【第2部22章】風淀む穴の底より (2/8)【不燃】
【穴蔵】←
──キュルキュルキュルッ。
背後から耳障りな音が迫り、リンカはとっさに後方をあおぎ見る。突き当たりの隔壁が、がらがらと崩れ落ちると同時に、きらり、となにかが闇のなかで閃く。着流しの女は、自分に向けられる殺気を覚える。
「ちぃ……!」
灼眼の女鍛冶は、手にした龍剣を振るう。刀身に宿る超常の炎がよみがえり、通路をふさぐように火の壁を産み出す。侵入者の命を刈り取ろうと、隔壁を貫いて飛んできた明確な悪意を焼却する。
燃えさかる劫火は、空気を淀ませる。リンカは、不可視の攻撃を防ぐと、すぐに炎を鎮める。刀の切っ先に宿った灯が、おぼろげながら闇のなかに浮かぶ敵の影を浮かび出させる。
「さもありなんッ!」
灼眼の女鍛冶は、刀を手慣れた動きで鋭く振るう。最深部に潜んでいた敵将に向かって、刀身から紅蓮の炎の筋が幾重にも伸びていく。
だが、リンカの放った火は目標へたどり着くまえに、途中で消える。やはり、炎が燃えることのできない淀みきった空気が穴蔵の底を満たしている。着流しの女は舌打ちすると同時に、いぶかしむ。
(面妖な……息のできない場所にいて、なんで平気な面をしているのよな……)
灼眼の女鍛冶は、いつでも階段を駆け登れるように足をかけた状態で、闇の底に沈む人影をにらみつける。
はっきりと目視できるわけではないが、敵は軽装だ。潜水服や酸素ボンベのような、呼吸を確保するためのなんらかの装備を身につけているようには見えない。
ならば常人離れした肺活量の持ち主で、長時間、呼吸を止めていても平気だというのか? それも妙な話だ。リンカの侵入に気づいてから、肺腑に息を貯めこんで最下層に逃げこんだというのならば、あまりにも間抜けきわまりない。
(さもありなん……そもそも呼吸を必要としていないのか……死人のように?)
灼眼の女鍛冶は、息苦しさとともに怖気を覚える。刀の切っ先の灯火が、弱々しく揺らぐ。呼吸するにも、炎を燃やすにも、この穴蔵の底は空気が足りない。火を武器とするリンカにとって、不利きわまりない戦場だ。
(のんべんだらり。アタシのうかつだったのよな……息の詰まる淀んだ空気は、穴の底に溜まるもんだ……!)
──ガラガラガラッ!
今度は頭上から、地鳴りのような音が地下空間に反響する。灼眼の女鍛冶の退路をふさぐように、天井からシャッターが降りてくる。
「……さもありなんッ!」
とっさにリンカは、転がるようにして機械仕掛けの鎧戸の下をくぐり抜ける。どうにか、空気の淀みきった最下層に押しこめられる事態は回避する。
「チィ……ッ」
顔をあげた着流しの女は、それでも舌打ちをする。階段を登った先、踊り場より向こうには、もうひとつのシャッターが退路をふさいでいる。おそらく、その先にも同様の壁が何重にも、地表への道を閉ざしているのだろう。
「狼藉者は、逃がさない……ってわけなのよな」
リンカは、登り側の方向をさえぎるシャッターのもとへ歩み寄る。龍剣を両手で握り、大きく振りかぶる。刀身に宿る炎を収束させる。刃が赤熱し、まばゆい輝きを放つ。
「……たあアッ!」
灼眼の女鍛冶は、シャッターへ向かって、勢いよく刀を振りおろす。バターをナイフでえぐったように、金属製の材質がみるみる焼き切られていく。あとには、人ひとりが通り抜けられるほどの裂け目ができる。
「ふうぅぅ……」
リンカは、深く呼吸をする。息の詰まる閉塞感は相変わらずだ。いやな汗が額に浮かぶ。だが不幸中の幸いか、退路をふさぐからくり落とし度、破れぬほどの強度ではない。
「のんべんだらり……さて、どうしたものよな」
背後のシャッターの様子を、灼眼の女鍛冶はうかがう。いまのところ、最下層にいた敵が近づいてくる気配はない。
しかしながら、斬り裂けることがわかったはいえ、複数のシャッターを破壊するとなれば、それなりに手間と時間がかかる。相手がその気になって追跡を開始すれば、すぐさま捕捉されるだろう。
「さもありなん……こちとら、向こうが使ってきた武器の正体すら、見極められていないってのに……」
リンカは、真横に目を向ける。踊り場の壁面には、ドアノブを破壊され、半開きになった扉がある。
「のんべんだらり……鬼がでるか、蛇がでるか。とはいえ、向こうさんの裏をかけるなら、悪い手じゃないのよな……アタシはサムライじゃない。正々堂々なんか、戦わない」
上方向への道をふさぐシャッターには裂け目を入れた。もし、追ってきた敵が見れば、リンカが階段を登っていったと勘違いしてくれるだろう。不意を打つ絶好の機会となる。
灼眼の女鍛冶は、半開き扉のすき間をくぐり抜け、地下の一室へと滑りこむ。ほこり臭い空気が、リンカを出迎える。
「げほ、げほ……ッ。こりゃ、本気でほったらかしと来たものよな……」
着流しの女は部屋の外の気配に注意しつつ、手にした龍剣の炎を消して、自らの両目を闇に順応させる。階段に光が漏れれば、すぐさま潜伏が露見する。
地下室の暗黒に、少しずつ眼が慣れてくる。おぼろげながら、部屋の様子がわかってくる。さほど、広くはない。目立った調度品は、ロッカーと書類棚くらいのものだ。
「のんべんだらり……待ち伏せをしかけたつもりが、逆に伏兵にやられたとなっちゃあ、笑い話にもならないのよな……木乃伊取りが木乃伊になる、てか」
リンカは声を抑えつつ、室内に何者かが潜んでいないか、あらためようとする。そのとき……
──……キュルキュルキュルッ!
床がわずかにきしんだかと思うと、最深部で聞いた耳障りな音が地下室に反響する。灼眼の女鍛冶は、とっさに刀の切っ先に灯火を宿し、暗闇を照らす。
「さもありなん……ッ!」
なにか細い糸のようなものが、床からまっすぐ伸びるように、きらめきを反射する。糸鋸のように横へと滑りながら、部屋の床に切れこみを入れていく。
リンカはもんどり打って、後方へと転がりこむ。盛大な音と土煙を立てながら、床の一部が崩落する。寸でのところで、落下をまぬがれた。
灼眼の女鍛冶は、開いた穴から階下の様子をうかがう。先刻、隔壁越しに見えた人影が、明確な殺意とともにリンカに対してまっすぐと右腕を伸ばしていた。
→【鋼線】