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【第2部10章】戦乙女は、深淵を覗く (10/13)【傀儡】

【目次】

【動揺】

「ちょっと、私の声が聞こえている? しっかりするのだわ、王女どの!!」

 黒翼を広げたゴシックロリータドレスの女は、全裸で粘液まみれのアンナリーヤを抱きかかえ、その頬を軽くはたく。

 触手の残骸に絡みつかれながら、リーリスの腕のなかで姫騎士は脱力しきり、かすかに乳房を上下させている。

「さて……おまえ、いったい何者だ? なんのために、こんなことをしているのか?」

 背後の二人の女をかばうような形で、一糸まとわぬエルヴィーナとのあいだに割って入りながら、アサイラは徒手空拳の構えをとる。敵に、まだ立ちあがる気配はない。

「アサイら……なんで、わたシに拳を向けるので? どうして、そんな目をしているので!?」

 裸体の『魔女』は、激情に肩をわなわなと震わせている。アサイラは、眼前の女の言動に戸惑いつつも、油断なく周囲の状況に対して神経を研ぎ澄ます。

 さきほどまでの再生記憶を見ていたかぎりでは、このエルヴィーナなる相手は直接に組みかかってくるタイプではない。

 おそらく、周囲を這いまわる触手どもを操って攻撃をしかけてくる。黒髪の青年は前後左右、上下360°からの攻撃へ対応できるよう、つま先立ちとなる。

「どれもこれも……あのいやしいドロボウ猫のせいなので! あの女さえいなければ、こんなことにはならなかったので!!」

 一糸まとわぬエルヴィーナは、肉壁のなかで絶叫する。狂気とも言えるほどの圧に、アサイラは一瞬だけひるむ。

「……やりなさいッ! アンナ!!」

 裸体の『魔女』の金切り声が命じる。黒髪の青年は、とっさに背後を振りかえる。リーリスに抱きすくめられていた姫騎士が、白目をむく。

「王女どの……んぐッ!?」

「あ……あ、ァ、アア──ッ!」

 ゴシックロリータドレスの女が、くぐもった悲鳴をあげる。粘液まみれのアンナリーヤは、傀儡人形のようなぎこちない動きで両腕を伸ばし、リーリスののどを締めあげる。

「リーリスッ!」

 身をひるがえしたアサイラは全速力で駆けだし、そのままゴシックロリータドレスの女に体当たりする。

 リーリスと姫騎士はともにはじき飛ばされ、触手だまりのうえに倒れこみ、喉輪がほどける。黒髪の青年は両足を大きく広げ、前後両方に対応できる体勢をとる。

「がはっ、げほ……ッ! グリン。あじな真似をしてくれるのだわ!!」

 ゴシックロリータドレスの女は、気色の悪い粘液におおわれた床にひざをついたまま頭を振り、顔をあげる。そこには、ひと足先に立ちあがったアンナリーヤの姿がある。

「ア、ァア、あアぁァァ──ッ!」

 全身を小刻みにけいれんさせながら、この内的世界<インナーパラダイム>の主である姫騎士の口腔には、無数の触手が気色悪くうごめいている。

「……体内に植えつけた異形を利用して、直接、王女どの肉体を操っているわけ。なかなか、対処の難しいことをやってくれるのだわ」

「なんで……どうして、なんでどうして……ッ! アサイらが、あのドロボウ猫の味方をするので!?」

 一糸まとわぬエルヴィーナは己の黒髪を乱暴にかきむしり、半狂乱のような叫び声をあげる。白い大蛇のような右腕が、リーリスとアンナリーヤのほうへ伸ばされる。

「ウラアッ!」

 ゴシックロリータドレスの女を狙って放たれた触手の弾丸を、黒髪の青年は手刀ではじく。アサイラは、いぶかしむように眉根を寄せる。

「グヌ……この感覚は……」

 異形とぶつかった箇所から力を吸いとられるような感触に、黒髪の青年は心当たりがある。かつて『常夜京』と呼ばれる次元世界<パラダイム>で遭遇した、蛭状の怪物と似ている。

 もっともアサイラは、裸体の『魔女』が放った正体不明の攻撃を警戒し、手刀との接触面積を最小にとどめた。それが幸いした。脱力感は、わずかにとどまっている。

「アサイラ! やばいのだわ……!!」

 リーリスの声を聞いて、黒髪の青年は視線を向ける。後ずさるゴシックロリータドレスの女と、背中がぶつかる。

 額に冷や汗とも脂汗ともつかない水の玉を浮かべたリーリスの視線の先には、まるでゾンビのような足取りで迫ってくるアンナリーヤの姿がある。

「……お得意の幻術で、どうにかできないのか。リーリス」

「白目むいちゃってるから視線はあわせられないし、あんな大量の触手が潜りこんじゃっているお口にディープキスするのは勘弁だわ……」

 黒髪の青年とゴシックロリータドレスの女は、背中合わせになって前後の驚異に相対する。アサイラの眼前で、一糸まとわぬエルヴィーナはゆっくりと立ちあがる。

「ああ、許せない……こんなことが、あっていいはずはないので! なんでアサイらがわたシのことを殴って、あのドロボウ猫を守っているので……!!」

「グリン……アサイラ、知り合いかしら?」

「初対面、のはずだが……あの様子を見ていると、少しばかり自信がなくなってくるか……」

 裸体の『魔女』は、融肉におおわれた天井をあおぎながら、嘆くように叫ぶ。黒髪の青年とゴシックロリータドレスの女がつぶやくと、二人のほうをにらみつける。

「わたシとしたことが、取り乱しました……アサイら、あなタのことはいずれ迎えに来ます。そして……そこのドロボウ猫は、殺すので。ここで、確実に」

 眼鏡の傾きを直したエルヴィーナは、両腕を広げ、背後に向かって倒れこんでいく。裸体の『魔女』は、咎人の門の向こうへと身を沈めていく。

「……敵が一人、減ってくれたか」

 重苦しい岩製の扉が閉まるのを見て、アサイラはつぶやき、触手に身体のコントロールを奪われたままの姫騎士へと向きなおる。リーリスの顔色は、相変わらず晴れない。

「状況は、相変わらず改善していないけれど……あいつの言ったとおり、ここで私のこと、本気で始末するつもりだわ」

 迫り来る姫騎士に対して、打開策を見いだせないゴシックロリータドレスの女は後ずさる。かわりに黒髪の青年が拳を握り、まえへと踏み出す。

「ここは、アンナリーヤどのの精神の世界……そして、内的世界<インナーパラダイム>の主の心が死んだら……そこに潜りこんでいる俺たちは、どうなるのか?」

「当然、私たちの精神も道連れだわ……外的に見れば、脳死状態ってとこね。もちろん、こちらのほうが殺されたとしても同じ結果になる」

 アサイラの質問に対して、リーリスは抑揚のない声で返答した。

【反吐】

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