが……彼らに任せれば、我輩の身もこれで一安心、というわけだ」

「ああ……そういうことか」

 アサイラは、ようやく人心地ついた様子で、世界樹の枝のうえに腰を降ろす。2体の妖精<フェアリー>が、なにかを手にして近づいてくる。

 羽の生えた小人の片方は、葉を丸めて作ったコップに水を満たしたものを差しだす。もう一人は、青年の手のひらのうえに、赤く小さな宝石のごとき果実を置く。

「ふむ。世界樹の露に、ツタコケモモかね。良いものをもらったな、アサイラ……効くぞ? 貴族や豪商が、天馬乗りを飛ばして欲するほどのものだ」

 声の調子が戻ってきた『伯爵』を一瞥すると、黒髪の青年は妖精<フェアリー>の贈り物を受け取る。漿果の粒をかじり、露をすする。滋味深い甘みが、全身に染み渡る。

「『伯爵』……もうひとつ、聞いてもいいか」

「ふむ、なんなりと」

 はるか眼下の地表を見おろしながら、アサイラは満身創痍の伊達男に問う。世界順の木陰を吹き抜ける柔らかい風が、全身を優しくなでる。

「セフィロトのクソジジイ……オワシ社長が、滅びた、と言っていた『蒼い星』も……この次元世界<パラダイム>のように、復活させることはできるのか……?」

「ふむ……我輩には、わかりかねるかね。難しい問題だ」

「否定は、しないのか」

「ほかならぬ我輩自身が、その無理を通してしまったからね……貴公の言うところの『蒼い星』が、なんらかの脱出カプセルを排出した可能性は否定できない……くわしくは、ドクに聞いてみるといい」

「あのハゲ博士か」

「ドクは、セフィロト社における我輩のほぼ唯一の協力者であり……次元世界<パラダイム>の再生現象にも、大いに興味を抱いていた。なんらかの知見を持っているだろう」

「……そうか」

 アサイラは小さくうなずくと、巨人の腕のごとき世界樹の枝のうえで立ちあがる。横臥したままの『伯爵』が、若人を見あげる。

「ふむ。その様子だと……行くのかね? 貴公になら、我が『ユグドラシル』の『管理者』の地位を譲ってもかまわない、と思っていたのだが……」

「断る。ここは、俺のかえるべき世界じゃない、か」

「即断即決かね? ふうむ、惜しい……我輩が言うのもなんだが、この次元世界<パラダイム>、かなりの優良物件に違いないはずなのだが……」

「軽口が戻ってきたなら、もう心配はいらないか」

 アサイラは直立したまま、目を細める。蒼黒い瞳孔が、空に浮かぶ銀色の艦の機影を捉える。

『……イラ……アサイラ! 聞こえるのだわ!? こちら、次元巡航艦『シルバー・ブレイン』……応答、求む!!』

 黒髪の青年の脳裏に直接、聞きなれた女性の声が響く。精神感応能力を持つリーリスの『念話』だ。

「こちら、アサイラ。聞こえている……回収を頼めるか?」

『よかった……もちろんだわ! ナオミ、面舵いっぱい!!』

 浮遊船の上部が銀色の輝きを放ちながら、進路を曲げる。天を突く巨木、始祖たる世界樹の中腹で、黒髪の青年と満身創痍の伊達男は次元巡航艦の到着を待った。

【第19章】

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